『ローマ人盛衰原因論』⑤モンテスキューはなぜ帝政ローマを評価しなかったのか──拡大が生んだ専制と失われた原則
ローマ帝国は最大版図を築き、地中海世界を千年以上支配しました。
しかしモンテスキューにとって、
帝政ローマは「偉大な国家」ではありません。
理由は明確です。
ローマが本来持っていた “原則(principles)” が失われたからです。
戦う自作農からなる節倹な戦士集団
共同体のために戦う市民軍
三権の均衡による権力抑制
質素・規律・父祖の遺風を重んじる習俗
これらは共和政ローマの強さの源でした。
しかし急速な拡大が制度を変質させ、
皇帝が権力を一身に集める“専制” へと移行したとき、
ローマは別の国家になったとモンテスキューは考えます。
この記事では、モンテスキューが帝政ローマを評価しない理由を、 制度・軍事・行政・社会構造のレイヤーから整理します。
『ローマ人盛衰原因論』連載4回目は、こちら
◆ モンテスキューの基本的な歴史観
モンテスキューには、次の二つの前提があります。
民族には固有の特性があり、制度はそれを強化も弱体化もする
良い立法者は、民族の特性を生かす制度を作る
この視点から見ると、
帝政ローマは「ローマ人の特性を生かせなかった制度」でした。
共和政ローマの原則(節倹・規律・共同体意識)は、
帝政では部分的にしか残らず、
全体としては「堕落(corruption)」へ向かったとモンテスキューは判断します。

と、モンテスキューは考えていた
◆ 帝政ローマの特徴:通商国家・常備軍国家
ローマが巨大帝国になったことで、国家の性質は大きく変わりました。
経済の中心が農業→通商へ
軍事の中心が市民軍→職業軍人へ
行政の中心が共同体→中央集権へ
広大な領土を維持するためには、
物流
税制
軍事
属州統治
といった高度な行政能力が必要になり、
強力な中央集権=皇帝の権力集中が不可避になりました。
モンテスキューにとって、これは“専制”の始まりでした。

◆ 皇帝とは何か:権力の集中とその不安定さ
皇帝は「元老院議員の第一人者」という建前でしたが、実際には
執政官の権限
護民官の権限
軍事指揮権
法律解釈権
行政権
をすべて一身に集めた存在でした。
しかし、皇帝は万能ではなく、
元老院
ローマ市民
軍隊
の支持を失うと、すぐに暗殺される不安定な立場でもありました。
モンテスキューは、この構造を
「専制と隷従の悪循環」と見なします。

常にアピールしなくてはならなかった
◆ 軍隊の変質:ローマ軍は“ローマ人の軍”ではなくなった
帝政ローマでは、軍団は現地徴集が基本となり、
ゲルマン人などの異民族が軍の中心を占めるようになります。
モンテスキューはこれを強く批判します。
かつてローマは、敵の軍事技術を奪い、自らのものにした
しかし帝政では、自らの軍事技術を破壊し、他民族に依存した
軍の腐敗が進むと、ローマは“あらゆる民族の餌食”になった
軍の変質は、ローマの衰亡を決定づけたとモンテスキューは考えます。

◆ 専制の弊害:制度の腐敗と市民の無気力化
モンテスキューは、専制がもたらす弊害を次のように描きます。
皇帝に逆らうと生活の糧を奪われる
官職は賄賂・阿諛追従で得られる
民会は形骸化し、人民は政治的無力感に陥る
気骨ある人物が官職につけなくなる
社会全体が“隷従”の文化に染まる
共和政ローマのような
気概・節倹・共同体意識は失われ、
帝政ローマは“富と享楽の国家”へと変質していきます。

◆ それでもローマは千年続いた:地理と通商の力
モンテスキューは帝政ローマを評価しませんが、
帝国が長く続いた理由は認めています。
東ローマは地理的に守られていた
東西貿易の要衝として財政が安定していた
軍事技術だけは長く維持された
しかし、これらは制度の力ではなく、
地理と通商の力だとモンテスキューは考えます。
◆ 本書の意義:制度が国家の運命を決める
モンテスキューの議論には、現代の視点から見て異論もあります。
しかし、本書の価値は次の一点にあります。
制度・習俗・共同体の構造が、国家の盛衰を決める。
これは『法の精神』にも通じる、
モンテスキューの社会科学的な視点です。
ローマの盛衰を通して、
権力の集中
共同体の変質
軍事と経済の構造
制度と国民性の相互作用
といった普遍的なテーマが浮かび上がります。
→急速な拡大が制度を変質させ、専制を生んだローマ帝国の歴史は、地理と制度と物語が政治秩序を動かす構造を示しています。現代の地政学における“地政的コード”については、『現代地政学』第1回で扱っています。
ローマ帝国の盛衰を、制度・軍事・社会構造から立体的にたどるシリーズです。
共和政から帝政へ――ローマが変わっていく瞬間を、モンテスキューの洞察とともに追います。
