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私事をもう少々

改まってこのような場で自分の生い立ちを語ることはあまりしない性格ですが、私についてもう少し深く知っていただくためには、これが一番だろうということで、長くなりますがお付き合いいただければ幸いです。

英語でも同じ記事を書きましたので、興味があればそちらもぜひどうぞ)

3歳の時に親が離婚し父子家庭で育った私は、経済的にこれといって困窮するようなことはなく、父(と同居していた祖母)の愛情をたしかに受けつつ育ったものの、一人っ子・運動が苦手・友達の作り方を知らないと三拍子揃い、 病原体のごとく避けられる類の扱いを、同級生のみならず上級生や下級生にも受け続ける毎日でした。

当時はそこまで自覚がありませんでしたが、今思えば一般的に言う "いじめ" の定義に十分当てはまるのではないでしょうか。何かとプライドだけは高かった私にしてみれば「認めたくなかった」という方が正しいのかもしれません。

小2から中2までは、発症率が1万人に1人と言われる奇病(正式な病名は不明ですが、おそらくトゥレット症やチックなどに似たもの)で脳神経科に通い、何かに没頭しすぎると手指や口が勝手に動くということで、 ファミコン・スーファミ黄金期という中、テレビゲームで遊ぶことを禁じられていました。

何かと不自由で安定性を欠き、肩身が狭かった少年時代。私は「(家族・親戚・学校や習い事の先生・はたまた赤の他人を含む)自分以外のこの世の全人類がどこか自分のいない場所で定期的に集まって『死ね、死ね…』と唱えながら儀式を執り行って自分を呪っているに違いない」と妄想…いや本気で想像していました。

子供ながらに人生がとても暗く辛く理不尽なものであることに、自身を納得させるべく、無意識に何らかの理由を求めていたのでしょう。

そんな "妄想癖" は中学生活も後半に差し掛かった頃、バスケットボールを始めるまで続きました。

友達付き合いが下手で運動音痴とはいえ、さすがに惨めな年月に嫌気がさした私は、 どうにか自分の境遇を変えたい一心で(中学生なりのヒエラルキー?カースト?の頂点にいた)バスケ部に入ることに。練習に励み、引退まで辞めなかったことで周囲の見る目も変わり、 何かと弱者をいじめる悪い癖を持つ体育教師を含め、それまで私を散々罵っていた人間のほとんどが今度は逆に自分を慕うようになって、自ずと友達も増えていきました。

「自分の価値を示すことで相手に認められる」というこの経験は、時に傲慢ともいえるまでの大きな自信となり、以来さまざまな逆境を乗り越えるための力となっていきます。

同時に、バスケットボールというスポーツにすっかり魅せられた私は、「将来はNBA選手になる」という夢を抱きつつ高校生活を送るのですが、その夢の主たる原動力は「これまでとことん苦しんだ分、人並み以上に幸せになれないのなら、生きてる価値がない」 という振り子の法則に欲望のまま則ったような、極端なものでした。

一人で何時間も練習したり、外でよく走っていたことから、体力だけはあった私。目標に向かって激しく努力はするものの実力が伴わぬ中、協調性に欠け何かと孤立する傾向があったり、 それ以前の "歪み" の反動もあって父や祖母に対する感謝や尊敬の念にも欠け、さらには高校卒業直前に深刻な腰痛に見舞われ全治1年以上。

...そんな自分にとっては、今思えばあまりにも非現実的な夢であった、と言わざるを得ぬでしょう。

その後「日本でいても、できることもやりたいこともない」という雑な動機により、19歳で渡米し、20代のほとんどをアメリカで過ごすことに。それまで頭の片隅では叶わぬ夢と悟りつつもほぼバスケに全振りだっただけに、 "友達" を作ることは難なくできても "男女の関係" には疎く、性的な経験が浅いことに対してのコンプレックスには大いに苦しみました(よく言われる「バスケ=モテる」という法則は、どうも私には当てはまらなかったようです)。

思えば3歳の時に家を出て行った産みの母がロクでもない生き物(詳細はまた別の機会に…)であり、身近に女性らしい女性が一人もいない環境で育ったことから、元より "女性" という存在そのものへの苦手意識や不信感と同時に、 セックス・恋愛への憧れや好奇心といったものは人一倍強かった私。

