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七五三は“記念写真の日”じゃなかった。私が日常を撮る理由

——私が、いつも大切にしていること(ゆうくんの七五三で学んだこと)

晴れの日は、わかりやすい。
着物の色。草履の音。髪を整える手。
「記念」という言葉が、最初から似合っている。

でも私が撮りたいのは、そこだけじゃない。
むしろ、特別な日ほど、その家族の“ふつう”が一瞬だけ濃くなる。
私はその瞬間に、いつも心を持っていかれる。

七五三の撮影で、ゆうくんが教えてくれた。
特別な日は、整えるためにあるんじゃない。
日々のつづきの中で、ふいに“家族のほんとう”が浮かび上がる日なんだって。

お支度の様子

日常は、劇的じゃない。だから消えるのが早い

日常は、派手じゃない。
写真にしなくても生きていけるくらい、静かだ。
だからこそ、消えていくのが早い。
気づいたときには、もう戻れない。

七五三の途中、ゆうくんが暗い場所を怖がって、ふいに外に出てしまった。
ご祈祷の時間なのに。
“ちゃんと”進むはずだった流れが、少しだけ崩れる。

ご祈祷中。暗闇が怖くて出てきてしまったゆうくん

でも、その瞬間に残ったものの方が、強かった。
待つあいだの、小さな背中。
お母さんが戻ってきたときにいちばん最初に出た言葉。
「飴ちゃんは?」
怖さの先にある、たったひとつの“安心の合図”。

私は、こういう瞬間を残したい。

お父さんお母さんを見つけてホッとするゆうくん

うまく撮るより先に、守りたい空気がある

日常を撮るとき、私はまず「整えない」と決めている。
もちろん、写真は綺麗に撮りたい。
でも綺麗さのために、家族の呼吸を変えたくない。

カメラを向けた途端に、空気は少しだけ張る。
「いい顔して」と言えば、表情は一瞬で“正解”になる。
でもその正解は、たいていその家族の本当の温度から少しだけ遠い。

だから私は、撮影を“撮るための時間”にしすぎない。
部屋の音。会話の間。待つ時間のゆるみ。ふいに出る仕草。
それらが壊れない距離で、そっとそこにいる。

忍者ポーズをするゆうくん

予定が崩れる瞬間に、ほんとうの優しさが現れる

日々は、予定通りにいかない。
子どもも、大人も、その日の気持ちも。
その揺れを「失敗」にしないでいたい。

予定が崩れたとき、人は取り繕えなくなる。
でも私は知っている。
その瞬間にこそ、家族の関係がいちばん濃く出ることを。

誰かが焦って、誰かが笑って、誰かが「大丈夫」と言い直して、
また呼吸が戻っていく。

七五三の日もそうだった。
お母さんは、ただ「ちゃんとしなきゃ」じゃなくて、
ゆうくんの怖さを受け止めながら、今日を進めていた。

その横顔が、今日の安心を全部背負っているみたいで、
私は何度もそこに目を奪われた。

いつもゆうくんの気持ちに寄り添うお母さんとゆうくん

七五三は「記念写真の日」じゃなくて、「ここまで連れてきた日」

七五三って、記念写真の日だと思っていた。
でも撮りながら、気づいた。

きっと七五三って、
「この子を、ここまで連れてきた日」なんだ。

転んだ日。泣いた日。笑った日。眠れなかった夜。
靴に入った小さな小石を、言わなくてもお母さんの手が伸びる日々。
そういう日々のつづきが、今日の“晴れ”をつくっている。

だから私は、派手な一枚の正面だけじゃなくて、
その裏側にある「つづき」を写したい。

変な顔ごっこするゆうくんとお母さん


ゆうくんの靴の小石に気づいたお母さん

写真に残したいのは「正面」じゃなくて「つづき」

記念写真は、もちろん大切。
でも何年かあとに胸がきゅっとなるのは、だいたい“整った一枚”じゃない。

手が伸びるタイミング。目線の先。待つ間の変な顔。
袖の中に隠れる小さな手。言葉にならない安心。

ゆうくんのお辞儀は、とんでもなく深かった。
小さな体がぐいっと折れて、
「よろしくお願いします」を全部預けるみたいに。

走ると、袖がふわっと風を抱えて、草履の音が小さく跳ねて、
一瞬だけ、時間が追いつけなくなる。

そういう“たしかな一瞬”は、時間が経つほど強くなる。
たぶん人は、「何を着ていたか」より先に、
「どんな空気の中にいたか」を思い出す。

写真は、特別を写すものじゃなくて、
“つづき”を写すものだと私は思っている。

とんでもなく深いお辞儀をするゆうくん
だるまさんがころんだするゆうくん

私が大切にしていることは、ひとつ

私は、かっこいい記念写真よりも、
その家族の温度が写っていることを大切にしている。

うまくいかない時間。予定通りじゃなかった瞬間。
そこで交わされた、さりげない「大丈夫」。
そういうものが残っていると、写真はただの記録じゃなくなる。

そのとき確かにあった暮らしが、
未来のあなたを、そっと支えるものになる。

私はそれを信じて、日常を撮っている。

お支度の時脱ぐと言ったゆうくんに寄り添うお母さん
親子はいつも手を繋いでた
お母さんがいるから安心していられる

お知らせ(撮影のご相談について)

「ちゃんと撮れるかな」
「うち、自由すぎて写真にならない気がする」
そんなふうに思っている方へ。

自由なままで大丈夫です。
整いきらないところに、宝物がある。

私は、“今日のつづき”として残る家族や職人さんの時間を撮っています。
“その人らしい温度”が写る形で残します。

ご相談はInstagramのDMからどうぞ。
そのとき、**「日常のnoteを読みました」**と一言いただけたら嬉しいです。
(撮影時間や料金プランは、DMでご希望を聞きながらご案内します)

インスタでもゆうくんの可愛らしい別カットたくさん載せています。
良かったらみてください。

インスタはこちら→https://www.instagram.com/wasa.ko/


ゆうくんのお母さんがこの日のことを素敵なnoteに書かれています。
ぜひ読んでみてください。↓

お母さんの木全さんに書いていただいた私の記事がこちら↓

お気軽にお問い合わせください。

読んでいただきありがとうございました。  

                物語フォトグラファー 安井佐和

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