ホーソーン『緋文字』(5) 沈黙が象徴へ変わる瞬間──共同体が“神話”をつくる構造を読む
前回は、「沈黙」と葛藤するディムズデールのなかに、
人々のまなざしが映し出したものを見つめた。
最終回となる今回は、
祝祭の熱狂の中での「偶像」の死と、
その告白が共同体の「神話」へと変わる瞬間、について語りたい。
・ディムズデールの説教
祝祭の日、ボストンの町は華やいでいた。
パレードには、楽団、甲冑姿の軍人たち、主だった政治家や役人たちの姿が続き、聖職者たちが歩いていく。
ディムズデールは、
普段の衰弱ぶりを感じさせず、「その足取りには、いつものような弱々しさはなかった」。
ヘスターは、先日の森での「悲しい愛の語らい」を思い出し、寂しい気持ちになった。
「いま、あの人はまるで他人のようだ!
あの人は、にぎにぎしい音楽に包まれるようにして、
堂々と威儀を正した長老たちの行列にまじり、
誇らしげに通りすぎていく!
あの人は、世間的な地位が高く、とてもわたしには手がとどかない!」

ヘスターは、
パールを連れて教会に入ろうとしたが、
「その聖なる建物はもう一人の聴衆を入れる余地もないほど混んでいたので、彼女はさらし台のすぐそばに立つことにした」。
ディムズデールの説教は始まっていた。
「この発声装置(ディムズデールの「特徴ある声」)そのものが天からのこよなき贈り物で、
聴衆は、たとえ牧師の語る言葉がまったく理解できなくても、
その調子と抑揚を聞いているだけで、共鳴してからだを前後に揺さぶりはじめるのであった」。
ディムズデールの声は、論理を超えて人々に迫った。
難解な言葉は、神秘性を感じさせた。
理解できぬ部分さえ「神の深さ」として受け止められた。
衰えた身体から絞り出される声は「苦痛の叫び」となり、
説教は「聖者の試練」を目撃する場へと変わった。
人々はその苦悩を、神のしるしとして熱狂的に共有した。
そして最後に彼が放った言葉は、
「罪を犯した人間の心の哀願の叫び」のように聞こえた。
それは彼自身の罪を超え、共同体全体の罪の代弁として響き渡る。
人々はその告白を通して、自らの罪が贖われる感覚を味わった。

「耳をかたむける聴衆の魂を、波のうねりに乗せたように、
高みにもたらした雄弁な声もついにやんだ」。
人々は、「深遠な神のお告げ」を聞いたような、
「畏怖と驚異の念をひしひしと感じながら」沈黙した。
・さらし台
人々は教会を出て、「歓喜」の声をほとばしらせた。
通りも広場も、牧師を「称賛」する声で満ちた。
楽の音が響き、儀仗兵が足並みをそろえて進む。
行列は、町の公会堂へと進んだ。
祝祭の熱気が渦巻き、荘厳な宴会が待ち受けていた。
ディムズデールの雄弁に煽られた興奮は、ついに爆発した。
「かつて、ニューイングランドの土地から、このような叫びがあがったことはなかった!
かつて、ニューイングランドの土地に、この牧師ほどこの世の同胞からあがめられた者が立ったことはなかった!」
だが、牧師の姿を見た群衆は、次第に声を失った。
勝利のさなかに、彼は青ざめていた。

