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【ホラー小説】地下鉄の迷子


終電だった。

車両には私を含めて四人しかいない。

向かいの席で眠るサラリーマン。

ドア横でスマートフォンを見続ける若い女。

車両の端で俯いている老人。

誰も話さない。

蛍光灯の白い光だけが静かに揺れている。

私は窓に映る自分の顔を眺めていた。

残業帰りだった。

頭が重い。

目を閉じたら、そのまま眠れそうだった。

そのとき。

――コツ。

どこかで靴音がした。

私は顔を上げる。

誰も動いていない。

老人も。

女も。

眠る男も。

列車は暗いトンネルを走り続けている。

気のせいか。

そう思って窓へ目を戻した。

窓の中の私の後ろを、何かが横切った。

私は振り返る。

誰もいない。

連結部まで見渡す。

誰もいない。

もう一度窓を見る。

そこには私しか映っていなかった。


次の駅に停車した。

ドアが開く。

誰も乗ってこない。

誰も降りない。

発車ベル。

ドアが閉まる。

列車が動き出す。

その瞬間だった。

スピーカーから雑音が流れた。

ザー……

ザー……

古いラジオみたいな音。

私は顔を上げた。

車内放送だろうか。

だが駅名は聞こえない。

雑音の奥で。

何かが聞こえた。

「そこにいるの」

私は思わずスピーカーを見る。

誰も反応しない。

サラリーマンは眠ったまま。

女はスマートフォンから目を離さない。

老人も動かない。

まるで聞こえていない。


列車は再びトンネルへ入った。

窓が黒くなる。

私は何となく窓を見た。

その瞬間。

心臓がひとつ遅れた。

映っている。

私の後ろに。

誰か。

顔は見えない。

輪郭だけ。

立っている。

瞬きをする。

消える。

私は息を吐いた。

窓に映るのは私だけだった。


次の駅。

ドアが開く。

ホームは無人だった。

広告もない。

売店もない。

白い壁が続いているだけ。

列車が発車する。

ザー……

スピーカーが鳴る。

そして。

「返事をして」

今度ははっきり聞こえた。

私は周囲を見る。

誰も顔を上げない。

誰も聞いていない。

聞いているのは私だけだ。


耳鳴りが始まった。

キィィィィ――――

細い音。

だんだん高くなる。

私は立ち上がった。

嫌な予感がした。

隣の車両へ移ろう。

そう思った。

連結部へ向かう。

ガラス扉の向こう。

次の車両が見える。

その奥。

誰かが立っていた。

暗くて顔は見えない。

列車が揺れる。

人影も揺れる。

だが。

乗客なら揺れ方がおかしかった。

列車と少しずれていた。

まるで映像だけ遅れているみたいに。

私は足を止めた。

瞬きをする。

人影は消えていた。


列車が停車する。

私はホームへ降りた。

降りるつもりはなかった。

だが気づけば足が動いていた。

ホームは静かだった。

時計がない。

案内板もない。

改札の方向も分からない。

聞こえるのは列車のモーター音だけ。

私は駅名標を探した。

柱に白い看板がある。

そこへ近づく。

黒い文字が見えた。

私は眉をひそめた。

駅名だった。

だが知らない名前だった。

いや。

名前ではなかった。

そこにはこう書かれていた。

「まいご」


背後でドアが閉まる。

私は振り返る。

列車はまだ停車している。

車内の窓を見る。

乗客たちがこちらを見ていた。

眠っていた男も。

女も。

老人も。

全員が。

顔だけこちらを向いている。

その中央。

窓に私がいた。

車内に。

私が座っている。

ホームにも私がいる。

車内にも私がいる。

どちらも動かない。

ザー……

スピーカーから雑音が流れる。

その奥で声がした。

「まだだよ」

私の声だった。


列車が動き出す。

私は走ろうとした。

だが足が動かない。

靴底が床に沈んでいる。

濡れた土みたいな感触。

視線を落とす。

ホームの床一面に、黒い足跡が残っている。

無数に。

どこまでも。

そのすべてが同じ場所を歩き続けている。

駅名標の下を。

何度も。

何度も。

何度も。


そのとき思い出した。

私は終電に乗っていなかった。

乗ろうとしていた。

改札へ向かっていた。

ホームで誰かを見つけた。

背中だった。

私自身の背中だった。

そこから先の記憶がない。


列車は遠ざかる。

窓の中の私は小さくなる。

それでも目だけはずっとこちらを見ている。

やがて最後尾の窓が闇に消えた。

ホームに残ったのは私一人。

いや。

私だけではない。

足音が聞こえる。

後ろから。

――コツ。

――コツ。

――コツ。

振り返る。

誰もいない。

だが足音は止まらない。

近づいてくる。

私の歩幅と同じ速さで。

私の呼吸と同じ間隔で。

私の靴音と重なりながら。

そしてようやく分かった。

この駅で迷子になっているのは乗客じゃない。

ここを歩き続けている足音の正体も。

ずっと私だった。

【終】












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