『卒業』とミセスロビンソンについて思うこと
先日こちらのnoteでも言ったのだけれど、
30歳になるまでの間にする、Little Bucket Listを作った。
いくつかのものは達成したけれど、
いくつかのものは誕生日の後に取り組むことにしてみたり。
その時の感情を大切にしたいから、
リストの内容は、できるだけ無理して取り組むことはしないようにしている。
その一つの中に、映画『卒業』を観るというものがあった。
『卒業』は、1967年に公開されたダスティン・ホフマンが主演の映画だ。
Simon&Garfunkleが好きで、
サウンドオブサイレンスを子供の頃から聴いていたので、彼らの曲が使われたこの映画が、どんな物なのかずっと知りたかった。
今日は朝早く起きたので、
ベットの上のプロジェクターでゆっくりと二時間近くの映画を観ていた。

この映画を観て驚いたのが、
主人公を誘惑する人妻、ミセスロビンソンが圧倒的に魅力的で美しい人物だったということだ。
あらすじだけ知っていた私は、
当然のように彼女を性に奔放などうしようもない中年女性だと思っていたのに、スクリーンに映る彼女は恐ろしくクールで、洗練された女性だった。
煙草を吸う姿も、服を脱ぐ姿も、
ベッドに横たわってシーツに包まる姿も、何もかもが美しい。物腰がゆったりしてどこか威圧的で、低い声でゆっくりと話す。
映画の中で、彼女がその完璧な表情を崩すことはほんの数回しかない。
ひとつは、自分が美術学生だったことを主人公に話すとき。
ふたつは、主人公が自分たちの関係を娘に打ち明けてしまったとき。
最後は、
その娘が主人公と教会から出ていくシーンだ。
「Late ...too Late (もう何もかも遅いのよ)」
そう彼女が叫ぶと、
娘は、彼女の顔を見てきっぱりとこう言う。
「Not for me. (私には遅くないわ)」
娘を身籠り、結婚することになって、
自分の人生から身を引いた女性。
ミセスロビンソンには、そういう女性の悲しみが詰まっているのかもしれない。
sina