よろめきながら歩み出たディムズデールは、さらし台へと向きなおる。
「ヘスター」彼は呼んだ。
「パールも、おいで!」
血相を変えたチリングワースが群衆をかきわけて飛び出す。
「待て、気でも狂ったのか!」
「悪魔め!」牧師は拒絶した。
「神のお助けで、いまこそ私はあなたの手から逃れるのだ!」
群衆は茫然と、さらし台を見つめた。
・ディムズデールの告白
「このほうがよくはないだろうか」とディムズデールは、ヘスターにたずねた。
「わたしたちが森で夢見たことよりは?」
とまどいながらも、ヘスターはディムズデールを支えた。
「ニューイングランドのみなさん!」
ディムズデールは、「群衆に向かって」呼びかけた。
その声は、「高く、荘厳で、威厳にみちた」ものだったが、
その中には「悔恨と悲哀の底知れぬ深淵からあがき出てくる悲鳴」が混じっていた。
「わたしを愛してくださった、みなさん!
――わたしを聖者と見なしてくださった、みなさん!
――この世の罪人のなかの罪人、このわたしを見てください!
ついに!いま、やっと!
――七年まえに、わたしが立つべき場所に、わたしは立っています。
ここに、この女性とともに、ここに立っています。
ようやくの思いでここに這いあがったわたしの非力を、
ここにいるこの女性の腕が、
この危機の瞬間に、わたしが崩れ落ちないように支えてくれているのです!」
ディムズデールは、衰弱した身体から力を振り絞って、人々に語った。
信仰の「情熱」が、彼を支えていた。
「いまやっと、死をまぢかにひかえて、
その(罪人である)男はみなさんの前に立ったのです!
その男が、再度、ヘスターの緋文字を見てくださいと懇願するのです!
その男が言うのです
――それがいかほどの神秘的な恐怖をそそろうとも、
その男の胸にあるしるしにくらべれば、影にすぎず、
そしてまた、この彼自身の赤いしるしでさえ、
その心の奥底を焼きこがしたものの仮の姿にすぎない、と言うのです!
罪人に下された神の裁きに疑いをいだくかたは、
だれでもここに立ってください!そして見るがよい!
この恐ろしい証拠を!」

ディムズデールは、「痙攣的な動作」で、
「牧師のたれえりを胸から引きちぎった。
それは姿をあらわした!」
「恐怖にうたれた群衆の視線は、この恐ろしい奇跡のうえに注がれた」。
彼の胸に刻まれた烙印は、事実か幻かは定かでない。
だがそれは、罪が肉体にまで浸透し、共同体に贖いのしるしとして示された瞬間だった。
人々はそれを「聖なる傷」と呼ぶべきか、
「恐ろしい幻」と呼ぶべきか、答えを持たなかった。
ただ、その赤い痕跡が、
罪と救いの境界を越えて立ち現れたことだけは確かだった。
ディムズデールは、さらし台の上に崩れ落ちた。
ヘスターは、彼の頭を自分の胸にもたせかけた。
人々は、ただ「畏怖と驚異の念」に硬直し、ディムズデールの遺体を黙って見つめていた。
・神話の始まり
「いく日か」がすぎ、祭日の出来事について「その想をまとめるのに充分な時間がたった」ころ、
人々は“あの日、自分たちが見たものは何だったのか”について、語り始めた。
「たいていの目撃者は、その不幸な牧師の胸に――
ヘスター・プリンがつけていたのとそっくりの――
『緋文字』が刻まれているのを見たと断言した」。
その場にいた者たちは、
感激や恐怖、とまどいの表情を浮かべ、口々に語りあった。

「あれは神のしるしだ。
牧師の胸に刻まれた緋文字は、我らの罪を背負った証なのだ」
「いや、あれはただの病の痕跡にすぎぬ。
人々が勝手に意味を見出しているだけだ」
「彼の苦悶は我らの贖いとなった。
あの場にいた者は皆、救われたのだ」
「私は恐ろしかった。
あの沈黙の中で、何か超越的な力が働いていると感じた」
「救済だったのか、罰だったのか――私には今も分からぬ。
ただ、あの場面は忘れられない」
こうした声が重なり合い、
罪と救済をめぐるキリスト教的な構図が浮かび上がった。
イエスとマグダラのマリアの物語に重ねるように、
彼らはディムズデールとヘスターの姿を思い返したのである。
罪人の女と聖なる男――
その組み合わせは、共同体の視線の中で女性が罪を負いながらも、
男性の霊的転換を支えるというキリスト教の物語の構図を、鮮やかに示していた。
弱さは、尊さへと変わる――
このキリスト教的な逆説が、人々の記憶を支配していた。

