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靖国神社に参拝して ― 命(みこと)と呼ばれた人たち ―

今回、東京を訪れた際にどうしても靖国神社に参拝したかった。

それは単なる観光ではない。
我が国を守ってくれた英霊たちに感謝の意を示すために。
そして今の自分を見つめ直すためにだ・・・

参拝してみて・・・
胸の奥が痛く、そして熱くなった。

この国のために命を懸けた人たちへの想いを、
どうしても言葉にしておきたかったのでここに記すことにする。


僕は60歳という年齢で0から副業としてアフィリエイトを始めているお爺ちゃん美容師です。

日本人として産まれ育った僕は、当然のごとく日本人であることに誇りを持っており日本の文化や神社仏閣、日本の山々などの自然を愛しています。

そんな僕は「日本人としての誇りを取り戻す」というテーマでnoteの記事を綴っています。

前回の「日本人としての誇りを取り戻す」はこちら👇

他とは比べてはいけない、唯一無二の神社

靖国神社一の鳥居

靖国神社の大鳥居をくぐった瞬間、空気が変わった。
静かで、重く、それでいてどこか温かい。

僕は自然と背筋を伸ばした。
この場所では、ダラダラと歩きたくなかったんだ。

神社に詳しい僕は、よく人から「どこの神社が一番いいですか?」と聞かれる。

正直に言って、神社に優劣などない。
どの神社にも、そこにしかない氣があり、神が宿る。

しかし、あえて言うなら——
伊勢の神宮大神(おおみわ)神社は別格だと思う。
神代の時代から続く日本の根源の氣を宿す場所。

だが、靖国神社はそれらとも違った。
ここは別の意味で「別格」だと感じた。
あの伊勢の神宮でさえも、並べて比べることができない“何か”を感じる。

それは、神社が持つ格や格式、氣の強弱といったものではない。
もっと深く、もっと人間的で、もっと痛烈な何か。

他とは比べてはいけない、唯一無二の神社。
それが靖国神社なんだと僕には感じられた。


靖国神社は日本で最も多くの祭神を祀る神社だ。

鳥居の形式は「神明鳥居」
この形式の鳥居が我が国・日本をお守りくださった英霊を祀るに相応しい

靖国神社でお祀りされるご祭神の数、約246万6千柱
間違いなく日本で一番多くの神を祀る神社だ。

明治維新から太平洋戦争に至るまで、
この国のために命を捧げた人々が祀られている。

「祭神(さいじん)」というと、
八百万の神々のような神話上の存在を思い浮かべる人もいるだろう。
しかし、靖国の祭神はすべて実在した人間だ。

彼らは、戦場で、空で、海で、あるいは病で、
それぞれの使命を果たして命を落とした。

その一人ひとりが「英霊」と呼ばれ、
死して「命(みこと)」と名を授かり、神となられた。


境内で見た光景

靖国神社の御神門
記念写真を撮る前に英霊たちに感謝の念を伝えて欲しい。

僕よりも一回りも上かと思われる日本人男性のグループがいた。
彼らは大声で談笑しながら、神門の菊花紋の前で並び記念写真を撮っていた。

別に、それが悪いとは言わない。
けれど、何だか切なくなった。

外国人にとっては、ここは観光地かもしれない。
そして、日本人でも他の神社なら観光感覚でもいいだろう。

しかし、ここだけは違う。
日本人にとって靖国神社は、観光地ではない。

笑顔で写真を撮る前に、背筋を伸ばして参拝し、英霊たちに感謝をのべるのが筋ではないかと、
そう願わずにはいられなかった。

我が国のために尊い命をかけてくださった英霊の皆様。
そのおかげで、今の僕たちの生活がある。

だけどふと考えてしまう。

命をかけて散っていった英霊たちは、
今のこの日本を見てどう思うのだろうか。

こんな時代を、こんな社会を想像しただろうか。
そう思うと、胸が締めつけられるように痛んだ。


本当に彼らは“神になりたい”と願ったのだろうか?

「ゼロ戦」とは、正式名称「零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)」の通称で、太平洋戦争期に日本海軍が使用した主力艦上戦闘機です。

皇紀2600年(1940年)に制式採用されたことから「零式」と名付けられました。

参拝後に、境内の「遊就館」を見学した。
そこには、戦死され英霊となられた方々の遺品や資料が並んでいた。

とくに遺書。
母や妻、子どもに宛てた手紙を読むと、涙が止まらなかった。

英霊の遺書 ― 母への想い

遊就館の展示室で、僕の足が止まった。
ガラスケースの中に、一通の手紙があった。

遺 書 陸軍歩兵中尉 立山英夫命

若し子の遠く行くあらば 帰りてその面見る迄は 出でても入りても子を憶ひ 寝ても覚めても子を念ず 己れ生あるその中は 子の身に代らんこと思ひ 己れ死に行くその後は 子の身を守らんこと願ふ あゝ有難き母の思 子は如何にして酬ゆべき あはれ地上に数知らぬ 衆生の中に唯一人 母とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝む 母死に給ふそのきはに 泣きて念ずる声あらば 生きませるとき慰めの 言葉交はして微笑めよ 母息絶ゆるそのきはに 泣きておろがむ手のあらば 生きませるとき肩にあて 誠心こめてもみまつれ 
お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん

昭和十二年八月二十二日 歩兵第四七聯隊 支那河北省辛荘附近にて戦死

血まみれの軍服の中から見つけられたという遺書。
手紙の最後、余白いっぱいに書かれた「お母さん」という言葉。

遺影を見ると、まだあどけなさが残る青年です。

戦場で死を覚悟した青年が、
最後の力を振り絞って書いたのは、国家への言葉でも栄誉の辞でもない。
たった一言、「お母さん」だった。

――あゝ、有難き母の思。
その一行を読んだ瞬間、僕の胸の奥が震えた。

国のために命を懸けた彼らの奥には、
こんなにも人間らしい、あまりにも優しい想いがあった。

この遺書を見た瞬間、僕の中で何かが崩れ落ちた。
そして、静かに涙がこぼれた。

60歳を過ぎたじいさんが、人前で泣くなど恥ずかしい。
だが、気づけば頬を伝う涙を止められなかった。

不覚にも、一緒に参拝をしていた相方に見られてしまった。

でも、あのとき流れた涙は、恥ではなく、
心の奥底から湧き上がった“感謝”だった。


戦死された方々は、死して神となった

この「ゼロ戦」の機体はレプリカではない。
かといって純正品でもない。

戦地で回収された多くの部品を集めて一つの機体に改修したものだ。
いわば戦地で散っていった英霊たちの思いの集合体である。

「遊就館」には、英霊となられた神々のご遺影が展示されていて
ご遺影の、名前のあとに「命(みこと)」と記されている。

そう、この「命」とは“神様”のこと。
戦死された方々は、死して神となり、
その名に「命(みこと)」という尊称を授かるのだ。

でも、思う。
本当に彼らは“神になりたい”と願ったのだろうか?

きっと違う。
彼らは、愛する人を守りたかった。
家族を、仲間を、そして日本という国を守りたかったのだろう。


英霊の気迫に満ちた不敵な笑顔に圧倒された

艦上爆撃機「彗星(すいせい)」
当時の日本機としては珍しい「液冷エンジン」と「流線型の胴体構造」にあり
非常に高速かつ空気抵抗が少ない設計でした。

その美しいシルエットから「日本一美しい爆撃機」とも呼ばれました。

遺影のほとんどは、引き締まった表情をしていた。
それも当然だ。これから死に向かうのだから。

しかし、その中に数人、笑っている人がいた。
笑顔――だが、それは軽い笑みではない。
覚悟を決めた者だけが浮かべられる、静かな決意の笑みだった。

なかでも僕の心に強く残ったのは、
陸軍大尉・平原太郎 命 の遺影だった。

彼は、不敵に笑っていた。
「やってやる」という気迫に満ちた笑顔。
恐怖も迷いもない、清らかでまっすぐな目をしていた。

その面魂は、まさしく武士である。

僕は、その一枚の笑顔に圧倒された。
まるで彼が、写真の中から問いかけてくるようだった。

――なぁ。お前はどう生きてきたんだい?

ほんの80年前の日本には、こんな胆力を持つ人がたくさんいたのだろう。
そう思うと、僕は少しだけ恥ずかしくなった。

そして同時に胸の奥に火が灯るような感覚になった。


思想の自由と、英霊への敬意

ここから先は写真撮影は厳禁だ。

リベラルの人たちの中には、靖国を悪く言う人もいる。
外国人の中には、わざわざ靖国を訪れ、
汚すような行為をする者もいた。

思想や信条は自由だ。
それは、戦後の日本が勝ち取った尊い権利でもある。

だが、お願いがある。
この場所に祀られた英霊たちを、
どうか軽んじないで欲しい。

彼らを、汚したり、貶めたりするような行為だけは控えてほしい。

ここには、誰かの父が、誰かの息子が、
誰かの兄弟が眠っている。

彼らは国家のために命を投げ出した人たちであり、
誰にとっても“憎む対象”ではなく、“祈る対象”であるはずだ。


靖国を後にしても、胸の熱は冷めなかった。
英霊たちが命をかけて守ったこの国。
その上に立つ僕たちは、彼らに恥じない生き方をしてきただろうか?

便利さや豊かさの裏で、
「覚悟」や「誇り」をどこかに置き忘れてはいないだろうか。

鳥居を振り返り、もう一度深く頭を下げた。
――ありがとうございます。

そして、彼らに恥じない日本人でありたいと思った。

僕は今、この記事を書きながら、
何故か涙が止まらない。


戦争を美化してはいけない。
そして、二度と戦争をしてはいけない。

けれど、僕は――
大東亜戦争で亡くなった英霊たちへの感謝の念を、
決して忘れたくない。

彼らは確かに、この国のために生き、
家族や仲間を想って散っていった。
その事実だけは、誰にも消せない。

僕は彼らを、誇りに思う。
そして、平和の中でその想いを語り継ぐことが、
今を生きる僕たちの責任だと思う。


書き手について・プロフィール

  • 1981年若干16歳で美容業界に足を踏み入れる

  • 1990年、大阪府八尾市にて独立し美容室を開業。

  • 1996年、大阪八尾市の店舗は譲渡。

  • 1997年、大阪府藤井寺市にて再び美容室を開業。

  • 1999年、大阪で最初の「縮毛矯正専門店 矯正屋」をスタート。

大阪で一番最初の縮毛矯正専門店「矯正屋(きょうせいや)」を藤井寺市で営んでいます。

縮毛矯正専門の美容室は当時は存在せず、「絶対に失敗する」と散々言われました。
しかし、諦めずに挑戦を続けた結果、のべ15,000件以上の施術を行い、誰もいなかった領域で自分の道を切り開きました


矯正屋(きょうせいや)

〒583-0024 大阪府藤井寺市藤井寺1丁目21−8
電話番号: 072-931-2515

公式サイトでは美容に関する記事を書いていますので興味がある方はご覧になってください。

矯正屋公式サイト

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