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無党派社会の民主主義?

 政治学者、真柄秀子は冷戦崩壊以降、新しく生まれたいわゆる無党派層について西欧の例を引きながらこう答えています。「女性運動などに代表される新しい社会運動は左派政党による動員は希薄だった。社会民主主義政党を生み出した階級闘争の規模や激しさには未だ到達していない。より開かれたより包括的な政治潮流は今後も続くとしても、その新しい挑戦は次第に伝統的なチャネルに吸収されていくかもしれない」後にドイツ緑の党は得票率10%を超え、曲がりなりにも新しい政治勢力として定着しましたが単独政権はおろか第一党にも届かず、真柄の示唆は少し外れた部分と的中した部分もあります。当時、千葉県の民主党代議士に田中甲という人がいましたが、2大政党制を一応目標にしていた民主党千葉県連は結局独自候補を出す事ができず、連合千葉と相乗り候補を推薦した結果、「無党派知事」を標榜した堂本暁子氏に完敗。田中甲は、民主党の連合依存を批判し離党。当時の鳩山由紀夫民主党代表は「労組は支援してくれているが、勤労者の支持ばかりではダメだ。国民政党になるべき」という談話を発表しました。勤労者や労組は国民ではないのか?と言いたくなりますが、当時自民党でも総裁選において職域党員の大半を押さえていた旧経世会の橋本龍太郎が、終わった政治家と思われていた小泉純一郎に敗れてしまったという事実が一層「無党派ブーム」に火をつけました。もはや組織票の時代ではない、無党派市民にいかに支持を得るための政策を打ち出すべきだ。そうした認識は正しい部分もあり、大きな落とし穴もありました。現在の政治•政党運動を観察すれば、「無党派ブーム」の恐ろしい部分も見え隠れします。noteで何度か言及していますが「希望の党」はこうした「無党派ブーム」の延長であり、2025年現在においてもまだ「無党派ブーム」は続いています。無党派は岩盤保守と言われたり、リベラル票と言われたり、その実態は明らかになりません。解明は不可能でしょう。
 私はいつぞやのTwitterでも、発信しましたが政治運動というより政党運動においてかつてその程度の差は大きくあれど社会主義という明確な将来像があった1945年11月2日の日本社会党の復活を目指し、1人の組合員として一定の政党運動に協力していますがやはりもっと仲間を集めないといけないとも思います。私はTwitterでは古臭いイデオロギー主義とも言われる人でもありますが、目指すものがなくファン活動のような政治運動しかやらない人に私の信念の反対論はともかく、古い新しいを言われる覚えはないです。いまだに「無党派ブーム」に乗っている人達には、時代遅れはお互い様のはずです。新しいエネルギーを生み出すためには、多少の路線闘争はあった方が組織の活性化になりますが、それすらやらない政党組織は風の前の塵に同じ。議論を活性化させず、さっさと蓋をする態度は長い目で見れば必ず消滅します。

