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日本人の感性で読み解く、藤井風『 It's Alright 』

日本時間:2026年4月23日(木)正午。5年10回越しに藤井風『 It's Alright 』のMVは公開に至った。

なんというかとっても奇抜なMVで、『満ちていく』や『grace』と違って度肝が抜かれるスタイル。情報量が多すぎて、混乱した人、腑に落ちない人も多かったことでしょう。かく言う私もその一人。



MV設計図(フローチャート)

あまりにも混乱したため、一つ一つの要素はひとまず横において、このMVの監督Nina McNeely(ニーナ・マクニーリーが、どういうプロットを描いてこのMVを作り上げたのかを想像してみることに。

プロットというよりフローチャートだけれども。

MVのフローチャート(想像)
一つの型を繰り返し、徐々にアップリフティングしているように見える。


「無からの創造」ではなく、「何か起きて→舞う」という一つの型と今あるものが結びついて、徐々にアップリフティング(Uplifting)していく動的な世界観が浮き上がってきた。


泥濘から始まる「花結び」

フローチャートは左下の【泥無くしては蓮無し】から始まり、風さんが芽吹くと穴堀り衆は皆で舞い始める。皆の衆で舞う。
画面は【静かなる心】へ。天界と思わしき所に天女とおもわれる者がいる。(便宜上、ここを天界・天女と呼びます)天女は蝶を解き放ち、花びらを下界に巻き散らすと下界に花びらが舞い、また下界の皆の衆が舞う。天女も一緒に天界で舞う。
繋がっていなかった二つの階層が、花で結ばれる。:花結び

繋がっていなかった二つの階層が、花で結ばれる。:花結び
It's All, rightで、桜の「花」が舞った下界とと花笑む場所の「花」が繋がる:花繋がり


ここで、1回目の It's All, right 
It's Alright(大丈夫だよ)が、It's All, right(すべては正しい)に歌詞も声の高低も急に変化する瞬間がくる。花で結ばれた下界は、さらに上の階層【地球は花と笑う(花笑む)】へ、反転のエネルギーで繋がる。
花結びで花笑む場所へ花→花:花繋がり

藤井風『 It's Alright 』公式MVで It's all,right に変わる瞬間  1:29あたり
それまで高々と歌っていたのが「right(正しい)」で低音ヴォイスに。
反転の力で次の階層へアップリフティング
藤井風『 It's Alright 』公式MVより

虹がかかり、花々が咲き乱れる場所で舞ってると、石像から光の雫が零れる。この光の雫の出処はどこだろう?うーん、お星さまがちらちらおるな。

光の雫が天女に注がれ、花笑む場所と天女が結ばれる。天女から下界にも光が注がれ、天女と下界も結ばれる。光→光:光結び(星→星:星結びでもいいかなと今思った。図を書き直すのもアレなので光のままでいきます)

石像の眼から零れ落ちる光が天女に注がれ、天女から下界へ光を降らす。
下界と花笑む場所がそれぞれの場所で舞い、呼応するような形で完全に光で結ばれる:光結び


呼吸による「エネルギーの上昇」

光結び後の世界では、天女も舞って、穴掘り衆も舞う。花笑む皆の衆も舞う。頷きながらほくそ笑む、花笑む場所の藤井風。これはもしやそれぞれがぞれぞれの居場所で舞うことで下界→天界→花笑む場所が開通したのでは?

天女は何やら練り練りしながら伸び上がっている。
これはもしや「呼吸」による上昇の型では?

