字のきれいさはセンスなのか ~聞かなかったことにしてほしい~
「きれいな字は才能ではない」
「きれいな字はセンスではない」
「きれいな字は感覚ではない」
「きれいな字は感性ではない」
「字は論理できれいになる」
「だから誰でも字はきれいになる」
と
豪語してきました。
まぁそれは偉そうに…
「字はロジックできれいになる」と。
実際それは事実で、
字の原理原則を知ることで
字はきれいになり、
論理的におぼえることで
永続的にきれいに書けるようになります。
その方法でないと、
一時的にきれいな字
見せかけだけのきれいな字
お手本がないと書けないきれいな字
しか生まれません。
それは事実です、が、
気づいてしまったことがあります。
小学生の漢字のお手本を書いていて、
様々な正しい基礎的なお手本を見てきて、
基本の正しい字の範疇で
「もうこれ以上はない」という字を模写、または
誕生させて書いていても
遠目で見たり
数日後に見たりすると
違和感を感じる字が出てきて修正したくなります。
その時に私がやっていることは
もう理屈ではないことに気づいてしまいました。
自分の美的センスだけに頼っていることに気づいてしまいました。
その字を書くためのルールはすべて守っているので
「論理的に書いている」
に間違いはないのですが
最後の最後、
本当に最後の最後の修正は
私は自分の感覚でやっています。
「何かがおかしい」と
もう理屈ではなく“感じている”だけです。
あるまじき…
これまでに正確さとロジックを追究していながら
自分の字の最後の最後の添削は
センスでやっていた…
それに気づいてしまいました。
論理を超越したら
感覚になってしまうのだろうか…
もうすべての原理原則は守って書いている
なのに
どこかおかしい、を“感じる”。
こんなことは言ってはいけない…
「だったら字のうまさは生まれつきってことじゃん」になってしまう…
あぁ…なんて…こと
昔から
字がうまい人は絵もうまい、と感じてきました。
やっていることは
同じ「模写」なので
それは必然で
少なからず相関性はあると思います。
私も絵を描くこと(模写すること)が
小さい頃から好きでした。
教室の子どもたちも
絵が上手な子がほとんどです。
私が公文書写教室を開設する際
娘が通っている公文式(数英国)の先生にそれを話した時
「私の知り合いの書写の先生も美術が得意でね、絵がうまいよ」と…
「ん❓️私、絵のこと言ってない…」
と思ったことを覚えています。
「字がうまい人は絵がうまい」は通例なのか…
字も
結局は生まれつきの才能だったなら
じゃぁだめじゃん、になってしまう…
困りました。
だめだ、だめだ。
論理が感覚を超えられる方法、
そしてその理由を考え直します。

「センスがない私はどうすればいいんだ」
と思わせたくない
思ってほしくない
「どうせ生まれつきじゃん」だったら
字の教室の意味がない
論理が勝たなければ意味がない
0.1ミリの誤差を許さない鬼軍曹・永野、考えます。
