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父が50歳でパーキンソン病になった。だから僕は「今」を先送りしない


父が50歳でパーキンソン病になった。

それから約20年。

昨年までは自宅で暮らしていたが、入院を経て、今は施設に入っている。

僕にとって「50歳」という年齢は、いつの間にか特別な意味を持つようになった。

父の人生が、大きく変わった年齢だからだ。

そして僕は今、35歳。

父が発症した50歳まで、あと15年だ。

最近、ときどき考える。

もし、自分も15年後に自由に動けなくなったら?


「人間五十年」が、自分の話になった


織田信長が好んだことで知られる『敦盛』には、

人間五十年
下天の内をくらぶれば
夢幻の如くなり


という有名な一節がある。

もちろん、戦国時代と現代では「50年」の意味はまったく違う。

現代の50歳は、まだまだ人生の途中だ。

それでも父が50歳でパーキンソン病になった僕にとって、「50」という数字は、単なる年齢ではなくなった。

人生が大きく変わることもある年齢。

そんな意識が、いつの間にか生まれた。


父は50歳から、20年間を生きてきた


パーキンソン病は進行性の神経疾患だ。

手足の震え、動作の遅れ、筋肉のこわばり、歩行やバランスの問題。

さらに便秘、睡眠障害、立ちくらみなど、運動以外の症状もある。

ただ、発症したらすぐに人生が終わる病気ではない。

父は50歳で発症してから約20年間を生きてきた。

昨年まで自宅で生活していた。

もちろん、できなくなったことは少しずつ増えていった。

そして現在は施設で暮らしている。

それでも、

50歳から20年という時間があった。

これは僕にとって大きな意味を持っている。


「自分もなるのか?」という問い


父がパーキンソン病になった。

では、自分は?

これは一度は考える。

パーキンソン病には遺伝性のタイプもあるが、その大部分は特定の遺伝形式で親から子へ直接受け継がれるものではない。

家族歴によって発症リスクが高くなる可能性はある。

それでも、

父が発症したから、自分も発症する。

と決まっているわけではない。

だから、必要以上に怖がっているわけではない。

ただ、父の20年を見てきたからこそ、

健康で自由に動ける時間は、永遠ではない。

そう実感している。


もし、あと15年しかなかったら?


僕は35歳。

父が発症した50歳まで、あと15年。

もちろん、自分が50歳でパーキンソン病になると決まっているわけではない。

でも、あえて考えてみる。

もし15年後、自由に動けなくなったら?

旅行に行く。

スポーツをする。

遠くまで歩く。

子どもと出かける。

そんな当たり前のことが、今と同じようにできるとは限らない。

だったら、

「いつかやろう」を少し減らしておこう。

そう思うようになった。


だから「Die With Zero」を意識する


ビル・パーキンスの『Die With Zero』という考え方がある。

単純に「お金を使い切って死ぬ」という話ではない。

大切なのは、

お金を、人生にとって価値の高いタイミングで使うこと。

若いときにしかできない経験がある。

子どもが小さいときにしかできない旅行がある。

体力があるからこそ楽しめる場所がある。

家族全員が元気だからできることもある。

だから、

「老後にお金を残す」だけではなく、「今の人生にもお金を使う」

ことを意識するようになった。


健康に動ける時間も「資産」だと思う


僕たちは資産というと、現金、株、不動産などを思い浮かべる。

でも、父の20年を見てきた僕にとっては、

自由に身体を動かせる時間そのものが、最大の資産なのではないか

と思う。

お金は後から稼ぐことができる。

でも、

45歳の自分を35歳に戻すことはできない。

子どもたちが8歳と6歳のときの時間も、もう一度買い戻すことはできない。

元気な身体で家族と旅行できる時間も、永遠に保証されているわけではない。

時間は貯金できない。


だから「貯める」と「使う」を両立する


もちろん、将来のお金も必要だ。

家族がいる以上、無計画に使えばいいわけではない。

老後資金も必要だし、病気や介護への備えも必要だ。

でも、

「将来のため」という理由だけで、今を犠牲にしすぎるのも違う。

お金は人生を豊かにするための道具だ。

だから、貯めるだけではなく、

使うべきタイミングで使う。

それが、僕にとっての「Die With Zero」だ。


父の50歳が、僕の人生観を変えた


父が50歳でパーキンソン病になった。

そこから約20年を生きてきた。

その姿を見てきたからこそ、

「人生は長い」

とだけ考えることができなくなった。

長いかもしれない。

でも、

自由に動ける時間が同じ長さで続くとは限らない。

だから僕は、50歳を「人生の終わり」と考えるのではなく、

「50歳までに何をしておきたいか」

を考えるようになった。


50歳まで、あと15年


15年後の自分がどうなっているかは分からない。

健康かもしれない。

病気になるかもしれない。

今の仕事を続けているかもしれない。

まったく違う人生を歩んでいるかもしれない。

未来は誰にも分からない。

だからこそ、今できることを先送りしない。

行きたい場所には行く。

会いたい人には会う。

家族との時間をつくる。

やりたいことには挑戦する。

そして、将来のために貯めるだけではなく、

今の自分にも、ちゃんとお金と時間を使う。


「人間五十年」の意味が変わった


昔は「人間五十年」という言葉を、人生の短さを表す言葉として受け取っていた。

今は少し違う。

僕にとって50歳は、

「人生が終わる年齢」ではなく、「人生をもう一度考える年齢」

になった。

父は50歳から約20年を生きた。

僕は今35歳。

50歳まで、あと15年。

その15年で何をするかは、自分で決められる。

そして50歳になったとき、さらにその先の20年をどう生きるかも考えればいい。

だから、僕は50歳を恐れるのではなく、

50歳までの時間を、できるだけ濃く使いたい。

父が50歳でパーキンソン病になった。

では、自分は?

その問いは、病気への不安だけではない。

「限りある時間を、自分はどう使うのか」

という問いなのだと思う。

だから僕は今日も、

「いつか」ではなく「今」を少しだけ優先して生きている。

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