希望の党の現実

 少なくとも、前原誠司が民進党の代表になった時点までは連合は正直言いたいことは堪えて、民進党支援は明確にしてきました。いくら利害のためならイデオロギーより優先できる組織でも、正式な決定は重い。そうした決定をひっくり返るような政局であり、解散総選挙でした。割り切れた地域はいい方で、私達は割り切れるほど簡単ではなくかつての民主党前職は比例に退き、いつの間にやら野党候補は憎い維新の会出身。民主党前職も保守系でしたが、それでも苦楽を共にした事実もあり、またすぐに対抗馬が立てられるほど私達も強くなく、地元の労組はいくら非専従で仕事があっても選挙対策なら時間は関係なく長時間の議論を得る必要があり、それでもしっかりと「定時」がある状態でした。
 民進党、希望の党、立憲民主党と結果として3つの弱い野党の誕生は地元労組としても同じ単組だったとしても支持政党がバラバラになるという面倒な人間関係を生み出し、それについての反省は特に希望の党に行った人達は薄かったのか?元々民進党内でも右派どころか自民党内にいたとしても右である人達だったからなのか?こういう状況で政局を起こした彼らが選挙後、何か反省の弁はありませんでした。地域によっては民進党組織そのものが連合の地域協議会と一体化しているところもあり、本音を言えば多くの仲間を救うためという理屈も理解できますが、組合の人間として新党である立憲民主党の結党も歓迎されたものではなかったです。民進党から出馬できず党籍あれど無所属出馬しか道がない理解しますが、結局最終的には「希望の党チャーターメンバーは応援せず民進党にいた立候補者を支援する」という連合の決定は、あまりにも後手後手でした。これは何度かお話ししているのですが、一体希望の党はどこに選対があったのか?責任者はいるが、それを運営する事務局がない。嫌、あるのかもしれないが地域には、行き当たりばったりのような指示が飛んでくるだけ。元々民進党は、寄り合い所帯の部分もあるため執行部の権限が強く、ほとんど地元を知らないから全く地元事情を無視した指示が下される事もあり、「言うのはタダ」とでも思っているのか、こちらの日程について了承したはずなのに直前となって変更を要請する。こんな社会人として規範もないのに、まるで自分達は魔法のように自民党長期政権の歪みを正すというのなら党員、サポーター、労組までは何とかなっていても新しく民進党に協力しようと思う有意な人がいても、テンションを下げてしまう事は間違い無いです。96年、小選挙区が導入された直後日本社会党は解党になりましたが、そのさなかに多くの地域新党が誕生し、それらを繋ぐ「Jネット構想」というものがありました。全ての都道府県に地域政党が都道府県に根を張り、住民の声を吸い上げる形で地方自治を行い、国政で反映すべき政策は中央の民主党が実現のための議会活動を行う。そのローカルパーティ構想には横路孝弘、海江田万里、神奈川県議だった又木京子、地域政党「民主党大阪」の松浦武、そして仙谷由人ら5名が代表委員となり、それに鳩菅の新党さきがけ勢が合流したのが第一次民主党です。ただそういう意味で民主党に発展した途端、ローカルパーティ構想は無くなり、一つの議員党が誕生しただけでした。理想論にすぎるかもしれないこの「Jネット構想」は仮に実現していたら、どうなっていったのか。構想だけで終わってしまったこの動きの終焉は大変残念だと思います。そのかつての討議資料がネット上に僅かに残骸が残されています。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/060.pdf/$File/060.pdf

 希望の党に社会党はおろか「Jネット」の気風すら感じられないものです。課題が多い日本のリベラル派たち。本来は大枠でも目指す社会像を示す事は必要です。無いままなら地域活動についても疑問に持つ人も多くいるでしょう。アイドルの応援ではなく、政党に自分の信念を預け、実現してもらおうとしているのです。民主党勢力はそうした思いに冷淡であり、メディア映えしか意識しない人も一部、もっと大勢いるのかもしれません。目指すべきゴールが政権交代のみで、その後自民党統治に変わる社会像を示さないからです。だから克服すべき点はまず、どう言う社会を目指すのか?そういう意味で民主党の時点で当時参院議員だった大橋巨泉が迫ったように社会主義インターナショナルに参加すべきでした。その当時はブレア流「第三の道」を目指す方針であっても、多くの政党との交流は必ずプラスになりました。リベラル派も希望の党に合流するつもりでした。無論、希望の党中央は「排除リスト」を用意していましたが、仮に国際連帯が多少なりとも機能していれば、これほど風頼みの組織にはならなかったのでは?と思います。

無党派に翻弄された日本社会党史

 市民と政党の連携は、安保闘争にもよく見られたもので元々片山哲内閣退陣後、なかなか政権に迫れない社会党は総評依存の選挙体制から脱皮を図る機会が何度かありました。実際まだ戦争の記憶が色濃く残る1950年代から60年代にかけて、社会党は院外の反安保市民運動と積極的に連携していました。そうした声に当時現実路線を提唱した民主社会党も無縁ではなかったという事を先日、お話ししました。