ディムズデール自身の姿は、
ボストン市民にとってイエスとの共通点を思わせるものだった。
苦悶と受難を担い、
群衆の前での告白によって自己を犠牲にし、
胸に刻まれた“贖いのしるし”を示した彼は、
十字架のキリストを思わせる存在となった。
罪人(ヘスター)と結びつきながら共同体の救済を示す劇的な場面は、
宗教的な伝説化を促し、
彼を「聖者的存在」として記憶させる契機となったのである。
しかし――人々の解釈は一枚岩ではなかった。
ある者は「神の意志の証」と語り、
ある者は「偶然」の幻影と囁き、
さらに別の者は「人間の正義の無価値」を示す「寓話」と受け止めた。
誰もが同じ場面を目撃したはずなのに、
その意味は微妙に食い違っていたのである。
真実は一つではない――
この短い言葉が、「沈黙」の中で重く響いた。
時がたつにつれ、
「ヘスター・プリンがあんなにも長く緋文字を身につけることになった罪と牧師とが、
いささかなりとも関係があったなどとは、
その死にぎわの言葉で牧師は認めなかったし、
ほのめかすことさえなかった」という者たちまで現れた。
あれは救済だったのか、それとも罰だったのか――
「沈黙」の中で、この問いだけが残った。
プロテスタント共同体には独自の意味づけの枠組みがある。
ボストンでは、
想定外の出来事を「偶然」ではなく「神の意志」「運命」「象徴」として解釈するキリスト教の文化が根づいていた。

驚きは「無秩序」ではなく「神による超越的秩序」の証と感じられ、
群衆が同時に目撃し感情を共有することで、
個人的恐怖は集団的畏怖へと変わっていった。
ディムズデールの弱さは、
告白による自己犠牲と贖罪として再解釈され、
尊さへと昇華した。
胸の烙印や痙攣的な動作といった視覚的証拠はその転化を強めた。
最後に群衆が言葉を失い沈黙した瞬間、
日常的な驚きは超越的な畏怖へと切り替わったのである。
こうして、あの日の出来事は単なる牧師の死ではなく、
共同体にとって“神秘的体験”として強化され、
尊いものとして記憶されるに至った――
だがその尊さの意味は、今もなお揺らぎ続けている。
・「家系」の傷
「ディムズデール牧師が死んでほどなく、
ロジャー・チリングワースの名で知られていた老人の風貌と態度ほど目覚ましい変化をとげたものはなかった」。
牧師を失うと同時に、チリングワースは生きがいを失った。
チリングワースの風貌は「枯れ、しぼみ」、
「まるで日光にさらされてしおれていく根こそぎにされた雑草」のようになり、
「一年のうちに」死去してしまった。
このとき、ボストンの人々を驚かせたのは、
「遺言書によって、当地とイングランドにあった、かなりの財産をヘスター・プリンの娘パールに遺贈した」ことであった。
遺産は、呪いのように受け継がれる。
財産を相続した、ディムズデールの遺児パールをつれて、
ヘスターはボストンを離れた。
ボストンの人々は、長らく母子の消息を聞くことはなかった。
のちに、ヘスターだけがボストンに現れて、
「A」の緋文字をつけ、慈善のうちに生涯を送った。
チリングワースの遺産という「家系」の傷をつけたパールが、
どのような生涯を送ったのか――

「早死にして乙女のまま墓に入ってしまった」と噂をする者もいれば、
「パールは生きていたばかりか、幸せな結婚をしていて、いつも母親のことを気にかけ、この悲しく孤独な母親を自分の炉端に迎えたいと切望していた」と信じる者もいる。
ボストンの人々は、誰も真実を知らない――
この物語の作者、ナサニエル・ホーソーン(1804~1864)にも、
家系の傷があった。
本書の「税関」と題された長い序文で、
自分の「先祖」がセイラムの魔女裁判(本レビューの1回目)の「判事」であったことに触れている。
「魔女の殉難では名をとどろかせ、
その血が彼に汚点(しみ)を残したと言っても差し支えあるまい。
その汚点はあまりに深くしみ込んだので、
チャーター通りの墓地にある彼の古く枯れた骨は、
くずれて完全に土に還元していなければ、
いまだに汚点をとどめているに違いない!」
ホーソーンは、「家系」に残る「しるし」にこだわった。
私たちの誰もが、知らぬ間に「家系」の影を背負っているのではないか、と。
ディムズデールのように絶望するか、ヘスターのように反転させるか――
「この物語はなるほど暗いけれども、
たえず燃えさかる、影よりもなお暗い一点の光によってのみきわだち、
かつ救われているのである――」
最も暗い場所にこそ、光は際立つ――
この物語に潜む闇を、あなたならどう解釈するだろうか
『緋文字』の物語を、心理・社会構造・共同体の視点から読み解く連載です。
登場人物の“人間の弱さ”と、ピューリタン社会が生む“時代の力学”を、物語の空気ごと味わいます。
