ハイドン全交響曲解説 #020 高いホルンor低いホルン? トランペットは? 第20番
ハ長調「祝祭交響曲」特有の問題
ハイドンにとってハ長調の交響曲は、大勢の聴き手に向けて書いた「特別編」。今日の音楽愛好者にも強く訴えかける力を備えています。オーケストラ奏者にとっても、挑戦しがいのある唯一無二の作品群。ですので、この記事は「特別編」として、演奏の現場にいらっしゃる皆さんに向けて書きます。
ハイドンの交響曲中、ロンドン時代より前に書かれたハ長調曲の多くには、楽器編成上の大問題がつきまといます。今回取り上げる交響曲第20番は、その典型例。演奏者側の選択いかんで、聴き手が受ける印象は大きく違ってしまうのです。今回はこの件を解像度を上げて見ていきたいと思いますが、これは演奏実践の現場に是非ともお届けしたい話です。
演奏例の比較
4つの演奏例を掲げます。違いを聞き取れるでしょうか。
まず、こちらをお聴きください(演奏例1)。
端正な演奏でしたね。でも、少しばかり当たり障りのなく聞こえたかもしれません。
次はこちらです(演奏例2)。
少しだけ華やかに聞こえたのではないでしょうか。演奏の現場にいらっしゃる方なら、なにやら聞きなれない金管楽器に驚いたのではありませんか。
では、こちらは(演奏例3)。そうそう、通奏低音のチェンバロの音が聞こえますが、これは無視してください。
金管楽器が目立ち、さらに華やかに聞こえたと思います。終楽章の締めくくり寸前に炸裂した、金管楽器のとんでもない高音に気付きましたか。
最後にもう一つ(演奏例4)。
金管楽器がやたらと賑やかですね。ぐっと輝かしく聞こえたのではないでしょうか。
違いは金管楽器と打楽器の選択でした。まとめると、こうです。
演奏例1:低いホルン2
演奏例2:高いホルン2
演奏例3:ティンパニ、トランペット2、低いホルン2
演奏例4:ティンパニ、トランペット2、高いホルン2
解釈を分けるのは、①楽器編成にトランペットとティンパニを加えるか否か、②ホルンは「高い」「低い」のどちらを選択するか、以上の二点です。
トランペット・ティンパニ問題
まず①は、トランペット・ティンパニのパートに正当性を認めるか否かという、研究現場の領分の話です。前提となる背景情報を記しておくと、ハイドンの場合、円熟期の作品を除けばトランペットをハ長調以外の曲で使うことはなく、しかも、ティンパニとセットで使うのを通例としました。だからこそハ長調の交響曲が祝祭用として特別視されるわけですが、この二つの楽器が後年の演奏機会に付け加えられることもあったため、校訂方針により楽譜に違いが生じるのです。
第20番に即して言えば、慎重な編集方針をとる新全集は、ハイドン自身に由来する証拠なしとして、トランペットとティンパニの正当性を認めていません。ただし、多くの筆写譜を精査した結果、この作品が専らティンパニを含む形で普及したことも明らかにしていて、この点は気に留めておいてよいと思います。第13番のティンパニ・パートの場合のように、トランペットともども作曲者が追認した可能性も視野に留めておくべきかもしれません。なお、新全集がトランペット・ティンパニのパートを完全に削除はせず、小さな音符で印刷する労をとったのは、「推奨はしないが排除もしない」という意思表示と受け止めることができます。
ホルンは譜面のままなのか、オクターヴ下げるのか
一方②は、演奏の現場も巻き込み議論が紛糾している大問題です。私の手に余ります。幸い、この問題に造詣の深い方に助力を仰ぎ、お知恵を拝借することができました。 詳しくは、こちらの cherubino 様のブログ記事をご参照ください。
では、私自身の視点も加えつつ、書き連ねていきます。
ハイドンが使ったのは、バルブを備えないナチュラル・ホルンでした。少しのちの文献ですが、管弦楽法の大家ベルリオーズ(1803-1869)が、このようにまとめています。