冒頭で土の中にいる風さんは、瞑想をするようなポーズをしていて、土の中の養分を吸収している様。【泥無くしては蓮は無し】の言葉の通り、蓮は泥の中の養分を吸って花を咲かせる。その可視化で土の中の養分を吸い、何かが派生するエフェクト後、土の中から風さんが這い出てくる。
つまり今いるところから上へと上昇したことになる。

呼吸による上昇の型

光結び後の世界で、天女と二羽の鳥のシーンがある。あの「ろくろっ首」のところ。Xのポストで私は知りましたが、鳥の首がねじねじする様はヨガのチャクラの図にそっくり。土の中では瞑想ポーズなので、天女も呼吸つながりで、呼吸による体内エネルギーの上昇と考えるととても流れがスムーズ。

白と黒の交差: 二羽の鳥が螺旋を描く姿は、下図にある二本のエネルギーラインが交差する様そのもの。交差する太陽と月、そして中央の通り道。なんかそのまんまですね。
心臓の拍動(収縮と拡張)や、血液の循環(動脈と静脈)を象徴しているとも解釈できる。

出典:ヨガ哲学における微細身(サトル・ボディ)の概念図
中央の「スシュムナー」と、螺旋状に交差する「イダー(左・月)」および「ピンガラ(右・太陽)」の三つのエネルギーの通り道(ナーディ)を表したもの。


瞑想しながら深く吸う-吐く、吸う-吐く、Ham-Sa、Ham-Saと呼吸を繰り返していたら、いつの間にか吐く-吸う、So-Hamになっちゃった!? テヘッ みたいな。これは溜めましたよ上昇エネルギーを。

もしかして、天女の首が伸びるのは、内に溜まったエネルギーが物理的な器を超えて突き抜けていく、「真の上昇」への決定的な前振りなのでは?
これから上がりますよー上がりますよー、いいですか?いきますよ?みたいな。

ちなみに、
Ham-Sa(ハムサ): 私は宇宙の一部 
So-Ham(ソーハム): 宇宙こそが私そのもの
という意味になるそうですよ。もうフラグ🚩でしかありませんね。
もしや、光の雫の出所は…


宇宙(あなた)と結ばれる「光繋がり」

画面では下界の皆の衆が、光結びで結ばれたエリアを通過してどんどん上昇していく。

ここで、2回目の It's All, right 。It's Alright(大丈夫だよ)が、It's All, right(すべては正しい)に変わる瞬間。
反転のエネルギーを利用して、さらに飛躍。光そのものがいる宇宙へ繋がる。光→光:光繋がり

藤井風『 It's Alright 』公式MVで It's all,right に変わる瞬間 3:02 あたり

なんか、ピッチ、ピッチ跳ねるのお魚さんみたい。
でも跳ね上がっているところは、あの楕円形ドームの箱庭の中なんですね。宇宙に行ったのかと思ってたけど。

Fujii Kaze - It's Alright [Official Video]より
飛び上がった男衆は花笑む場所の虹より上というか囲われている空の中

しかし、この箱庭というかこのドーム。どこかで見たことあるような。
水面>泥の下界(1階層目)>天女のところ(2階層目)>花笑む場所(3階層目)>小宇宙?

もしかして須弥山しゅみせん

須弥山の構造を現代的に解釈したイメージ図(AI生成)
Fujii Kaze - It's Alright [Official Video]より

ハリー・スタイルズみたいなピカピカキラキラの衣装きてる藤井風。まるで体内にお星さまを溜めてるみたいですね。しかも溢れんばかりに目も光っちゃって…。壊れた石像の眼から光の雫をこぼしたのは、やはり、あなた。その箱庭ドーム(小宇宙)と宇宙そのものであるあなたは、「結び」で結ばれているのですね…。

え、もしかして壊れた石像見つめてるから、光の雫があふれ出たとか?

宇宙は一つで、僕らは宇宙で繋がっているって、そういうことなの?


