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なぞり書き練習は必要❓️ ~「なぞり書き」の効果と意味とタイミング~

結論
「字をきれいにしたいなら」必要です。

なぞり書き練習というのは
自分の今まで字(ふだんの字)とは違う字をなぞるので
手がものすごく苦痛です。

その上に
「なぞり書きは必要なんだって」
「だからいっぱいちゃんとやって」
と強制されると、
苦痛プラス苦痛で
書くことが嫌になってしまいます。

なぞり書き練習は
字をきれいにするためには必要ですが、
「やりなさい」と強いることは望ましくはありません。


では
なぜ
苦痛が伴うなぞり書き練習が必要なのか。

それは
その手と脳の苦痛こそが
字が変わろうとしている段階の途中を表しているからです。

本来の自分の字とは違う字をなぞる…
それはそれは
本当に手が嫌がります。
手が動きたいように動けない…
なんてもどかしい感覚。
その手の苦痛こそ「変わる」始まりです。

しかし
なぞり練習も繰り返し行えば
手が楽になってくることが解ります。
そう
それは手がお手本の字を覚えてきた証です。


公文書写の教材でも
すべての教科の教材の始めに
なぞり書き練習は出てきます。

大人のなぞり書き練習の目的は 
怖い言葉に替えれば
「どれだけ今まで
自己流の字を書いてきたのかを実感させるため」、
「今書いているその字が
間違っていることを解らせるため」です。

もちろん
まだ字を書き始めたばかりの子どもの場合は

「なぞることで
目でも手でも
その正しい字を覚えるため」
それだけの目的です。


「なぞり書きってうまく書けないから嫌い」
よく聞く言葉ですが、
その『うまく書けない』ことに意味があります。

『うまく書けない』を感じなければ意味がないということです。
手が行きたい方向にいけない…
手がその長さで書けない…
それだからいいんです。

それは変わっていく始まり。

もちろん
始めから手本文字に近い字を書いている人は
手が苦痛ではないので
そのまま「字を覚えるため」の目的だけで大丈夫です。


書写や習字、
字をきれいにすることが目的の練習であるならば
「なぞり書き」は必要です。

書くことで作品を作るとか
書くことをただ楽しむとか
書くことで自己表現をするとか
そちらの目的(書道)であれば必要ないでしょう。
思いのままに好きなように書けばいいだけです。

つまるところ
なぞり書きは目的によって必要性の有無は変わるということですね。



《ここからは私の見解》

なぞり書きは
もちろん字を習い始めた頃
その字(要素・点画)を初めて書く時の前に必要ですが、

私がもっと
なぞり書きの必要性を感じているのは
「きれいな字が完成しつつある時」です。

なぜか。

練習を重ね、
字のルールも覚え、
字もきれいに書けるようになった「その時」、

字に起きていることは
「自己流が入ってきてしまっている」ことです。

一見きれい。
でも基礎から外れてきている…

子どもでも。

それは字がきれいな人ほど起こりやすい現象です。

その時にこそ
基本の字で「なぞり書き」をやってみてください。
手が嫌がったら
もうずれてきている証拠です。

まだ守破離の「破」にはいかない。
どうがんばっても
「守」の字しか書けなくなるくらいまで
基本の字を書き続けた方がいいです。


「字がきれいになりつつある時」
それはイコール
「字が崩れ始める時」でもあるということ。


私の見解では
「なぞり書き」は
きれいな字が完成間近の頃の方が必要です。


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