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「私にはお手本がない」~自分の寂しさに気づいた日~


「ふだんの字をきれいにしたい」あなたへ
今回はお役に立てる話ではありません。



「ひらがな研究所」の永野です。

三大欲求は「書く・出す・書く」の永野です。
(あ、また三大欲求の話ね)


とりあえず毎日字を書きます。
その体勢で固まるんじゃないかと思うほど
毎日字を書いています。


書写教室、
字の練習においての「書写」というものは

お手本を
「書き写す」「見写す」「模写する」を繰り返すことにより
字の上達を図ります。

きれいな手本文字を
何度も見て何度も書いて
手と脳に覚えさせていきます。


では

書写の教科書
公文書写の教材
かきかた字典
美文字練習帳
ネットに出回るお手本…
これらより「きれい」に書けると豪語する私は

どう字の練習、「書写」を
毎日しているのでしょう。



そう…

そうなんです。

「私にはお手本がない」と気づいてしまったんです。

ひらがな
そして、楷書体の漢字で
「私はNo.1だよ」と
本当はそんなのは半分冗談で言ってきました。


でも
「え、私、お手本ないじゃん」に気づいた時
・・・
本当にそうなのかもしれない、と。


本来であれば
「きれいなお手本を見て同じように書く」ですが
そのお手本が私にはない…

どのお手本も
それを模写すれば
今の私の字より下手になってしまう、が起こります。




ふだんの私の練習方法はこうです。

まず
何も見ないで
その字が持つルールをすべて守り
最後は自分の感覚(センス)で0.1ミリを整えて
一つの字を完成させます。

その「後」に
字典や教科書、教材を開いて
基礎から外れていないかの確認をします。

その確認の時に
いつも思うのが
「え、私の方がうまいじゃん」です。

それを何度も感じている中で
「あ、そっか、
 私にはお手本がないんだぁ」と…
ちゃんと気づいてしまいました。


あ、

なんの話?
ですね。

「寂しいよぉ」の話です。






以前カオナシさんが
私のことを
「境地に達した人の孤高の寂しさ」と表現してくれました。

自分でも気づいていない自分を教えてもらった感覚で

あの時は言わなかったですが、
本当は
カオナシさんの「孤高の寂しさ」「待っている」の言葉で
なぜか涙が溢れました。


「解ってほしい」とは思っていない、
と自分では思っている…

「寂しい」とは思っていない、
と自分では思っている…


でも
そこで涙が出たのは

私は
本当はずっと寂しかったし
本当はずっと解ってほしかったんだ


思いました。


自分のことは自分では解らない。



字の上達のための練習では
必ずお手本が必要です。
基礎を築くためには必ずお手本が必要です。
そこに「自己流」なんて
あってはいけない。


小さい時から
毎日毎日「字を模写して書く」を繰り返してきました。
一ミリの狂いもなく模写してきました。

書写、書写、書写・・・
書写、書写、書写・・・

それを越えた今
違う意味の「自己流」を入れなければいけない
ことに気づきました。


私にはお手本がない
そして
これからも
私にはお手本はない


字典や教科書は
私が基本の「型」を外れないための確認だけであり

字をきれいに書くための「手本」ではありません。


境地に達しているかなんて
自分では解らないし思ってもいない…

でも
ふだん自分が
どう字を書いているかを思えば

「この字を書きたい」という字がない私は
もう
そういうことなのかもしれない…

寂しいよぉ


寂しいよぉ


涙が出るよぉ



自分でも気づいていない孤独

「孤高」と言えばカッコいい

でも
やっぱり
それは孤独なんだね



いつかはたどり着いて、と思う
一緒にいてよ、と思う

同じ寂しさを感じさせないよう
私が「お手本」を書くから。


書写と一緒に生きてね。
私と一緒に生きてね。



三大欲求が
“書く・出す・書く”じゃぁ
「もう人間やめようとしてるのか」ですけど、
私は人間だから
一緒にいてほしいです。



何の役にも立たない話ですみません。









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