世界遺産候補「飛鳥・藤原の宮都」
日本は世界遺産候補として、奈良の「飛鳥・藤原の宮都」の宮殿跡とその関連遺跡、寺院跡、古墳など計19件を推している。ユネスコ(国連教育科学文化機関)は今年7月20日~29日まで韓国・釜山で世界遺産委員会を開き、登録の可否を決定し、最終日には記者会見が開かれる見通し。
日本がアピールしている点は、「中国や朝鮮との文化的、人的な交わりによって飛鳥・藤原の宮都が特徴づけられていること」とそれ以前の「各地の豪族による連合国家から中央集権国家が成立する過程を示していること」。
世界遺産登録の条件で重視されるのは「人類共通の遺産」である点なので、「飛鳥・藤原の宮都」の100年の歴史と日本の文化から日本国誕生の歩みが分かるのだが「日本国」との言及はなく、初めての「中央集権国家」が成立していく意義について言及しているそうだ。
筆者は2026年3月3日(火)と5月24日(日)、現地での発掘経験もある、東京学芸大学の木下正史(まさし)名誉教授による「世界遺産候補「飛鳥・藤原の宮都」の価値と魅力」と題した講義を朝日カルチャーセンター新宿教室で受講した。
3月の講義はもっぱら飛鳥寺に焦点を当てていた。
飛鳥文化を最も特徴づけているのは、仏教の受容、寺院の建立と仏教文化の開花・浸透である。西暦538年、仏教が、日本と百済との外交関係のなかで伝来し、まずは貴族層に浸透していった。
蘇我馬子が587年、廃仏派の物部守屋を滅ぼしたことによって、飛鳥寺造営を発願。飛鳥寺造営のために百済から僧や職人たちが派遣されて、仏舎利が送られてきた。それ以前から奈良地域に来ていた渡来人たちも造営に貢献したといわれる。ここからも渡来文化だったことが分かる。

西暦593年に寺の建設を始め、7世紀初めに完成したとされる。伽藍を整えた日本初の本格的寺院となった。また、高句麗、百済の両様式が入り混じり、広範な大陸文化を受容している建物だった。
そして5月の講座のメインテーマは石舞台古墳だった。
石舞台古墳も「外来要素と古墳時代以来の伝統との融合を示す資産」として世界遺産登録を目指している一つだ。「方墳」を採用していることから、中国の皇帝陵や高句麗古墳の影響が伺え、横穴式石室はもともとは中国で始まったが朝鮮経由でまず九州に入ってきた。
家型の石棺については、近畿中枢部で5世紀以来斧長持型石棺から発展したもので、これは日本特有の埋葬施設だ。

飛鳥・藤原地域の古墳は、古墳が変質、衰退、消滅していく過程を示すとともに、本格的国家がどのように作り上げられていったかを物語っており、連合国家「倭国」から中央集権国家「日本国」への移行である。
講座ではその他に植山古墳、小山田古墳、菖蒲池古墳、岩屋山古墳、カナヅカ古墳、文殊院西古墳なども取り上げられた。
日本が世界遺産登録を目指しているのは、前述の飛鳥寺跡、石舞台古墳のほかに飛鳥宮跡、飛鳥京跡苑池、飛鳥水落遺跡、酒船石遺跡、橘寺境内ー五重塔・中門跡・回廊跡など、川原寺跡、檜隈寺跡、ケン牛子塚古墳、大宮大寺跡、天武・持統天皇陵、中尾山古墳、キトラ古墳、高松塚古墳、山田寺跡、藤原宮跡、藤原京朱雀大路跡、菖蒲池古墳、本薬師寺跡。
木下名誉教授によると、世界遺産の基準は大変厳しく、基本的には建物や遺跡など動かないもの、保存に適した環境にあることなどが課されている。
様々な条件が勘案されることから、最終的に世界遺産として認められるとしても、日本が推している全19件から件数が減少する可能性もあると木下名誉教授は語っている。
(冒頭の写真:飛鳥盆地)