 市民派との連携は一定の成果を収めました。これ自体は何も悪いことではないです。むしろ積極的に推奨すれば良い。労組の私ですら、労組頼みでは限界があると思っていますから。ただ、市民派をつなぎ止めておくには、いささか社会党の組織対策では不十分だったと思われます。この辺りは江田三郎が「岸(信介)に変わって、池田(勇人)でも石井(光次郎)でも、総理が変わり少しでも進歩的な装いを見せれば、一般の国民はもう20日前の事は覚えていない恐れもある」。江田は党内権力の使い方は上手い方ではないですが政治を見る力は社会党の中では、ずば抜けていたと考えます。当時、社会党・総評の選挙制度は手厚い組織選挙による「組織の左社」と呼ばれましたが、この頃まで個人後援会の支持者の奪い合いに過ぎなかった保守陣営が業界団体を組織化し、選挙に組み込みました。これは社会党が得意とする組織化ですが、保守陣営もそれと同じことをやり始めた。参政党が日本共産党の組織政党論を学んだように、自民党は日本社会党の組織選挙論を学んだ形になりました。そしてこの頃になると日本社会党の地方組織の実態が明らかになります。まず若い党員が不在であること。20代の党員は、20%ほどで10代の党員は1%を切ってしまう党内構成です。そして半数の党員が未記入であり、本当に党員なのか怪しい。都道府県には一応組織らしいものはあるが、市町村レベルになれば支部設置はほとんどなく、愛媛県に至っては常任書記がわずか1名しかいない有様。愛知県は県本部が入るビルのネオン広告の収入で活動費を捻出している状態。こういう状況で、党の実態に絶望する人がいるのは当たり前のことです。ただ党の再建をめぐって、江田三郎は党から追放されたという歴史を鑑みれば社会党はやはり問題多い組織でもあった事は明確です。
 さらに結党直前はせいぜい2割にしかならなかった労組出身の政治家も安保闘争を経ると5割に「躍進」してしまい、これは一部労組にも懸念論がありました。総評事務局長岩井章は「広い層の支持を集めるには、より広い層から候補を求めなければならない。中小企業事業者や農民からの立候補を抑えてはいけない」、炭労の委員長を務めた原茂は「中央の大組合の三役ばかりが議員にする事ができる力があるのならば、今後農民や小市民、文化人学者という人たちを当選させるような運動にしなければならない。組織の力と個人の力が合わされば、国民の層が重なって選挙闘争ができる」
 ただ言っている事とやっている事が違うのは何も政党ばかりではなく、労組もまた移りゆく世論に揺らいでいました。60年代の終わりには参院議員に至っては6割が労組出身となるほど、人選は偏りました。「労働組合の組織で当選した組織内は産業に関しては蘊蓄があり、組合の利害関係についてはラディカルであるが、それ以外の政治家としての識見や政策は乏しく社会党の書記に質問原稿を書いている状態」こうした評価を頂くと組合の私はドキリとする事もあります。組合出身の政治家を応援してくれる人が大勢いて心強いと思う反面、それでは組織内の人間がそれほど有能か?と問われると明快な答えは出ないです。だから自民党の戦術を活用してタレント候補を擁立する戦略を編み出しましたが、田英夫以外有名なタレント候補がいないように結局、選挙を乗り切るために一期だけの使い捨てにする傾向も社会党にはありました。70年代、80年代社会党が野党第一党に存在できたのは、官公労は比較的社会党支持率が高い(年々低下していましたが)という事と政権批判票をほぼ独占できた事にあります。官公労が社会党を支援せず、野党第一党から滑り落ちると奈落の底に真っ逆さまという危機はどれだけ当時の社会党が持っていたのか、疑問です。土井たか子が委員長に就任し、労組以外の候補者を積極的に擁立した冷戦末期には、もう手遅れだった可能性はあります。その土井の時代ですら、社会党も総評も組織内現職のために積極擁立は消極的だったのですから。さらに社会党は男女構成から見ても、自民党とそう大差がないメンズクラブであり、女性票という開拓の余地が多かった層に対してほとんどアプローチしなかったのだから、土井の登場が早くても同じだったのかもしれません。
 社会党が労組依存を脱却できたのは、民主党の結党により連合が支持を決定した事からです。党史を考えれば皮肉な結果です。ただ無党派を掴む運動は、常に時の風を読む必要があり、そういう事を行えば当然政策の一貫性は皆無となります。無党派を組織化し、向かい風が吹いても政策の一貫性は貫いた上で地力をつけ、敗北の程度を和らげ次に向かってさらに政策を磨いて再び返り咲く。という事を社会党も民主党もできていたのか?甚だ疑問です。例えば貴方が住んでいる街に立憲民主党に陳情する場合、どこに行きますか?本来支部があれば、そこに行くなり電話をかけるなりすれば良いのですがそうしたものが皆無です。立憲民主党の地方議員がいるにしてもそれが労組の組織内なら人によって異なる事を前提とした上で、あまり当てにはならないと労組の人間が一言だけ記しておきます。いっそのこと県連に出向く事をお勧めします。民主党系の歴史において、1番権威があるのは党本部、次に総支部長、最後に都道府県連です。本来地域支部を束ねる都道府県連は総支部長に対しても一定の影響力はあるはずですが、小選挙区制度における選挙区総支部しか存在しない政党において、地方組織の存在は張子の虎です。だから、案外フラットな陳情が言える場ですが、そもそも地方組織の権限は党本部はおろか総支部より弱いので実現には我慢強く組織化を進めて行くしかないです。遠回りが近道になります。地方組織の代表なんて持ち回りの順番に過ぎず、国会議員は県連の役職よりも公職の方を優先するのですから。もちろんそれも正しいと言えば正しいですが。議員党から脱却するためには、よくも悪くも権限が無さすぎる都道府県連の一定の権限強化にあると思います。

