エッセイ 《ゴッホ、絵が売れるのはなぜか? どうして今さら?》
8145字
ゴッホについてあれこれ雑文を書いてきた
知れば知るほど魅力的だ
さらに19世紀末、美術の世界につき専門書などをかじりながらゴッホをもっと知りたい
浅知恵、受けうり、門外漢の、とりとめのない文章だと自分自身、了解している。それでもゴッホの魅力にとりつかれ、離れられず、触れていたい。お分かりのようにすでに冗長、全7章 最後までおつきあい頂ければ今生の幸せである
序
貧しさと表現とに苦しみながら絵を描きつづけ37という若さで鬼籍に入る
のちに(それは130年あまり経過するのではあるが)作品がおどろくほどの高額で落札されるという運命の持ち主
哀れで皮肉なビンセント・ファン・ゴッホ
つらい人生を送った生前にそうなってくれればどれほどよかったか……
するとつぎのような疑問が湧いてくる
芸術作品はどのようにして高値がつけられるか
なぜわたしはゴッホへ関心を抱くのか
そんなことを考えていると二冊の本に出会った
山梨俊夫 《 美術の愉しみ方 》
原田マハ 《 ゴッホのあしあと 》
おのおの著書からテーマに関わる文を引用し、放談させていただく

その1 《美術の愉しみ方》
山梨俊夫著 中央公論新書
絵が売れる理由について
もとより絵画のお値段、本文にそんな露骨な表現がなされてはいない
それは価値という言葉で表される
『 世論や常識に染まる価値判断 』
『 不純で雑多な要素 』
著者は西洋の名作を例にあげて、
「疑いをもってみることは大切である」
と述べながら、
「 ダ・ヴィンチのモナリザは本当に最高傑作なのか……万能の天才ダ・ヴィンチが丹念に描いたのだからその評価は間違いない
モナ・リザがたたえる謎の微笑は彼以外に描ける者はいない、そういう世評や常識に染められて価値が判断される。」
「 名作の基準がつくられるとき、不純で雑多な要素も忍び込む。」
何かというと、
「 名作にして高い値をつける画商の策略、研究者たちの新しい視点の競い合いや業績づくりも、価値の吊り上げに手を貸す。」……
☆
論旨を三点にまとめると、
評判と先入観と連鎖反応
それが売れる要素とは、あまりに情けなく通俗すぎる
一般商品の取引となんらかわりはない宣伝、メディアの露出頻度というのか
それでは画家があまりにもみじめではないか
さらに善良とか誠実といった範疇から遠くはなれた用語とおぼしき功名心、策略、商魂など学者と画商に操作されるという
たしかに現代ではオークションてのもあるほどだから理解できぬわけではないが、なにか腑におちない
芸術と商売の関係を理解するのは、モヤのなかで光をもとめるほどにわが目は霞む
その2 ゴッホ その芸術成立史
時代はさかのぼり十九世紀末のころ、当初のゴッホ作品に高値がつかなかったのは、あまり人に知られていない
その努力をしないわけではなかった、実弟テオは画商である
なぜ売れなかったのかを考える
ところで絵画の評判を得るチャンスは都会のパリに住むほうがもちろんよいはずだ
だがゴッホは街の喧騒が肌にあわないとくる
浮世絵から影響を受ける、またモチーフを探すなどの理由から牧歌的風景の富むフランス南部、アルルへ移る、1888年2月のことである
☆
そもそも1853年にオランダに生まれたゴッホ、
南仏アルルの村人にとっては外国人であるからして、容易に受け入れられない
村人から黙殺されるという憂き目にあい、誰とも口をきかない、孤独と不安の日々をおくる
とはいえアルルは気候温暖な、独特な色合いの佇まい……街や暮らしや庭、また静物、自画像などをモチーフに絵を描くことに専心した
なによりある希望を胸に携え、一軒の黄色い家を借りる
それは画家仲間の集まる《南方のアトリエ》を造ることである
そのひとり、五歳年長の尊敬するゴーギャンがいる
彼を迎えるために室内を飾ろうと画布を重畳と広げる
