見出し画像

スタンダール『赤と黒』──階級社会と青年の野心を読む(第1回)


スタンダール『赤と黒』(1830)は、 “生まれ”と“階級”が人間の運命を決定した19世紀フランスで、 下層出身の青年ジュリアン・ソレルがどのように世界と闘ったのか を描く物語である。

王政復古期の階級秩序、 宗教と出世の制度、 共同体の視線が若者の心理をどう縛るのか──。

本稿では、物語前半のあらすじとジュリアンの人物像を整理しながら、 彼の野心を形づくった19世紀フランスの社会構造を読み解いていく。


ジュリアンは、製板業を営む粗野な父と兄たちに疎まれながら育った田舎の青年で、
町の司祭から学んだラテン語を武器に、町長レナール氏の家庭教師となり、
やがて神学校を経てパリのラ・モール侯爵家の秘書へと進む。

「生まれ」の壁を越えて出世しようとする青年の野望と、
その道のりで出会う恋愛と挫折
が、物語の前半を形づくる。

今回は、スタンダールの名作『赤と黒』の連載第1回として、
ジュリアンの人物像と、
彼の野心を形づくった 1830年代フランスの階級社会
を丁寧に見ていきたい。 
 

 
『赤と黒(上)(下)』
 スタンダール著
 岩波文庫

 



1. ジュリアンの決意と王政復古期(1814–1830)の出世コース



ナポレオンを尊敬し、何が何でも出世をしてやる、と堅い決心をしているジュリアンは、女性に好意を持たれる容姿をしているが、垢ぬけないところのある田舎者だった(社交界ではマイナス要因)。

おまけに、ジュリアンの「生まれ」は、当時の階級社会からするとほぼ最下層に所属する(社交界では相手にされない)。

しかし、そんなハンディキャップがあってもジュリアンは諦めなかった。

その頃のフランスで家柄や「生まれ」を乗り越えるには、二種類のルートがある。

まず、①何らかの事業を成功させて富裕層に入り(ブルジョワの仲間になる)→役職をつかみ→地位(男爵の位などの爵位)を手に入れる
というルート。

そしてもう一つは、②カトリックの僧職で出世する(これも、貴族階級出身者のほうが出世は早い(親や親戚が教会に働きかけて、出世を後押ししてくれるから)が、基本的にはあらゆる階級に出世のチャンスが開かれている)
というルートである。



2. 宗教と階級の狭間で──ジュリアンの選択



ジュリアンは、田舎町(フランス東部のフランシュ–コンテにあるヴェリエール(スタンダールによる創作)という町)のブルジョワたちが大嫌いであり
(ジュリアンから見たら、品性下劣な連中だから)、
内心では宗教などこれっぽっちも信じていないうえに、キリスト教の僧侶たちのことも大嫌いだった
(ジュリアンから見たら、「偽善者」ばかりだから)。

しかし、ジュリアンに目をかけてくれるヴェリエールの実直な司祭シェラン師のことだけは、いくらか尊敬している。

父や兄たち家族に全く愛されていないジュリアンは、シェラン師が時おり示してくれる思いやりに感激して、涙ぐむほどだ。

とはいえ、ジュリアンは僧侶たちに対する嫌悪感をシェラン師にも隠し、「偽善」と「信仰」の「仮面」を師の前でも用心深く被り続けるのである。

勉強が得意なジュリアンは、僧侶が嫌いであっても、とりあえずカトリック教会での出世をめざす

 

3. 鬱屈と野心──青年像の核心



こう言えば、ジュリアンは気難しい人間としか思えないだろう。

実際、ジュリアンは気難しい青年なのである。

行動力があり、頭の回転が速く、機転が利き、駆け引きにたけているが、ときどき空回りもする。

自分の勘違いに気がついた時に、いち早く修正を図るところは現実家だが、一方で“自分のなかの英雄像(基本的に、ナポレオンがロールモデル)”に基づいた独自ルールに沿って異様な決意で行動するときもあり、それが他人を驚かす。

「その翌日、またレナール夫人(町長の妻。ジュリアンと心を通じ合わす仲になる)と顔を合わせたときの、ジュリアンの眼は異様に光っていた
(今夜こそ、夫人の手を握らなければ、自分は堂々たる色男(ジュリアンにとっては、ナポレオンだけでなく「ドン・ファン」も一種の英雄)になれない、という思い込みによる)。

彼は今にも相手にして戦わねばならぬ仇敵に対するかのように、彼女をにらみつけた。

昨夜とすっかり変わったこの眼差しに、レナール夫人はあわててしまった――あたしはやさしくしてあげたのに、この人は腹を立てているらしい。

彼女は彼から眼をそらすことができなかった」。

ジュリアンのこのような行動はほんの序の口で、「侮辱」をされたと思えばすぐに「決闘」を考え、「軽蔑」をされたと考えれば即座に攻撃的な態度を示す。

このように、田舎町でジュリアンは常に苛立ちを覚えている。

何故なら、自分の能力が正当に評価されないことが内心腹立たしいからである。

出世ルートの①を選択するにせよ②を選択するにせよ、出世コースに乗るためには(ジュリアンが観察したところでは)有力者におべっかを使わなければならない。

このような「卑しい」行為をとらねばならないことに、策略家な反面で潔癖なところのあるジュリアンは、腹立たしい思いをしているのである。

自らの才覚と軍功で成り上がったナポレオンが、ジュリアンの憧れの英雄だ




→ジュリアンを縛る共同体の視線は、17世紀アメリカのヘスター・プリンにも重なる。 彼女が選んだ「沈黙」については、こちら。



4. 1830年代フランスの階級社会──歴史的背景



こうしたジュリアンの鬱屈とした感情は、「一八三〇年代記」というこの小説の副題が示すように、時代の雰囲気を反映している。

1814年のナポレオンの失脚後、ブルボン王朝による王政復古が起こったが、フランスは革命前のような絶対王政には戻らなかった。

全ての国民の平等、という理念は残り、議会もあったが(一定以上の金額の税金を納めている富裕層しか選挙権は無かった)、
国王が行政権を掌握し、大臣の任命も国王が好きなように行えたのである。

そこに勢いを得ていたのが、貴族階級とカトリックの僧侶たちである。

しかし、ブルジョワたちは彼らがフランス革命前の特権を再び手に入れようとしていることに不満を抱いていた。

1830年に七月革命が起こると、貴族制度を強化しようとしたシャルル10世は追放される。

そして、ルイ=フィリップ1世が新たな国王になったが、これはブルジョワたちの主導する政府であった。


5. 革命前夜のフランスが映すもの──ジュリアンの運命



 『赤と黒』は、1830年の革命前夜の頃が舞台になっている。

 ジュリアンは、田舎町のヴェリエールの町長レナール氏(事業で成功を収めたブルジョワではあるが、田舎の名家出身であることが自慢)の邸宅とパリの侯爵ラ・モール氏(由緒ある貴族の家柄であり、国王の側近の一人)の邸宅で働き、二人のタイプの違う女性と恋愛をする。

 このような、ジュリアンの実生活(恋愛、日常での経験や仕事、田舎と都会の社交界の観察、そこで生まれる皮肉や怒りや嘆きなど)は、そのまま7月革命前夜の時代相を映し出しているのである。


 次回からは、ジュリアンの出世の道のりと、そこで出会う二人のヒロインたちについて語りたい。



→ 第2回では、地方都市で揺らぐ階級社会をたどります。


 スタンダール『赤と黒』を、ジュリアン・ソレルの青年像・階級社会・1830年代フランスの歴史的文脈から多角的に読み解くマガジンです。


いいなと思ったら応援しよう!