無党派「依存」から脱却を!

 先年の衆院選で象徴的なものを目撃していました。候補者の演説会に支援団体として私も人数の1人でした。連合は立憲民主党、国民民主党を支持していますが、私を含めた多くの組合員は政党の党員ではありません。ただ組織が支援の決定を決めたのだから当然こちらとの政策合意したものと思って、一種の信義則に立って支援しています。
 演説会が終わった後は、次の場所で演説です。選挙期間に突入すれば気を休める時間がほとんどありません。私はその点候補者に同情はしています。ただ昨年の衆院選は明らかに今までと異なるものでした。演説が終われば、党員、サポーター、熱心な支持者と思われる人が候補者を囲み、写真を撮影し、その場でSNSで発信していた光景です。学生のような掛け声をして、場を盛り上げているのは党員の結束には役立つものですが、なんとなく演説を聞きにきた人だけではなく、連合で長年民主党の選挙をバックアップしてきた私達も正直言えば、異様としか映らなかったです。多くの人が訪れる場において、その目を顧みずに一つだけ異様に盛り上がる一団がいる。その真ん中に候補者がいる。満更でもないという顔をしている。これで一定の結果が出たので、選挙戦術が1年で変わってしまったというわけではなく、単純に自民党の失点で浮かび上がっただけに過ぎないです。そういう意味では選挙戦術が今までと一緒ですが、問題点はそこにはないです。これはTwitterで私の批判が殺到したものですが、演説会の場において議員と写真を撮ろうとする党員が多ければ単純にそれはファンクラブに過ぎず、中間派の目を意識していないので改めた方がいいと発信しました。党員の結束力を固めるイベントにおいて、私はいくら写真を撮っても構わないと思っています。それは政党のイベントなのだからやり方は自由です。ただそれは党内で完結する話であり、数日後に選挙を控えた多くの広範の支持を得るための演説場において適切な行動とは思えないです。私は随分と日本共産党の運営を口悪く言ってきたし、一部の人には「連合の反共右翼のアカウント」「統一教会の下部組織である連合の一味」など散々言われましたが、日本共産党の担ってきた役割を全て否定するつもりはないです。むしろ本来なら日本社会党にしろ、民主社会党にしろ目指すべき政党はそういう点にあったはずです。その良い点を全て消し去るような党の運営は大変残念だと思います。「少しでも進歩的な装いをすれば、国民は20日立てば忘れてしまう」という江田三郎の言葉は、現在にも通じる部分があります。タカ派の石破茂は、極右の安倍晋三の対抗馬だったので、相対的に左派の扱いがされていますが根は保守陣営。石破茂は選挙に対して責任を持つべきだと思うし、それが辞任という形ならそういう責任の取り方を取ったのだなとしか思わないです。自民党員が引きずり落とそうが、続投を容認しようが私にはなんの関係もない話です。ただ野党の支持層に一部、強固な石破続投論が存在することはまさに江田の読み通り。少しでも進歩的な装いをすれば、同情的になっています。もちろん、石破おろしの先頭に立っている清和会の残党についても、私は与するつもりはないです。今や「保守的な装いをすれば、右翼票は簡単に自民党から剥がれる」時代ですので、残党はより右旋回するに決まっているからです。保守陣営と極右の連立に待っている先は、縁故資本主義と権威主義が合わさった息苦しい全体主義国家ですが、浮動票をどこまでも追い求めている2つの民主党には、もはや何を言っても聞き入れられる状況にはないです。日本共産党は規定に民主集中制を採用していますが、民主党はいつのまにか党員自ら民主集中制の道を選んでしまう。総評の選挙戦術を学び、そこからほとんどアップデートされる事がなかった自民党が苦戦するのも自明の理ですが、党の綱領も公約も何とも思っていない信念なき風見鶏がどうして自民党に変わる政党になり得るのか?彼らは党名を変えるたびに、勢いだけをつけようと必死になりました。勢いが失えば再び文句の言い合いです。社会党の派閥抗争は地方組織が盤石ではないのに、いたずらに摩耗させただけに終わりましたが、路線闘争であった点は僅かながら民主党よりマシです。