ゴッホ代表作とも呼ぶべき今日、人口に膾炙するヒマワリの絵が産まれるのはこのときだ
☆
画家は当初《南方のアトリエ》に関心を寄せるものの、二か月も経ずして、共同生活をはじめたばかりのゴーギャンと関係がこじれる
要因は几帳面さとルーズさなど暮らしぶりの違いもさることながら、より大きな理由があった 表現手法の論争である
一方で 「目に見える世界の表現だけではなく内面の世界、魂の領域まで探求の目を向けて」 * 描く手法を主張する、その一方でクールベ流に現場に行き写生をもとに忠実に描く、というようにふたりの間で議論が飛び交い、口喧嘩へと発展する
* 『近代絵画史 (上) 』高階秀爾著 p168を参照
要するに見たものを室内で描くか、現場で描くかの違いである
ちなみにゴッホはすべて後者だ
ゴーギャンの心底にはほかに、あざといおもいがひそんでいたようだ
それはゴッホと弟の画商テオを通じ、自分の絵を世に売り出したいという打算である
彼も貧困にあえぎながら誘われるまま、しぶしぶアルルへやって来ていた
こうして、ゴーギャンの事情も仲違いの原因となる
さて南方のアトリエとはどのようなものか
パリの売れっ子、あの印象派の面々 (1876年ころには官展派から罵倒をあびたが、少しずつ認められていた) と張り合い、弟や売れない画家たちともに独立画商を営むというのだ
しかしそれは頓挫した
☆
ただしゴッホにとって幸運なのは、独自の色彩を帯びた名画を産むべく、いわば「栄養素」はこうした苦々しさや落胆の経験から得られた
ーーこうしてふたりの不仲を以てゴッホの耳切り事件を起こさせ、師と仰ぐゴーギャンをアルルから去らせる
夢はもずくの泡と消えてしまうのだった
これを境にゴッホとゴーギャンがあうことは二度となかった
☆
気落ちしたゴッホであるにはあったが、描くことへの執念はひとつとして変わらぬ
ゴッホにふりそそいださまざまの事情はやがて来る独自の作風完成の精神的風土を準備していた、といえる
かつての名画や浮世絵の模写をつづけるのはもとより画法、筆致、色彩の工夫をくりかえす 風景、室内、肖像をモチーフの習作を精力的に描いた
まさしくこの作品群の完成が後世に高い評価を得るべく絵画になろうとは、そのときのゴッホは知るよしもなかった
☆
それにしても友が去った失意の念ばかりは頭から離れない
いよいよ持病 ( 強迫観念、発作 ) が再発、悪化し、異様な行動をとるなどして、
鉄格子の病院へ入退院をくりかえすことになる
大声を出して走りまわるその異様さは、村人にも恐怖を与えるほどで、いよいよゴッホの疎外と孤独は募るばかりだ
残された唯一の頼みは弟テオとの文通とその仕送りばかりとなった
野望はついえ孤立無援、また孤独に陥る
これがゴッホ、ユートピア建設の失敗譚である
☆
ゴッホの芸術にとり、このことが逆に好機となったとすでに書いた
その解剖を試みる
芸術が育まれる条件に孤立と忍耐を必要とする、そのことは "note" 投稿諸氏の経験によっても容易に理解されるであろう
無意識のなかにある元素のようなものを煮つめて表現に落としこむには、世俗から離れしずかに、人との交わりを断つほうが産まれやすい
芸術家には適した環境といえよう
☆
病気が快方にむかうころ、ゴッホは生活のため、自分を見捨てずに好意を寄せた村人の依頼により肖像画を描く仕事を得る ( 家賃返済や画材購入のため )
だが、写真のようなものを期待する注文にはとうてい及ばない
というのも描き手ゴッホの "心的印象" が前面に出てしまうからで……
「これじゃ玄関先に飾れない」
そんな声も聞かれたほどだ
ーー絵画に門外漢のわたしには、独創的で個性のつよいゴッホ流の絵画を理解するようになるまでには、レンブラントやルーベンスのようなリアルでダイナミックで写実的な絵画に関心もったものだ
