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中学日本史 古代日本を取り巻く外交関係その12ー乙巳の変、そして大化の改新へ

そして、
乙巳の変です。

そして、
大化の改新のスタートです。


唐や朝鮮半島の動向が
緊迫しているにもかかわらず、
「古代日本を取り巻く外交関係その11」でお話したように、
中央集権化が進みません。


めるためには、
天皇か
蘇我氏の
どちらかに消えて貰わなければならないのです。

消されたのは、
蘇我氏です。


元々、
ヤマト王権は
豪族の連合政権
です。

その中で、
天皇が頭一つ抜けている
という感じです。

ですから、
蘇我氏以外の豪族は、
天皇が自分たちのことを
仕切るにならまだしも、
なぜ蘇我氏
仕切られなければならないのか
という不満
あったのです。

蘇我氏は、
自身の実力の大きさに
慢心
他からの不満
気にかけることが
なくなっていたのでしょう。


中大兄皇子
中臣鎌足らの
反対勢力に対する
意識が薄れ、
油断が生まれ、
粛清されるに至ったのです。


では、
どこまでを大化の改新というのか?

①天智天皇(中大兄皇子)が亡くなるまで。
②大宝律令(701年)が制定されるまで。
①②いずれにするか、
意見の別れるところです。

しかし、
乙巳の変
そして大化の改新を経て、
一気に
中央集権国家へ
舵を切ったことは確かです。


この変で何がわったのか?

中央集権国家とは何なのか?


中央集権国家
教科書的に言うと、

「天皇を中心とした、
一つの政府が
全国を統治する」

制度のことです。


この一文を二つに分けてみます。
天皇を中心とした」
「一つの政府が全国を統治
する」


「天皇を中心とした」

天皇=権威=正統性


天皇が
一切の権威を握る
ということです。

権威は
天皇のものです。

どう使おうと
天皇の自由です。

自分で使うも良し、
臣下に使わせるのも良し
ということです。


ずっと後、
この時から見れば
1千年程後、
徳川家康は
江戸幕府を開きます。

江戸幕府は、
強力な統治力
持っています。

これより前の
鎌倉幕府室町幕府などとは、
比べ物になりません。

しかし、
実力だけでは、
強力な統治力は発揮できません。

権威が必要です。


天皇
征夷大将軍という
武家として全国を統治する役職
任命して貰うのです。

権威の代行者
任命して貰うのです。

実際は、任命させているのですが。

権威の扱いは天皇の自由
→征夷大将軍に任命するのも自由
→天皇が嫌なら任命しなくてもいい(実質的な拒否権の有無は別問題)
→敢えての任命
→天皇権威の代行者となる
→統治権の正統性を手に入れる


現代にもこの名残があります。


例えば、
自動車の運転免許。
道路交通法に定められています。

この道路交通法を
作ったのは
国会です。

しかし、
我々国民に
公示(お知らせ)したのは
天皇陛下です。


天皇の国事行為(役割)として
憲法に規定されています。

(日本国憲法第7条第1号)
憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。


天皇陛下が
国民に
お知らせしなければ、
法律としての効力を
持ちません。

ということは、
自動車運転免許についても、
天皇陛下が、
国民に
お知らせしたのです。

こう見ると、
大化の改新と
現代の我々の生活は、
決して無関係ではないのです。


乙巳の変と大化の改新が、
いかに大改革
であったかがわかります。


「一つの政府が全国を統治する」

マニュアルによる国家運営

誰が天皇になろうとも、
国家の方向性(国家形態)に
影響を与えないということです。


乙巳の変から平安時代までで言えば、
律令体制です。

律=刑罰のマニュアル

令=役人の仕組みや税の仕組みなどを決めたマニュアル。


乙巳の変を経て、
大化の改新においては、
個人的権威
排除します。


そして、
天皇という地位(役職)の
神聖的権威と、
律令という
マニュアルにより
国家の運営を図るための
枠組みを
作っていったのです。


律令を作ったのは神聖な天皇❗

律令は絶対的なもの❗


続きは、「古代日本を取り巻く外交関係その13ー改新の詔」でお話します。

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