古事記 × 藤井風:共鳴する哲学

実は今、とあるきっかけで、国史を勉強している。国史って何?て思うと思うけど日本史のこと。国語は国語というのに、なぜ国史は国史と呼ばないのかな?。あえて国史と中学用の教科書の表紙に書いた心意気に感じるものがあって、その本読んでみることにした。

教科書冒頭で福沢諭吉の「学問のすゝめ」を載せたっていうのも凄く良い。
人は生まれながらに平等ではない。だからこそ知ることの大切さを説いた「学問のすゝめ」は、当時日本の人口が3000万人程であった時代に300万部も売れた超ベストセラー。世の中が大きく変わったあの時代のうごめきが求めたもの。そして今、時代はうねってる。先の不安を感じやすい多感なお年頃に学ぶ、中学教科書の冒頭に入れるとか。かっこよ。荒波を乗り越えれる芯の強い子に育ちそう。中学生の時にこの本を読みたかった。

それに、風さんについて書いたnoteで私も「学問のすゝめ」を引用したことがあって。もうこれは国史読むしかないでしょ?

そんなこんなで、国史を勉強してすぐに古事記がでてくるわけですよ。古事記の語り部口調の響きが心地よくて。流れで古事記(現代訳)も読んでみることにしたのです。

せっかく勉強したので簡単にまとめるね。

先に言っておきます。ここから先は藤井風語録について、まとめた内容ではないですからね?🚩

イザナギとイザナミの二神が天の沼矛(あめのぬぼこ)で混沌をかき回し、日本列島の最初の島(オノゴロ島)を生み出す「国生み(くにうみ)」のシーン。(AI生成)

『古事記』は単なる歴史書や神話集ではなく、約1300年前の日本人が「この世の中をどう捉え、どう生きるべきか」を記した、日本最古の哲学書とも言えるのではないかと思いました。

1.古事記の三巻構成と哲学の変遷

『古事記』は上・中・下の三巻に分かれており、それぞれが「神・英雄・人間」の時代を象徴しています。

『古事記』の三巻構成と哲学の変遷


2.構成から見える「3つの核心的哲学」

① 「産霊(むすひ)」:万物は常に生成し続ける
上巻の冒頭、天地が開けた時に最初に現れた神々の中に「タカミムスヒ」「カミムスヒ」という名があります。「むすひ」とは「結び」のこと。

ここで学んだ「結び」の精神を、本稿のフローチャートでは「花結び」「光結び」と呼びました。いにしえから伝わるこの概念を、そうした現代的で柔らかな言葉に置き換えることで、今の私たちの肌にもより自然に、しっくりとなじむのではないかと感じています。

  • 哲学の意味:異なるもの同士が結びつき、新しい生命や価値が「産まれ(むす)」、「霊(ひ)」が宿ること。

  • 特徴: 西洋哲学のような「無からの創造」ではなく、今あるものが結びついて「次々と産み出されていく」という動的な世界観


② 「清明心(あかきこころ)」:誠実さと明るさ
中巻の英雄たちの物語(ヤマトタケルなど)や、天岩戸のエピソードに流れているのは、「心の清らかさ」を尊ぶ姿勢です。

  • 哲学の意味: 「正しいか、間違っているか」という理屈よりも、その心に濁りがないか、執着を捨てて明るく振る舞っているか(清く明るい心)が重視される。

  • 特徴: 罪を「悪」と断罪するのではなく、「穢れ(しこり)」として洗い流せば(禊をすれば)元の清らかな状態に戻れる、という加点方式・再生の倫理観。「徳は積める」みたいな感じですかね。


③ 「言霊(ことだま)」:言葉は現実を動かす
下巻の和歌や物語のやり取りに見られるのが、言葉には霊的な力が宿っているという信念。

  • 哲学の意味: 言葉に出したことは現実になる。だからこそ、言葉を「磨く」ことや、美しい言葉(歌)を交わすことが、世界の調和を保つ方法であるという考え。

  • 特徴: 論理で論破するのではなく、共感や響き合いを大切にするコミュニケーションの哲学。


3.現世を肯定する「中今(なかいま)」の思想

巻を通して流れている最大の哲学が、「中今」です。

過去を悔やまず、未来を憂えず、
今この瞬間に神々と繋がっていることを喜ぶ。

『古事記』には、死後の世界(黄泉の国)を恐ろしい場所、あるいは汚れた場所として描く一方、この現実世界を「豊葦原のみずほの国」と呼び、祝福すべき場所として描いています。これは、「今、ここで生きていること自体が尊い」という、極めてポジティブな現世肯定の精神ではないでしょうか。

