古代日本を取り巻く外交関係その14ー白村江の戦いによる理想の現実化
以下の年表をご覧ください。
645年 乙巳の変
同年 難波遷都
646年 改新の詔
647年 冠位十三階の制定
648年 磐舟柵の設置
同年 唐・新羅の同盟成立
649年 冠位十九階の制定
653年 第2次遣唐使
654年 第3次遣唐使
同年 孝徳天皇崩御
655年 斉明天皇即位
658年 阿倍比羅夫の蝦夷征伐
659年 第4次遣唐使
660年 百済滅亡
661年 朝倉宮へ遷都
同年 斉明天皇崩御
662年 百済王子・豊璋を半島へ送出
663年 白村江の戦い
664年 水城の築造、防人・烽の設置
665年 第5次遣唐使(戦後処理のため送出)
667年 近江大津宮へ遷都
同年 山城を築く
同年 第6次遣唐使
668年 天智天皇即位
同年 近江令(実在?)
同年 高句麗滅亡
669年 第7次遣唐使(河内鯨らを派遣)670年 庚午年籍の作成
671年 天智天皇崩御
672年 壬申の乱
673年 天武天皇即位
676年 新羅が唐を追い出し、朝鮮半島を統一
白村江の戦い前後で
流れは
大きく変わっているでしょうか?
役人制度の整備からの
近江令制定。
継続的な遣唐使派遣による
中華帝国唐との接触。
磐船の柵設置や
阿倍比羅夫の蝦夷征伐による
諸豪族威嚇からの、
庚午年籍による
公地公民と班田収授。
朝倉宮遷都から始まる
白村江の戦いの準備から
その敗退。
そして、
水城設置などの防衛強化と
唐との関係修復
いずれも
一環した
流れです。
政権の方針に
一切の変更はありません。
ただ言えることは、
流れが
加速しています。
白村江の戦いをもって、
流れを加速する必要が
生じたのではありません。
当初からの必要性を
加速することが
可能になった
のではないでしょうか?
改新の詔でたてた方針を
一気に現実へ
進めることができたのです。
続きは、「古代日本を取り巻く外交関係その15ー敗戦必至の白村江 なぜ倭国は開戦に踏み切ったのか?」でお話します。
その13ー改新の詔