小鍛冶邦隆監修、広瀬大介訳 2006 『管弦楽法』音楽之友社、pp.321-322
主にハ長調の曲で使われるC管には、例外的に「高い」「低い」の二種があると記されています。管長が長く深々とした響きを持つ「低いホルン」(黄色囲み)のほかに、管長が短く鋭い響きの「高いホルン」(赤囲み)があるのです。基本的に両者の音域にはオクターヴの開きがあり、高いホルンの実音は、普通のホルンのように記譜音のオクターヴ下とはならず、記譜音通りとなります。言い換えれば、トランペットと音域が被るということなので、いかに甲高い響きか想像がつくと思います。
厄介なことに、多くの場合、ハイドンがどちらを想定して書いたのか判別するのは容易ではありません。高いホルンは低いホルンに比べ、管長の短さゆえに音域が狭いので、曲で使われている音の上限・下限と照合すれば、どちらなのか判別する手掛かりを得られます。ただし、本連載でも度々見てきたように、ハイドンはホルンに関してはとりわけ無理をさせる人だったので、これが決め手になるとは限りません。
さらに問題を複雑にしているのは、先に記したように、ハ長調はハイドンにとって「トランペットを使える調」だったという事実です。トランペットと音域が被る高いホルンを併用するのはいかがなものか、と考える方がいてもおかしくはありません。ホルンがトランペットのオクターヴ下の音域でおおらかに鳴る後世のオーケストレーションに慣れている私たちにとって、これは自明のようにさえ思えるかもしれません。しかし、トランペットを含む作品でハイドン自身が高いホルンを指定したと確認できるケースは存在しており(後述)、やはりそう簡単な話ではないのです。
問題を複雑にする要因は、まだあります。演奏の現場側の事情です。高いホルンは低いホルンに比べ演奏が困難なようですね。私には管楽器の演奏経験がないので技術面の事情には暗いのですが、年季の入った聴き手として、高いホルンでは不安定な演奏となるケースが多く、しかも耳につきやすい音域で動くため粗が目立ちやすいと言うのは許されるでしょう。これはナチュラル・ホルンだけでなく、現代の楽器を用いた場合にも言えることです。リスクを負うこととなる高いホルンの使用を控え、低いホルンを選んで穏便に済ますケースがあったとしても不思議ではありません。
以上のように、「高いホルンor低いホルン問題」は一筋ならではいかないのです。この件を念頭に置きつつ、この交響曲を詳しく見ていきたいと思います。
交響曲第20番 ハ長調(Hob.Ⅰ:20)
自筆譜をはじめとする年代決定史料を欠くためエステルハージ家時代初期まで下る可能性を指摘されてきたものの、近年ではモルツィン家時代の1758~1760年頃の作品とされることが多いようです。
第3楽章にメヌエットを配した四楽章構成の交響曲です。この時代としては規模が大きく、華やかで外向的な性格が際立っています。
第1楽章 アレグロ・モルト
アレグロ(快活に)にわざわざモルト(非常に)と添えていることから、通常の開始楽章よりさらに勢いを持って演奏されるべきなのは明らかです(譜例1)。いきなり高音域で現れるヴァイオリンの跳躍音型、それを支えるヴィオラ、チェロ・バスの八分音符の躍動的な連打、いずれも祝祭的。
掲載した楽譜は新全集版なのですが、ホルン(Corni)には[basso](=低いホルン)と付記されています。カッコ表示は「編集者の判断」という意味なので、低いホルンの使用が推奨されているわけです。ちなみに、以前よく使われたロビンス・ランドン校訂によるランドン版では「alto」(=高いホルン)と明記されていました。また、新全集版でトランペット(Clarini)とティンパニのパートが小さな音符で印刷されているのは、「ハイドン自身に由来するパートではないが参考までに掲載する」という意味です。これらはランドン版では正当なパート扱いでした。

「第2主題」に当たる部分は、一風変わっています。弦主体の弱音で提示されるのは常套的なのですが、第44小節で唐突に短調へと逸れていって聴き手を驚かせます(譜例2)。

通常より大きな「展開部」を経て終結へ。この楽章、トランペット・ティンパニなしでも十分華やかですが、この両楽器が加われば、祝祭的な曲調がいっそう引き立つと感じます。
第2楽章 アンダンテ
間奏曲として構想されたと思しき静かな楽章。弦楽器のみで演奏されます(譜例3)。なお、ランドン版では「アンダンテ・カンタービレ」楽章とされていましたが、新全集ではご覧の通り、「カンタービレ」は第1ヴァイオリンのみへの指示と改められました。