したがって産業革命による中産階級の出現により絵画を壁に飾るという慣習の普及する19世紀末、西ヨーロッパの市井においても、もっぱらモデルが本物のように描かれる油彩を求めることが流行する
その依頼主が仕上がったゴッホの絵をみて狼狽えたというのも、それは分からないではない そのことがいいたかった
☆
時代に踏まれ、人に蹴りつけられる、哀れなゴッホなのである
作品が当代の流行ではなかったのは明白だ
いいかえるならばゴッホ作品の登場はこの時代にとって、あまりにも早すぎたというべきだろう
歴史は水の流れの如く変転する、いわんや流行においておや
一世紀あまりの間、世の趣向は変化し、美術ブームの到来、美術愛好家の出現、経済社会の変容などさまざまを経ながらも、ゴッホ作品が死後すぐに 「称賛される時代 」* が訪れるのだが、それはゴッホにとりあまりにも遅すぎたといえよう
*「称賛される時代」……ゴッホの死後、絵画や日記が公開されるのは義妹ヨーと甥、画家エミール・ベルナールなど好意と献身による
☆
右顧左眄
流行ほどあてにならぬものはない
人気やら評判などのあやうさは、ただよう空気に似ている
一見、普遍を帯びるかのような流行とやらは、かすみのように空虚で一過性ですぐに忘れられる 本質が備わっていなければ尚更だ……
それがいかに似非か、真贋をみぬく、この能力をゴッホは本能的かつ経験的に会得していた
ここでゴッホの過去にふれる必要が出てきた
☆
1878年のゴッホ25才のころ、社会の底辺で苦しむ人々を救おうと、伝道師への道を目指したことは周知のとおりである
宗教家として成就しないが、弱者へのいたわり、慈しみが心に根づく
さらに失恋、受験の失敗などの経歴の詳しくは専門書を参考にされたい
ともあれ、さまざまな失敗と困難を体験し挫折をくりかえしながらそれを乗りこえ、最後にめざしたのは芸術家だった
芸術への進取、改革のために身を奉じた画家ヴィンセント・ファン・ゴッホ
その苦悩や屈強な活力を使い果たした当人にとっては無駄で徒労のようにおもえただろうし、
這い出せずどん底な気分を得たことであろう
だが後生の芸術家、文学者にとっても、そして芸術そのものにとっても決して無為な行為ではなく、むしろ多くの影響を及ぼした
それは歴史が証明した
☆
絵の値段という話からずいぶん遠いところへきてしまった
なべて芸術と経済との関わりは一筋縄ではいかぬようだ
売るために描くのか、描くために売るのか?
設問が違うか、違うぞ
いずれにせよ、より重要な本質的問題がかくされているような気がする
それはいったい何なのか?
このことを念頭におきながら次章へ進みたい


その3 《 ゴッホのあしあと 》
原田マハ著 幻冬舎文庫
標題のテーマのふたつめ、ゴッホへ関心を寄せる理由、これに応えた書籍となる
ところでわたしは反骨という言葉をずっと好んで使ってきていた
貧乏人のやっかみもある、学生運動を知る世代でもあるからだろう
この言葉を好む昭和生まれの人は少なからずいるとおもう
本書のあるページに 「ゴッホの反骨に共感した」 という文言に触れたとき、来たな、とおもった
とともに著者自身の体験にも心が動かされる
☆
2020年ころパリに滞在中、著者原田マハはつよい孤独感に陥ったという
ご存知のように、それは数年前に発生した世界的なパニックによる
すなわち、「 新型コロナウイルスの感染蔓延しフランスのパリのロックダウン ……全ての街角から人影が消え、静寂が全てを包み込んだ 」
都会の喧騒が消えたとき、 「……セーヌ川が流れる音を生まれて耳にした初めて」 のことという、著者の寂寥たる実体験が描かれる
そんなパリの街を歩き、橋に佇む著者は、
「 この孤独感からゴッホの感じ得た孤独感に到達、共感した 」
いわば "神の啓示" のような感覚を得たという
さらにゴッホを弁護、擁護するページには、