これはいくら努力をせず、選挙に勝てるかどうかの提案合戦で当然その実現には責任を持たないものばかり。少なくとも消費税の問題を有権者に示した実績だけはある野田佳彦を担ぎながら、一瞬だけ沸いた消費減税論に押されてズルズルと昨年示した公約をどんどん後ろ向きに変えてしまう立憲民主党、財源もへったくれもなく、景気のいい話ばかり発信しながらいざその実現になると尻込みし「政党を裁く裁判官」でしかない国民民主党、何より党外の支持を受ける場において党員の結束の方を優先するものが言えなくなった党員たち。日本共産党の党運営と何が違うのか?人の振り見て我が振り直せという言葉は自分たちには適用されないのか?そういう党執行部の不誠実な対応に対して党員として何か意思表明があったのか?あなた方は党員になった経緯は色々あれど、今は何を政党に託して党員を続けているのか?それをぶつける場はあるのか?という事を本来ならもっと問い詰めたいものでしたが、「新しい無党派」にとって私はカビが生えたイデオロギー論の持ち主になるだけでしょうね。カビが生えたイデオロギー論者にも異様に見えた選挙戦において、反省点は多くあるはずです。
 この辺りは、オックスフォード大学で西欧の左翼政党の研究をしているマット•マイヤーズの意見は傾聴してみれば、朧げながら見えてくるものもあります。「左翼政党の衰退は新自由主義と製造業ベース経済の弱体化ばかりが原因ではない。移民や女性など労働者の新しい構成員を認識できず、「社会資本主義」を受け入れてしまった」
 土井たか子は、個人ファンとは言え多くの女性が社会党員に登録しました。きっかけは土井の個人人気だったとしても、それを定着できるような努力があれば仮に土井から委員長職を下ろすとしても、土井が示そうとした最後の「構造改革」を社会党が受け入れていれば、もっと違う歴史があったはずですが左翼はおろか労働組合も衰退の兆候を見逃してしまい、それでも労働組合とは違う社会運動は生み出しても、弱体化した労組以上の運動にはならない歯痒さは日本のリベラル派にも痛感してほしいとは思います。
 立憲民主党の支持者は高齢者ばかりである。だからもっと若者向けの政策でなければという一部で言われている事も総論も各論も疑問にしか思えないです。有権者はいくら年齢が近いとは言え、若者と括られて選挙対策ができるほど単純とは思わないです。就職氷河期が政党運動ではよく俎上に上りますが、いつのまにかたち消えになっているのは結果として就職氷河期という時代はすでに歴史であり、本来ならもう社会福祉で対応すべき問題をわざわざ視野を狭くしています。貧困問題はもっと構造的です。一見して、なんの問題も無さそうな人も実はかなりギリギリの生活に悩まされている。という理解はそれこそ街で徹底的に選挙区民に会わないと分からないです。データを重視することは非常に大事です。ただ人の営みはデータだけでは不十分の部分もあります。その役割を党員が担うべきなのですが、そうした泥臭い事より夢のような空間で誰もが褒めてくれる環境に身を置きたいなら、仮に代議士の椅子に座り続けても存在意義がないですね。
 そういえばもう一つ、昨年気になった事がありました。私も一応労組役員生活に二つ目の区切りとなり、当然今後再登板もあるかもと思って色々と関係労組の大会に出席したのですが、いつもなら勝つにせよ、負けるにせよ「私共が応援した立憲民主党と国民民主党」という言葉がなく「私達が推薦した人達が多く当選した」という一歩引いた言葉が気になりました。杞憂であれば、それで終わりですが、一律にそうした言葉がどこの単組にも出てくると、これは何かの前触れなのか?希望の党直前も「政界再編による政権交代」という言葉がやけに多かったという事も思い出されます。政権交代はともかく政界再編は行われ、その結果国際的に見ても奇異に映る日本の政治状況です。左派が不在。相当な右傾化をしたとは言えまだ社会主義をコアにするフランス社会党やドイツ社民党が良心的に見えるほど、日本の左派は政局のために大義を捨てました。日本共産党はコミンテルンを脱却できず、社会民主党は本質は山本太郎新撰組と同じくコアよりも選挙互助会になることを選びました。ましてや民主党は••。