ここまで旋律に頼った書き方は、ハイドンの交響曲では稀です。しかし、彼ならではの工夫も見られます。第21小節の「poco f(ポコ・フォルテ)」にご注目ください(譜例4)。「音量を少しだけ上げよ」という指示と受け止められますが、この時代には珍しい繊細な書法です。場面展開を巧みに演出し、単調に陥るのを防いています。ずっとピチカートに徹してきたヴィオラとチェロ・バスが弓奏に変わるのも効果的。なお、ヴィオラに2つの全音符が書かれていて2パートに分かれるようにも見えますが、これは奏者が一人しかいなくても重音奏法で十分に響かせることができます。

第3楽章 メヌエット
管楽器が再び加わります(譜例5)。トランペットとティンパニを加えたとしても場違いには感じられないほど堂々としたメヌエットです。

トリオ(中間部)は、この時期のハイドンとしては珍しく、下属調(主調の五度下の調)で書いています(譜例6)。普通ならト長調のところをヘ長調で書いているというわけです。そのため、いつもより少しだけ隔たった世界に迷い込むような雰囲気を醸し出します。弦楽器のみの編成となるのは、常套手段ではあっても効果的です。

第4楽章 フィナーレ プレスト
245小節を数える大きな楽章。長調の第一部のあとに短調の第二部が続き、そのあとに第一部が戻ってくる「三部形式」で書かれています。第一部は、いつもながらの快速調(譜例7)。

第二部は、弦楽器を主体とする落ち着いた曲調(譜例8)。

第一部を再現する第三部を経て、全曲の終結部にはコーダ(締めくくり)があるのですが、ここに興味深い瞬間が待っています(譜例9)。かつてロビンス・ランドンが、この作品のホルンがバッソではなくアルト(つまり「高いホルン」)と考える論拠として挙げた箇所です(赤囲み)。是非とも、冒頭に掲げた4つの演奏例を聴き比べてください。