このように、『古事記』は「完璧な人間(神)」を描くのではなく、失敗したり、泣いたり、喧嘩したりする神々の姿を通じて、「未完成な私たちが、いかにして他者と結びつき(むすひ)、心を清めながら今を懸命に生きるか」という非常に人間臭い哲学を現代に伝えていると思います。

※古事記の哲学を分かりやすく紐解いている現代語訳を参考に、自分なりの解釈を広げています。

過去を悔やまず、未来を憂えず、今この瞬間に神々と繋がっていることを喜ぶ。
「中今」の精神イメージ(AI生成)


なるほどなるほど。
あれ?今、藤井風について書いてました??

風さんが良く言う言葉とかと古事記がリンクしているように感じない?

Answer is inside (答えは内側にある)
風さんがよく言う言葉。

「大切なものはすでに自分の中に持っている」って、こういうことだったんだ。何かを外から探してこなくても、改めて古事記を一から勉強し直さなくても、日本人の私たちは、魂の深いところでその感覚を「すでに知っている」


X(旧Twitter)で流れてくるのは、誰かが一生懸命にMVにある形の意味を調べたり、自分の背景・知識と照らし合わせたりする姿。それ自体が、古事記で言えば「混沌を整えようとする創造(修理固成)」であり、一つの「舞い」のような尊いアクションであると思います。

クラッシック音楽もオペラもバレエも、日本の伝統芸能も、どの地域の伝統も、古典と呼ばれる伝統芸能は、結局は「型」を磨き抜いた先に、言葉を超えた美しさや、魂が引き上げられる(アップリフティングな)体験を置いている。それは世界共通の言語といえると思いませんか?

日本の感性で入れば「古事記」や「仏教」という扉。
インドの感性で入れば「ヴェーダ哲学」という扉。
身体の感性で入れば「ヨガ」という扉。

どの扉から入ったとしても、行きつく先は同じだと思います。
だって「It’s Alright(すべては正しい)」のですから。

インタビューで、最終目標は、「絶対的な愛」になれるという事実を、世界中の誰もが気づけるように手助けをすること。と風さんは言ってました。

いろんな扉から入ってくるけど、道しるべは世界共通であって、「誰もが絶対的な愛になれる」という地点へ、全ての道は繋がっている。

このnoteが、MVを見て、あぁでもないこうでもないと語り合い、自分なりの「結び」を見つける道しるべになれれば、この上ないです。

藤井風『 It's Alright 』MVは、

入り口はどこでもいい。
ただ、その型(物語)の先にある光を、共に見に行こう

といった、優しく開かれたメッセージなのだと思います。


「天女は天界で、男は下界で舞い踊る」シーンも、
まさに『古事記』の「中今」——神も人も、それぞれの場所で、今この瞬間に響き合っている。

「今あるものが響き合って、自然に次元が上がっていく」という、より軽やかで本質的な響きは、今を生きる私たちへの尊い道しるべだと思います。



余談(壱)光の道

『 It's Alright 』MVをみたとき、一番最初に驚いたのは「しめ縄の太さ」。え?どうしちゃったのしめ縄ってくらい太くなってた。先行ティザー扱いの3枚のビジュのときに比べて、明らかに太い。

左)先行ティザーのしめ縄 右)MVのしめ縄

最初は出雲大社か?と思って調べたら、似たようなしめ縄は福岡の宮地嶽神社や岡山の阿智神社にもあって。あの太いしめ縄は、出雲大社だけだと思ってました…。細部の仕様の一致率でいったら「出雲大社」が一番一致してるといえるかな?