「 世間に嘲笑われようと、狂人だと怖がられようと、彼は誇り高き画家だった……穢れない孤高の魂が…130年経って今なお、私たちの魂に共鳴する 」
そして、
「 ゴッホは絵だけでなく文章も達者で文学者としての能力 」 があり、「 聖書の伝道師 」 の経験を有するほどの非凡さを、著者は熱弁する
☆
ゴッホはなんでもできて、どうにでも未来を拓くことができた、それほど表現者としてさまざまな可能性をもつという
さながら万能人間といっても過言ではなかろう
一般的に挫折から脱却すべく道は種々ある
立ち直るシンプルさも必要だ
またあきらめと忘却はもちろんだ
そしてほかの道を求める
なにより最悪の結果を選ばないように自念する
しかしゴッホは生を捨てるという道を選んだ
(ピストル事故という説も近年にある)
胸のうちの苦しみはいかばかりか
☆
その心を言い表した近代文学の名文がある
それは決して的外れとはいえまい
「人事といい事象といいひとつとして憂いの長ずる媒ちとならざるなし」 *
* 森鷗外 "即興詩人" より
追いつめられたゴッホの気持ちをおもうとき、わたしは息子を案ずる親のような気持ちが心にわく
37にして自らの死を選んだ境遇に、人知れず深い憐憫の情を覚えずにはいられない
できることなら、そのときの彼を慰め、励ましの言葉をかけたいほどだ……

☆
話をもどすことを許されたい
死ぬまでゴッホは懸命に生き、苦界から逃げなかった
19世紀末、おもうようにならぬ評価はあったろうけれどもゴッホは、
浮世絵などの手法を採り入れながら、己れならでは描けぬような画風、筆触、独自の色彩の探求に精魂をこめた、これもすでに書いた
「 新しい筆づかい、色彩表現を取入れ、点描など独自の様式 」
都立美術館ゴッホ展、Web案内に載される
この的確な表現を伝えていなかった
写実派、印象派 ( ドガ、モネ、セザンヌ、ルノアール )、象徴派などの画壇の流行に流されずに新感覚 ( ポスト印象派 ) な手法を追及する
目をみはるもの、それは反骨だ
☆
ところで著者原田マハはゴッホにつき、これまでになされてきた通俗で偏ったゴッホ認識に反旗を翻した
というのも数々の実体験に基く貧富の差に憤るプロレタリア精神、たくましい反逆精神がゴッホの絵画への制作動機の屋台骨をなすのは、必然があったといえる
ゆえに確たる意思を以て純然と絵画へ取り組む芸術姿勢から、まるで身の危険を恐れぬ聖職者のような、恐々たる迫力さえのぞくことができる
この点を指摘し強調し、多面的かつ広い視野を以て画家を明徴に分析するのはもとより、人間としての生きざまへ拡張させ、その魅力を伝えんとする著者原田マハ
なんとステキなのだろう、濃密なるゴッホ愛

その4 さまざまな視点
かくして二冊の書籍は、自らに問う疑問に見事に応えたうえに、これから書くさまざまなおもいを想起させた
まるでノドにつまる魚の小骨がとり除かれたような、快い気分をわたしに与えた
しかし、ここで酔っている場合じゃない
ゴッホ作品を眺めて、いい絵だ、名画だと感ずる気持ちはもちろんだ
だが、それは世間の騒ぎに助長されるにすぎず、ほんとうに自らが感ずることなのかと、是を問いかつ疑う
ゴッホの生涯や生きざまについて、憐れむことをくどくどと繰りかえして述べてきた
しかしこれとても世間一般の意見につられた考えなのではなかろうか
自らの眼でしっかと見定めているのだろうか
こうして逆説、異論をとなえることを欲する、あまのじゃくなわが性癖が話をすんなり終わらせてくれない
「腑におちない」 、「本質とは何か」という疑問も残ったままだ
それをすっきりさせたい、そして妄想もしたい
☆
すると遠く声なき声が脳髄にこだまする
「 いったい日本人の芸術観の中には天才に悲劇的な運命を期待したがる、根深い、しかもやや安直なセンチメンタリズムがありはしないだろうか。」
芥川賞候補作家で画商、洲之内 徹の論である
