ロッキンホースを愛する女、下駄に辿り着く
【下駄ブーム、到来(願望)】
私はここに宣言する。
『この先、足元に下駄ブームが来る!』
――なんの影響力もない女の戯言である。
今のところ、世間はまだ静かなままだ。
それでも、私は全力で下駄を推す。
かつて私は、ロッキンホースバレリーナで9センチ背が高くなった女である。
黒革の厚底靴を今も愛する、その私が次に辿り着いたのは下駄だった。
始まりは、普段履きにしていたコンバースのスリッポンが買えなくなったことだった。
↓ほろ苦いロッキンホースの思い出話はこちら↓
【コンバース難民、下駄に辿り着く】
2021年。
コンバースを何足か履き潰した私は、いつものスリッポンを買い足すつもりでいた。
ところが、店頭にもネットショップにも見当たらない。
コンバース難民である。
コンバースでないと、ダメなのだ。
踵はほどよく守られる。
つま先は自由。
靴紐と格闘しなくていい。
足を締めつけず、脱ぎ履きが楽。
その頃にはゴシックパンク系からカジュアルな服へ移行していたため、足元も浮かない。
それなのに、欲しい一足だけがどこにもない。
詰んだ。
だが、次の一手を考えた。
靴探しに妥協はしたくない。
しかし、時間もかけられない。
この条件を満たす履物は――
『下駄を履くしかないな』
……画面から離れるのは、一旦保留にしてほしい。
また静かに頭のおかしいことを言い始めたな、と思われるかもしれない。
だが、下駄を選んだ理由はちゃんとある。
聞き終わる頃には、あなたも少しだけ下駄を検索したくなるはずだ。
……たぶん。
【下駄を選ぶ理由】
まず前提として、私は足袋ソックスの愛用者である。
五本指ソックスを履いていた時期もある。
だが、朝から一本ずつ足の指を入れている余裕はない。
忙しい朝に、足の指と格闘している場合ではない。
そこで、足袋ソックスである。
足袋ソックスを履くなら、鼻緒のある履物とも相性がいい。
さらにその頃、私は着付け教室への申し込みを済ませたばかりだった。
講座が始まる前から和装小物を買い始める、いつもの先走りにより、我が家には大阪の和装ショップから草履が届いた。
草履の台の側面には黒レース。
鼻緒にもレース。
草履なのにゴシック感があふれる、まさに私好みの一足だった。
ウキウキしながら履いてみる。
……鼻緒に親指が通らない。
外反母趾の出っ張りに、鼻緒が引っかかる。
それでも無理やり指を通し、室内を歩いてみた。
…………痛い。
前坪が指の間に当たり、擦れて痛い。
この二つをどうにかしなければ、せっかく着付けができるようになっても、この草履を履けないままだ。
だからといって、購入したばかりのゴシック草履を、練習用に履き潰したくはない。
それなら。
『下駄を履くしかないな』
コンバースがないから下駄を履く。
草履を履くために、下駄で慣らす。
身も蓋もない理由だ。
だが、この時点で私の中では、下駄が急に現実的な選択肢として浮上していた。
【一足目の下駄】
『下駄』で検索すると、たくさんの店が表示された。
下駄にもいろいろある。
昔ながらのもの。
浴衣向けのもの。
洋服にも合わせやすそうなもの。
鼻緒と台を選べるもの。
私は、鼻緒と台を別々にオーダーできる店を選んだ。
鼻緒は、赤地に白レース。
台は、艶やかな黒塗り。
シンプルだが、少しだけ癖がある。
和にも洋にも寄せられる、私好みの一足になった。
鼻緒は緩めに調整してもらった。
それでも私の足には少しきつく、自分で鼻緒を引っ張り、少しずつなじませた。
足を包み込むスニーカーとは違い、下駄は足全体を覆わない。
支えるのは、木の台と鼻緒だけ。
最初は心もとなかった。
けれど歩いてみると、足の指が久しぶりに自分の意思で広がったような気がした。
カツ、カツ、と鳴る音もいい。
なんだか粋な女になったような錯覚すらある。
錯覚は大事だ。
人生の大半は、錯覚で前に進んでいる。
ロッキンホースで9センチ高い場所に立ったときとは違う。
木の台の上には、地面に近い自由があった。
これはこれで、悪くない。
いや、かなりいい。
