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自分らしく生きる


二十歳のつどいのニュースを見た。
振袖姿の若者たちが眩しかった。
自分の娘が将来、振袖を着る日が来ないのかと思うと悲しくなる。
こんな気持ちになる日が来るなんて思わなかった。

二十歳の若者が生まれた20年前のニュースを見て、20年前の自分のことを振り返ってみた。
20年前、私は学生だった。
いま思えば、けっこう人生のターニングポイントになる出来事があった。



祖母の介護

20年前、母が祖母の介護をしていた。
祖母とは別居だったので通い介護だったが、私も駆り出されて手伝っていた。
当時、週1〜2回は母と一緒に祖母の家に泊まり、翌朝に祖母の家から学校に通っていた。

もともと元気でしっかりしていた祖母がどんどん出来ないことが増えていく姿を見るのは辛いものがあった。
認知症で孫の私のことが分からなくなり、祖母から「誰?」と言われたときはショックだった。

要介護5で認知症もあり、いま思えばよく在宅で介護していたなと思う。
ほかの親族と交代で祖母の介護をしていたが、腰を悪くする人もいて、みんな体の不調をきたしていた。そして心に余裕が持てなくなっていった。
同じ部屋で寝ていると、認知症の祖母は一晩中なにか訳の分からないことを喋っていて、こっちが眠れずにストレスを感じたことが多々ある。
決して祖母が悪いわけではないのに。
介護って本当に綺麗事ではないと思った。

その一方で嬉しいこともあった。
祖母はまだら認知症でときどきしっかりしている時もあり、自分で服のボタンを留めることなどは出来ていた。
服のボタンを留める祖母を私が見守っていると、ボタンを全部留め終えた祖母が「◯◯ちゃん(私)が見ててくれたから出来た」と言ってくれたことがあった。
認知症で普段はほとんど会話らしい会話ができない祖母がそんな風に言ってくれたことがとても嬉しかった。
胸が熱くなって泣きそうになったのをよく覚えている。

祖母の介護を経験して、どんなに老化や認知症が進んで出来ないことが増えたとしても、その人が自分らしく生きることが大切なんだと思った。
逆に自分らしく生きれないことは死ぬことよりも辛いのではないかとも思った。
「自分らしく生きる」というのが私の人生のテーマになった。
私が社会人になってから祖母は亡くなってしまったが、介護に携わることができてとても良かったと思う。

同級生の死

(センシティブな内容が含まれています。)



ちょうど20年前、中学時代の同級生が亡くなった。自死だった。うつ病を患っていたことを後から知った。

「電車に飛び込んだらしい」
「顔が半分しか残ってなかった」
「弔問したらお母さんがすごい疲れた様子だった」

信じられない情報が次々と入ってきてパニックに陥った。

亡くなった子とは中2、中3のとき同じクラスだった。
特別親しかったわけではないけれど、彼女の死があまりにも衝撃的でとてもショックを受けたのを昨日のことのように覚えている。

まわりの友人も「なんで助けてあげられなかったんだろう」「もっと話を聞けば良かった」と悔やんでも悔やみきれない思いを抱えていた。

葬儀に参列したが、彼女のことや、ご家族が気の毒でならなかった。
その後、しばらくは辛くて毎日泣いて過ごしていた。悲しい気持ちだけではなく、なぜだか怒りの感情も湧いてきたのを覚えている。

私が泣いているとき、何となく彼女の魂のような気配のようなものを感じたことがあった。
気のせいかもしれないけれど、彼女が「そんなに泣かないで」と言ってる気がした。
きっと彼女は私たち残された人間を悲しませたかったわけではないんだと思った。
そこから少しずつ前を向けるようになった気がする。

彼女の死を経験して、自死は残された人間がどんなに辛い思いをするのかを思い知った。
そして、命の尊さと儚さを感じた。
悲しみを乗り越えることは出来なくて、悲しみと共に生きていくこと、彼女との思い出を大切に生きること、肉体が無くなっても故人と心は繋がっていると思うことが私なりのグリーフケアだったと思う。


現在


最近の私は娘が生まれる前の自分のことを思い出そうとしている。
母親になってからは毎日子育てや仕事に追われていて「自分らしさって何だっけ?」状態だった。

娘の命を諦めたくはないけれど、闘病中の娘とあとどのくらい一緒に過ごせるか分からない。

娘がいなくなってしまったあと、どうやって生きていけばいいのか分からなくならないように、自分らしく生きていけるように、無意識のうちに模索しているのかもしれない。


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