中学日本史 古代日本を取り巻く外交関係その3ーなぜ百済と軍事同盟を結んだのか?
なぜ、倭国は、高句麗や新羅ではなく、百済と同盟関係を結んだのか?
国としての成立は、
まず高句麗、
次に百済、
そして新羅の順番です。
この成立の順番と
倭国にとっての文明文化の供給源
という目線で考えてみましょう。
(高句麗)
倭国から
遠すぎて、
スムーズに
文明文化の輸入ができません。
又、
高句麗は、
倭国にとっての
鉄の供給源である
加羅諸国からも
遠いので、
倭国が
百済や新羅から
妨害されても、
直ぐ助けて貰うことができません。
逆も同じです。
高句麗にとっての
一番の脅威は、
中華帝国です。
高句麗にとっても、
倭国は遠すぎるのです。
お互い同盟することに
メリットがない❗
因みに
同国好太王(広開土王)碑文に、
倭国が攻め込んできたから、
倭国を追い払ったという
記述があります。
ここから、
4世紀には既に
倭国が、
朝鮮半島に
進出していたことが読み取れます。
(新羅)
倭国が
朝鮮半島に
進出したのは、
4世紀だった
と推測されます。
この頃、
新羅は
できたての国。
文明文化ともに未成熟❗
倭国としては、
お付き合いするには
不十分
だったのです。
又、
新羅は、
大国である高句麗と
従属的同盟関係を
結んでいましたから、
北からの脅威はありません。
南の加羅諸国や
西の百済との
勢力争いに没頭できました。
ですから、
倭国との同盟は、
不要というより、
むしろ邪魔
というところでしょう。
(百済)
高句麗と新羅を
消去した結果、
同盟を結んだと言えます。
文明文化面においては、
既に成熟しており、
倭国へ導入するには
十分だったのでしょう。
又、
倭国にとっては、
加羅における
鉄供給拠点への
新羅からの侵攻を、
百済と共同で
守ることができます。
逆も同じで、
新羅から
百済領土への侵攻を
倭国と共同で防げます。
更に、
北方からの脅威である
高句麗との対峙に
注力できたのです。
winーwinの関係が、
倭国と百済の間には
築けたのです。
続きは、「古代日本を取り巻く外交関係その4ー朝鮮半島における勢力バランスの崩壊」でお話します。