出雲大社のしめ縄
岡山県倉敷市にある「阿智神社」のしめ縄

調べていたら、素敵なエピソードがある凄く太いしめ縄の神社が見つかったので共有しますね。ご存じの方も多いと思いますが。

それは、宮地嶽神社。

福岡県の宮地嶽神社

宮地嶽神社といえば、一年に二回だけ、参道の先に夕日が沈んで一直線の光の筋ができる「光の道」で有名。

社殿から参道方面を向くとこんな感じ。ここに光の道ができるのですね。素敵~

このMVの型が「光結び」や「光繋がり」であることを考えると、この「光の道」を持つ神社のイメージが重なるのは、単なる偶然ではない気がします。まっすぐ空に向かって伸びる1本道は、MVの小宇宙に向かって、ロケットのように真っ直ぐに上昇していく様のようではありませんか。


MV冒頭の巨大なしめ縄は、そこが「神聖な光が通る場所」であることを示す、最大級のサイン(フラグ🚩)なのかもしれませんね。

そういえば、風さんの故郷である岡山県の有名な聖地・吉備津彦神社(朝日の宮)もまた、夏至の日に朝日が社殿を一直線に照らすことで知られています。残念ながら、こちらの神社のしめ縄は普通の太さでした…。

故郷に古くから宿る『光の通り道』の記憶。 それらがこの太いしめ縄という結界を通って、世界へと開通した……。 そんな『光繋がり』の物語が、ここには隠されている気がしてなりません。


型があるからこそ、型を破れる。

「型破り」とは、基本の「型」を徹底的に身につけた者が、そこから自由になることを指します(型がないのは、ただの「形無し」)。

このMVが放つ圧倒的な自由さは、緻密に組まれた『呼吸』や『儀式』といった型を、風さんが自らの身体で完璧に乗りこなしているからこそ生まれるものと私には思えるのです。


余談(弐)原作愛

5年、10回越しという長い歳月をかけて公開にこぎつけたこのMVは、最後に「VFXの処理が間に合わない」という理由で公開が延期されました。ずっずマネージャーのダイアリーを読んだとき、私はふと思ったのです。これは単なる海外制作にありがちな遅延ではなく、「藤井風への愛」ゆえのこだわりだったのではないか、と。

今回のMVで見せる風さんは、とても愛嬌があって、奇抜なことをしちゃう「少しズレた藤井風」そのものに見えます。こうした魅力をアニメの世界では「原作愛」と呼びます。制作陣が原作やキャラクターを好きすぎるあまり、その魅力を1ミリも損なわないよう限界まで作り込み、結果としてクオリティが「やばい」ことになってしまう状態です。

まなこゐ』のあとがきでも触れた『鬼滅の刃』の圧倒的な映像美にも通じるような、あの細部への執念。それは『藤井風』という唯一無二の「原作」を最高に輝かせたいという、制作チームの情熱が溢れ出した結果の「尊い」延期だった、のかもしれません。

型を極め、軽やかに「型破り」を体現する風さんと、それを「原作愛」で支えるクリエイターたち。その幸せな共鳴が、この美しい「光繋がり」の世界を生み出したのだと感じています。


あとがき:一番好きなシーン

皆さん、藤井風『 It's Alright 』のMVで一番好きなシーンはどこですか?

私は、やっぱり天女の【静かなる心】

Fujii Kaze - It's Alright [Official Video]より

天女はこの時、何を思っていたのだろう。
セリフをあてるならどんな感じかな。この後、蝶を手放すのだ。

「愛しくも哀しい我が蝶よ。わらわは飽き申した。さあ、お行きなさい。」

この後、蝶はどこに行ったのだろう。
MVを目を凝らしてみたけど、あの後、蝶はどこにも居ませんでした。

なので、もう一度、蝶がはゆらぐ姿を見てみたいと思って、童話を書きました。It's Alright のスピンアウト作品みたいな感じです。

もしよかったら、読んでみてくださいね。


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