万国社会党復活へ

 歴史になったのは、民進党も同じで前原誠司と枝野幸男の代表選は保守VSリベラルと言われたものです。左派とは言えない2人の対決は前原が勝利したと同時に無効票が8票出ました。風が強い時はズルズルと政策変換を容認するのに、負ければ政策を磨くのではなく解党だ、政界再編だと言って組織ごと党を売り払ってしまう。そのあまりの厚顔無恥の態度が有権者の不信を煽っていますが、その体質は10数年見てきてほとんど変わらない。あの選挙後、私は非常に覚えているシーンがあります。テレビでたまたまついていたニュースで希望の党が小池、前原を突き上げているシーンが流れていました。家族がゲームに楽しんでいる中、私は少し前に起こった中央の政局とハレーションがあまりに大きかった地方の労組と政党において、つくづく思いました。自民党は自分党と言われるぐらい我が強い政党。民進党は他人党。少しでも失敗の兆しがあれば、誰かが悪い。連合が悪い、小沢鳩山が悪い、共産党が悪い、小池が悪い。もちろん悪質で過失があったと人と団体で私も自省していますが、それでは民進党には「自分」があるのか?コロコロと政策を変えて、党員が「ブレていない」と絶賛し、おまけに選挙で伸び悩む。そうなれば他人が悪いという話になる。彼らには政権交代が最大の目標となっており、政権として何をやりたいのかが希薄で、一度掲げた政策を思わぬカウンターを受けるとしどろもどろになる。対話で解決する事がもっともですが、世の中対話する気がない人にまで対話を求めるのは難しいです。労組においても不誠実交渉というものがあり、それがはっきりと態度で示されると交渉から交渉から行動に移る段階です。もちろん行動については、様々な戦術を取るべきですが参政党員を切り崩し、こちらもオルグを仕掛けることは可能ですが、参政党に対話は不可能です。それでも対話を求めるというのなら、私が組合員なら仲間を集めて行動する組合を結成し直します。世の中対話だけで解決できれば、戦争どころか労働争議も起こりません。対話を不可能な場合どういう態度を取るか試されているのは、その部分です。野田佳彦執行部も玉木雄一郎執行部もその点は大いに不安です。期待する方がどうかしていると言われるかもしれないですが、連合は民主党に政権を取らせるために多くの候補者を見捨ててきたという意味では罪深いです。こうした批判は受けるべき。私も同罪。大義のためと言いつつも、多くの候補者が連合を頼って、信じて選挙を闘ってくれたのだから私は政党はともかく個人として、ともに闘った同志を売り渡す気はないです。世の中大義のためだ、必要な犠牲だと言ってそれが平気な人もいますが、私はそれほど大人でもないし、人間です。
 だからこそ、今こそ仮に進歩的な政党を目指すなら参考にできるかどうかは別として海外の近しい政党と友党関係を築くべきと思います。社会主義インターにいまいちハマらなかった日本社会党と同じく、民主党になればそれよりもっと国際連帯から遠ざかっています。何もかも海外と同じにしなさいとは思わないですが、上っ面だけ学ぶよりもっとしっかり交流する事を目的にしてみては?と思います。菅直人は拒否したとは言え、民主党の初期は「第3の道サミット」と命名し、ブレア、クリントン、シュレーダーと国際交流しようとする動きがありました。私は「第3の道」を全く買っていませんが、それでも必要なことなら貪欲に学ぶ姿勢ぐらいは見せてはどうか?タレントになれない人から説教を受けてニコニコするぐらいなら。と言う私の言葉はキツイでしょうか?適正な評価だと思います。万国を束ねるイデオロギーが皮肉にも「自国ファースト」となり、その影にはKGBが見え隠れする現在において、再び万国の左翼が立ち上がるためには、優秀なオルガナイザーが必要です。その育成には投資が必要です。ネットメディアに出ている暇はないです。党内構造改革は江田三郎以来の悲願なんです。


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