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中学日本史 古代日本を取り巻く外交関係その11ー蘇我氏の失敗編


「古代日本を取り巻く外交関係その11で蘇我氏の功績」
についてお話しました。


続いては、
蘇我氏の失敗についてです。


聖徳太子以来
倭国は、
中央集権国家を目指した
国造り
取り組んで来ました。


しかし、
ヤマト王権内において
強大な力を持つ
豪族
蘇我氏を、
排斥できずにいました。

蘇我氏は、
多くの領地領民のみならず、
大陸からの
渡来人
多く従えます。

その勢力は、
天皇を越えるものが
あったのです。

もし、
蘇我氏が、
天皇を退け、
自らが
その座を奪うことができれば、
その時点で、
倭国は
一気に、
中央集権国家と
なったでしょう。

しかし、
蘇我氏自身が、
それに踏み込むという
発想が
なかったと思われます。

既にこの時代、
天皇は不可侵で、
その下で、
外戚として
権力を振るう
という構図が
あったように思われます。


結果、
中央集権への道は
遅々として進みません

この間も
大陸情勢は、
次々と倭国へ
もたらされていたでしょう。

その情報をもってなお、
蘇我氏が、
自身の権力保全のみに
執着していたとは思えません。

政権のトップとしての公的なパイプ、
蘇我氏としての私的なパイプ
を駆使して、
詳細な情報を手に入れ、
大陸情勢
危惧
抱いていたのではないでしょうか?


山背大兄王
蘇我氏
殺害したことも、
権力の一本化
図るため
だったのかもしれません。


残念ながら、
こういった部分の資料は、
後の日本書紀などにより、
大化の改新の
正当化と、
蘇我蝦夷 入鹿を
悪役とするためか、
残っておらず、
想像の範囲を越えません。

同じ政権内に、
神聖権を持つ天皇と
実権を持つ蘇我氏が
並び立った状況です。

どちらも疎かにすることのできない
権威です。

諸豪族もどうしていいのか
わからなかたのでは
ないでしょうか?

政治思想の統一は図れたのに、
政府機構がバラバラという状態、
政治が前に進まない状況です。

これを打破するには、
天皇か蘇我氏に
歴史の舞台から
消えて貰うしか方法は
なかったのだと思います。


続きは、「古代日本を取り巻く外交関係その12ー乙巳の変、そして大化の改新へ」でお話します。








































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