( 『おいてけぼり』ー気まぐれ美術館ー1980年 )
こんどは首を締めつけられたような、重苦しい気分に陥ってしまった
やれやれ

その5 ゴッホ、晩年のおもい
こうして話を進めてくると、誰もが考えるしごく当然のことながら、とても重要な言葉が浮かんでくる
芸術の目的はいったい何なのか
これこそが本質的な問題のようにおもえる
ゴッホは銭金など望まなかった
また世に認められようとも願わなかった
ゆえに世俗への関心、功利的な考えにたいして、すでに興味を失っていたのではないか
矛盾を避けるため、晩年のゴッホにおいてのこと、と強調しておく
ならばゴッホはいったい何を望み、何を求めたのか
それは己れの魂の底からわき上がるある何か
安易に結論の出ないその何か
生涯を通じても悟ることができるかどうか、そういう未知なるもの
自分自身の情念、感情をどのように表現すればよいか、そしてまたできるのか
そんなおもいに迷いながら彼は格闘したに相違ない
その6 仮説 ゴッホの延命論
ゴッホが死を選ばないすべはなかったのか
それはある
船に乗り、来日するという選択だ
時代は明治半ばとなるだろう
彼がいまだ見ぬ日本で暮らすとすれば、あれほど早く死を急がずにすんだかもしれない
☆
美しい日本
江戸明治の空気を吸い、景色をぜひ見てもらいたかった
富士山と箱根はもちろんのことだが、わたしは案内するのはこちらだ
大川隅田川、そのはば百間
滔々と流れる青い河水にすべる
"ちょき舟" に揺られ
のぞむは濃緑に映える蔵前首尾の松
八番瀬の米蔵
灰色の瓦と白色のなまこ壁に薄朱色のレンガ
その裏手の江戸通りには札差、後家人然とした富裕層の末裔がすむ
おそらくゴッホのパトロンとなるはずだ
浅草
赫々たる雷門に二体の緑青の像
奥には朱塗りの寺院がのぞかれる
あるいは
相撲に花火にすすきに月見
柳橋芸者と向島、吉原までは指呼の間
きみ憧れの写楽、歌麿、広重、北斎の世界
趣きかえて堀割、小名木川や竪川はどうか
ゆうぐれの満月に芭蕉の幽玄
きみ描くデッサンのような
下町の陋巷と貧民窟
さるまた一枚の鍛冶職人
洗濯老婆の姿を眼に、きっと驚くことだろう
魚焼く紫煙にまみれ、うす汚れた童らの歓声
まもなく職人の一家は夕食を迎える
馬鈴薯ではなく米、麦、粟、ひえ
焼き魚があれば御の字といったところだ
がさつで乱暴だけれども、偽善や裏切りもない、義理人情にあつく、お人好しな貧しい下町の人間をきみはよく知っている……
ともあれ三ヶ月ほどの間隔で訪れるという持病の発作が出るまでゴッホはここにいて、いったいどのような絵を描くのであろう
Oh, Vincent, je regrette de ne pas avoir été à tes côtés
( 寄りそえなかった後悔の表現 )
最後に問う
ゴッホから現代に学ぶものがあるとすれば、いったい何だろう
それは肌にふれ、匂いをかぎ、舌であじわう
実存そのものだろう、とわたしは感じている
(了)
主な参考資料 ( 掲載のほか )
洲之内 徹『おいてけぼり』世界文化社
池上 英洋『西洋美術史入門』筑摩プリマー新書
高階秀爾『近代絵画史』中公新書
硲 伊之助『ゴッホの手紙』岩波文庫
パスカル・ホフナー『ゴッホ』創元社
永井荷風『牡丹の客』荷風全集より
写真 Google art、週刊美術館 (小学館) より
最後までお読みいただき、まことにありがとうございました
すでに知られていることを書く必要がなかったかもしれません
しかしそれぞれの知識の結び目をつかみ、独自の感興感慨を述べるのは無意味とも思えない気がしました
さらにあとから重要な資料がみつかり、一ケ月間に100回ほど推稿が必要になってしまいました
記事の掲載当初に "スキ" をつけてくださった方々が、読んだものと違っていることも随所にのぞかれましょう
申し訳ありません