トランペット(上から3段目)が輝かしい高いc(ド)に上がる一方で、ホルン(上から2段目)はオクターヴ下に下がってしまっています。ここは全曲のクライマックスで、そのための最高音投入という決定的場面なので、ホルンの挙動はいかにも不自然。「ハイドンがホルンにこの音を吹かせるのを回避したのは、この作品で想定したのが『高いホルン』だったから」とするのがランドンの主張です。低いホルンだったら十分対応なこの音(実音は記譜音のオクターヴ下になりますが)、高いホルンでは音域の物理的上限を超えてしまうので諦めた、と考えたわけです(H.C.Robbins Landon, Haydn: Chronicle and Works Ⅰ, p.296)。
ランドンの主張は決定打となりはしません。トランペット・パートの正当性が証明不可能と判定されたからには、ホルン・パートのここが高いc(ド)である必然性そのものが薄れるからです。にもかかわらず、この箇所はランドンの主張どおりトランペットと高いホルンで演奏した場合に、とりわけ魅力的に響くのも確かです(本稿冒頭の演奏例4をお聴きください)。
少しわき道にそれますが、ちょっと重要なことを書きます。ここでトランペットが吹く「高いc(ド)」は、実はこの楽器にとって演奏至難な最高音です。前掲ベルリオーズの著書の「トランペット」の項に「非常に難しい」と但し書きがあるほどです(同書p.360)。「物理的には可能だがリスクが大きいので使うな」という注意喚起ですね。となると、この音を使う作曲家など滅多にいないはず。気になったので、第20番と作曲年代の近いハ長調曲のC管トランペット・パートを調べてみました。ハイドン恐るべし。結果は思ったとおりでした。この挑戦的な最高音は、交響曲第32番ハ長調(1760~1761年頃?)第1楽章の第76小節と第154小節にも現れます。トランペットの用法でも、限界への挑戦を厭うようなことはなかったのですね。となると、第20番のトランペット・パートは、ハイドン由来と証明はできなくとも、実に彼に似つかわしいと言ってよいと思います。
ホルンに話を戻すと、この交響曲を各種編成で改めて聴き比べてみて、ハイドンが想定したのは「高いホルン」だとするランドン説に改めて説得力を感じたことを告白しておきます。ホルンの鋭い高音が華やかな曲想に合っているのに加え、祝祭的な場面にふさわしい非日常間の演出に、この上なく強力に貢献していると感じるのです。
これは単に、私がランドン監修によるアンタル・ドラティの交響曲全曲録音を聴いて育ったせいではないはずです。トランペットと高いホルンとの併用を否定しなくてもよいのでは、と考えるとともに、そうですね……、ハイドンの創作姿勢の根本にかかわる問題なのかもしれないと思ったりもします。
もう少しだけ書き連ねるとしましょう。
ハ長調「祝祭交響曲」は続く
ハ長調交響曲における「高いホルン」の使用について、さらに掘り下げてみます。これ以降にハイドンが残したハ長調交響曲の中には、間違いなく作曲者自身が高いホルンを指定したとみなせる作品がいくつかあります。注目すべきは、高いホルンとトランペットの併用が確実視される作品が含まれることです。
交響曲第56番(1774年)は、今日ではあまり有名ではないものの、ハイドンの「ハ長調祝祭交響曲」の白眉と言うべき傑作です。2本ずつのトランペットと高いホルンが大活躍し、曲の性格を決定づけます。
改めて聴いてみて、私自身、この曲の持つ凄みに圧倒されてしまいました。これまでに100回は聴いた曲だというのに。
高いホルンとトランペットを同時に使う場合、金管楽器同士がほぼ同じ音域で動き回る結果となります。一般的に言えば、このような用法はキャラクターが被るため避けて然るべきですが、ハイドンはそう考えませんでした。音域は被ってもキャラクターは被らせない術を心得ていたのです。驚きました。見事にさばいています。
一聴すればお分かりの通り、巧みに両楽器の個性を描き分け、この華やかな作品に輝きを添えています。いや、こんな腰の引けた書き方はふさわしくありませんね。トランペットと高いホルンの同時投入という秀逸なアイデアが根本にあって初めて、このような迫力ある傑作が成立するのだと思います。おとなしく安定感のある(普通の)低いホルンに安住していては、このような音楽は書けないのではないでしょうか。トランペットとの音域被りをものともしない、切迫感あふれる高いホルンの投入こそが構想の枢要にあったに違いありません。
本連載で何度も見てきたとおり、ハイドンは思い切った手法の新規開拓を躊躇しない人でした。彼がとりわけ愛した楽器であるホルンについても、それ以上に不自由な楽器だったトランペットについても、そうした姿勢は変わらなかったと捉えるべきだと思います。
最後に、演奏の現場に立つ皆さんへ
皆さんは、ホルンがトランペットの音域にまで舞い上がり、丁々発止のやり取りを繰り広げる場面を耳にしたことはありますか? のちの巨匠たち、たとえばモーツァルトやベートーヴェンが、C管トランペットのために高いc(ド)の音を書いた例を思い出せるでしょうか? モーツァルトの交響曲第41番ハ長調《ジュピター》(1788年)やベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調(1808年)といった大作でさえ、曲が最高潮に達する場面でもトランペットの最高音が主音のc(ド)に届くことはなく、四度下のg(ソ)止まりなのを御存じではありませんか?
19世紀フィルターを通して見ていると気付きにくいかもしれませんが、ハイドンの交響曲群はおとなしい作品ではありません。トランペットとホルンの大胆極まりない用法に着目しつつ一連のハ長調「祝祭交響曲」のどれか一曲に耳を傾けるだけでも、そのことはお分かりいただけます。
そのような作品を、当たり障りなく控えめに演奏するのは罪深いことです。ハイドンの初期・中期の交響曲は、今日のオーケストラ関係者にとって、取り組みがいがある作品の宝庫です。しかし、覚えておいてください。チャレンジ精神を忘れた演奏ほど、この進取の気性に富む創造者に似つかわしくないものはありません。
気概を持って挑む演奏をもっと聴きたいものだと、私はいつも思っています。