「大学卒業まで性的な経験が0に等しくも幸せな人生を送っている人もたくさんいる」と言って励まそうとしてくれた人たちもおり、たしかに事実ではありますが、夢破れた失意から少年時代の "歪み" まで引きずっていた私にとって「童貞かつパートナーいない歴20数年」 というのはあまりに耐え難いもので、一歩間違えば、かのエリオット・ロジャーくんのようになっていたかもしれません。

誰にも十分な理解や解決方法を得られず、複雑な家庭環境の中で恨み劣等感を植え付けられ続けてきた中学時代のように、満たされぬ孤独心の闇とひたすら向き合うものの、処理しきれず、再び精神が崩壊しました。

特に重症だった時期は数ヶ月ほど自分の部屋に閉じこもり、大学の授業も全て欠席した後、「どうにか惨めな状況を変えたい」と、ひとまず行動を起こすことに。 とはいえ(特に公共の場で)英語でのコミュニケーションに多少の難があった私にとっては、クラブやバーに出向いて手当たり次第に女子に話しかける、などというのはあまり気が進みませんでしたし、そもそも得策ではないように感じました。

代わりに、ポルノ女優によるセックスコーチング、PUA(ナンパ師)の講演やらDVDなど、いろんな情報商材を漁り始め、狂おしい思いで学び、自己流ながらも鍛錬を積み重ねた日々。 「ようやく好みの女性と触れ合う機会を得られた時に困らないように」ということで、大学のオフシーズンにはセックスが上手くなりたい一心でRanches(売春宿)にも通いつめ、それも含めると、合計で新車が買えるほどの "研究費" は払ってきたかと思います。

そんな中、出会って体を重ねてきたいろんな人種の女性たち、真の "有識者" たちから「世の男のほとんどは自分本位で、セックスもコミュニケーションも壊滅的に下手。経験人数とか、交際・結婚年数とかは関係ない」と、当時の私にとってはかなり衝撃的な事実を聞かされることに。

加えてアメリカといえば、根強く蔓延るアジア人差別。私個人としては直接的な侮辱行為や嫌がらせなどを受けたことはないものの、とりわけアジア人の男性に対して「チンコが小さい」「性的な魅力に欠ける」などという固定観念の一端は、 あろうことか私が通っていたとある大学の講義にまで。

女性が本当に気持ちよくなれる方法について、的確な性教育を受けてさえいれば、それらは所詮 "固定観念" にすぎないのです。いいセックスの本質に人種の違いも何もありませんから。

そのことを実例をもって世に知らしめるというのは、私の大いなる楽しみであり、情熱でもあります。

留学生としては、たまたま周囲の日本人の大半よりはバイリンガルとして "優秀" だったことを見込まれ、以前より外人の彼氏がいる日本人女性の友達からよく相談を受けることがあった一方、 「心の底では外人女性と繋がってみたいけど、結局 "アジア人で妥協" する」といった日本人男性がたくさんいる、とも聞きました。

そんな諸々の体験や目の当たりにしてきた現実から「自分が性的に満足するだけで終わりじゃなく、似たような苦しみを抱える人に寄り添い、望ましい方向に導いてあげられるようになりたい」と願うようにもなり、 男女のつながりとコミュニケーション、心と体の健康について、その後さらなる関連分野の座学や訓練を積み今に至る...というのが、大まかな所であります。

「で、結局のところテメェは何モンや?」と聞かれましたら、「バスケとカードゲームと、いい女とのいいセックスが大好きな、ただの昭和生まれの男です」と答えるでしょう。 性教育やポリアモリーといった分野では、素敵な活動をなさっておられ、影響力もある方がたくさんいます。リンパドレナージュセラピストの資格は取りましたが、 その後サロンで働いたこともなければ、お金の発生する施術の経験もありません。英語だって、まだまだ勉強中の身です。

共感しづらい部分も多々あるかとはお察ししますが、こんな私でも、誰かしらにとって、きっと何かしらの参考になるであろうことを、自分が最も伝えたい形で伝えやすくできたらと思い、こうしてnoteの方にも着手することに致しました。

ほんの少しでも興味や好奇心が湧きましたら、他の記事やYouTubeSNSなど各種プラットフォームの方もぜひ一度ご覧ください。

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