古代日本を取り巻く外交関係その6ー対等外交 遣隋使❗
「古代日本を取り巻く外交関係その5」でお話ししましたが、
倭国は、
完全独立独歩の国家を
目指します。
そこに、登場したのが、
聖徳太子です。
この聖徳太子が、
推古天皇の
摂政になります。
いよいよ倭国は、
中華帝国である
隋に
対等外交を
求めます。
これが、
遣隋使です。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや。」
(ひいづるところのてんし、しょをひぼっするところのてんしにいたす。つつがなきや。)「太陽が昇る国(日本)のリーダーから、太陽が沈む国(隋)のリーダーへお手紙を出します。元気にしてるかな?」
倭国の態度に
隋の皇帝煬帝は
激怒します。
倭国のような弱小国が、
大隋帝国に
対等外交を
求めて来たのです。
当然のことでしょう。
しかし、
隋の皇帝煬帝は、
この外交要請に
応諾します。
その証拠に、
裴世清(はいせいせい)という
下級役人を
返礼使として
倭国へ送ります。
下級役人であろうと
隋は、
返礼使を
倭国に送ったのです。
朝貢外交でも
返礼使を送ります。
しかしこの時は、
対等外交の要請に対する
返礼使です。
もし、
応諾する気がなければ、
遣隋大使たる
小野妹子を
追い返せばよかったのです。
なぜ、大隋帝国が、
たかが倭国と
対等外交を結ぶことに
応諾したのか?
敵の敵は味方ということは、
敵の味方は敵です。
隋からの目線で見てみましょう。
高句麗、
これは完全に敵です。
国境線を接し、
長年にわたる攻防が
繰り返されています。
隋建国以前から、
中華帝国にとっては、
邪魔な存在です。
上記を前提に
2つのパターンを
想定します。
①倭国が高句麗と結ぶ
②倭国が新羅と結ぶ
どちらに転んでも
隋にとっては
不都合です。
①のパターン
高句麗と倭国が新羅を挟み打ち→
更に百済も参加→
新羅滅亡→
高句麗の勢力拡大
②のパターン
新羅は新興国→
新羅が倭国と協力→
新羅の力が一層強くなる→
新羅が高句麗侵略→
高句麗滅亡→
高句麗の脅威が、新羅の脅威に変わるだけ
隋には隋の
弱点がある
ということです。
続きは、「古代日本を取り巻く外交関係その7ー対等外交に向けての努力」についてお話をしたいと思います。
