見出し画像

字は「どっちも正解です」が実は一番困る ~字の鬼は健在~

「相手の立場で考える」とはどういうことかと
考えさせられる…

以前
教室の大人学習者さんが
行書体の教材をやっているときに
ボソっと言ってくれました。
「答えが一つの方が助かる」と。

確かに行書には崩し方がいくつもあり
教材でも「行書1」「行書2」という書かれ方がしてあります。


「どっちでも正解です。」


これは子どもにも
教室だよりでも
私はよく使いますが、

「答えが一つの方がいい」
その一言は
私が自分よがりに指導していることへの叱責のように感じました。


というより
その一言が
「字をきれいにしたいけど
どうしたらいいかわからない」人の
心の叫びのような気がしました。


「この書き方もこの書き方も正解ですよ。」


相手のために優しさで言ってあげているようで、
ちゃんと逃げ道を作ってあげているようで、

本当は
自分の逃げ道を作っていただけなのではないかと。
いつか
「こういう書き方もあるじゃん」と指摘された時のための自分の予防線。



「こっちもこっちも正解ですよ」と言われても
そもそも
その一つの正解すら分からないから
字に悩んできたのに。


「あっちもこっちもあるけど
どうする❓️」では
「それが分からないから来てるのに」になってしまう。


実際に
許容字体(その書き方でも正解となる許容された字体)があったり
「お手本」と言っても
字典でも教科書でも教材でもすべてが違います。


でも、
だからこそ、
みんな「分からないんだから」
みんな「だから字で困ってきたんだから」


私はこれから
ほぼ断定的な表現をしていきたいと思います。
(今までも充分偉そうに断定してきていますが。)



「こっちでもいいですよ」ではなく
「こうした方がいいですよ」が本当の優しさなのではないかと
解った気がしました。

実際、正解は一つでなくても
「正解は一つである」と言ってあげることが
どれだけ相手を安心させてあげられるのか、と。
それが
「相手のため」なんだと。


「相手の立場に立つ」とはどういうことかと
本当に考えさせられます。


「0.1ミリの微差も許さない」と、
鬼の形相で
鬼のようなことを言ってきているので


「私は字がきれい」だと
これだけ
自分で言うほどの自信があるなら

「どっちでも正解です」でなく

「これしかないよ」
「この書き方が正しいよ」
「だからこうして」と

この私が言うんだから間違いはないよ、と。

そう言ってあげることこそが
本当の優しさなのではないかと思いました。


実際そうであっても
「どっちでもいいですよ」は
相手の逃げ道ではなく
自分の逃げ道を作っているに過ぎないと。


だから
私はこれからも
0.1ミリの誤差も見逃さない鬼でいたいと思います。


「答えは一つの方が助かる」

生徒さんに気づかされ学ぶ
本当につくづく
教えられているのは私の方だと感じた瞬間でした。

「正解はこれだし
方法はこれしかないから
そうして」と

断定的に言うために

私に必要なことは
私が「本当に字がきれいな人であること」です。


誰が誰に字を教えてるんだよ
になってはいけない

一見うまい“風”の
微妙な字を書いてる人に説得力はない

「その字で人に字を教えてるの❓️」
になってはいけない


だから
硬筆・楷書・ひらがなに厳しい「鬼」は
これからも健在です。



いいなと思ったら応援しよう!