このときの私は、下駄こそ足元の最適解ではないかと思い始めていた。
【下駄で通勤する女】
しばらくは近所で慣らした。
スーパーへの買い物。
近所の散歩。
短時間の外出。
余裕でクリア。
そして私は、思い切って通勤にも下駄を導入した。
自宅からバスで約10分。
最寄駅から職場まで電車で20分。
駅から職場の更衣室があるビルまで徒歩5分。
実際に歩く時間は、そこまで長くない。
ならばいける。
結果、いけた。
通勤下駄、採用である。
意外と、人目は気にならなかった。
もともと、和装用の長羽織やマントを、カーディガンやコート代わりに着ていた。
かつてはゴスパンスタイルで街を闊歩していたこともある。
人間、ある程度まで奇抜な格好をしていると、途中から周囲の視線に対する感度が鈍る。
これは便利なようで、社会生活において若干危険でもある。
他人の目を気にせず、静かに暴走する人の出来上がりだ。
――私のことだがな。
もちろん、下駄にも弱点はある。
雨の日の下駄は、突然こちらに牙を剥く。
足は濡れる。木の歯は滑る。
雪の日に一度、私は本気で人生の終わりを想像した。
下駄は万能ではない。
むしろ現代社会においては、なかなか隙の多い履物だ。
それでも私は、下駄を推す。
足を締めつけない。
脱ぎ履きが楽。
指先が自由。
洋服にも意外と馴染む。
そして何より、履いていて気分がいい。
実用性と美意識が、ぎりぎりのところで手を取り合っている。
これが、私が求めていた足元だった。

【二足目の下駄、そして履けない問題】
半年ほど下駄生活を続けた。
当然、下駄の歯はすり減り、ボロボロになった。
鼻緒を新しい台にすげ替えれば、まだ使える。
下駄は、思っていたよりサステナブルな履物でもあった。
この頃には着付け教室に通い始め、着物も何枚かあつらえていた。
そして、手元には着物の余り布があった。
この生地で鼻緒を作れないだろうか。
そう思って探してみると、浅草に、持ち込み生地で鼻緒を作り、下駄に仕立ててくれる履物屋を見つけた。
再生予定だった一足目に「すまぬ」と詫び、意気揚々とオーダーした。
二足目の下駄である。
お気に入りの着物の余り布で作った鼻緒と、選んだ台。
仕上がった一足には、私の美意識とこだわりがぎゅうぎゅうに詰まっていた。
そしてここで、私の悪い癖が出る。
履けないのだ。
お気に入りすぎて。
下駄を履きたくて作ったのに、その下駄が可愛すぎて履けない。
本末転倒もいいところである。
下駄は履物だ。
履いてこそ意味がある。
そんなことはわかっている。
わかっているが、履けないものは履けない。
時々箱から出して眺め、またしまう。
二足目の下駄で出かけた回数は、今も片手で足りる。
私は下駄を履きたかったのか。
それとも、下駄という形をした自分の美意識を所有したかったのか。
少し考えた。
たぶん、両方だ。
【靴難民、いったん終了】
実は、下駄生活と並行して靴探しも続けていた。
そして、神戸に本店を構える、足にやさしい靴の店を見つけた。
東京の実店舗で試し履きをし、色違いのサボを二足購入した。
靴難民、終了のお知らせである。
だが、下駄生活の快適さは捨てがたい。
下駄を知る前の私は、コンバースに代わる一足を探していた。
下駄を知った後の私は、足元の選択肢そのものを増やしていた。
もう、コンバースの代用品を探しているわけではない。
その後、なぜかコンバースも再び買えるようになった。
あの頃はどうして見つからなかったのか、不思議なくらいである。
コンバース。
サボ。
草履。
下駄。
その日の服と、天気と、身体の調子に合わせて選べばいい。
足元は、ひとつでなくていい。
ロッキンホースで9センチ背が高くなった私は、
今、下駄で地面の近くを歩く選択肢も持っている。
高さは減った。
けれど、足元の自由はむしろ増えた。
一足目は台を交換し、一軍へ戻す。
二足目は着物の日に履く。
草履にも、いつか出番を与える。
選べる足元が増えた分だけ、私は自由になった。
雨の日以外は。
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