【100日チャレンジ】36日目|歴史小説『左近』(火坂雅志著)感想 ― “筋”を通して生きるということ
歴史小説『左近』(著:火坂雅志/講談社文庫)を、上下巻あわせて読了した。
タイトルにもある通り、主人公は石田三成に仕えた名将・島左近(清興)。しかしこの小説は未完であり、関ヶ原の戦いは描かれない。正確に言えば、本来は「上・中・下」の三部作となるはずだったが、著者の火坂雅志氏が2015年に急逝したことで、「上・下巻」で物語は途切れてしまっている。
下巻でようやく石田三成が登場し、島左近が彼に仕官する。いよいよ徳川家康との対立構造が鮮明になり、「これから戦国のクライマックスが描かれるぞ……!」という絶妙なところで、物語は幕を閉じる。なんとも切ない終わり方ではあるが、逆に言えば「関ヶ原以前」の左近をしっかり描き切った作品でもある。
“勝つことがすべて”という時代に生きる意味
この小説の魅力のひとつは、乱世における「勝つことがすべて」という価値観がいかに絶対的であり、それでもなお“筋を通す”生き方を貫こうとする男の姿が描かれている点だ。
島左近は、目先の損得に流されず、自分が「正しい」と信じた相手にこそ命を賭ける。金や地位よりも、「自分の信じたものに命を懸ける価値があるかどうか」という一点に従って生きる。その姿勢はまさに、現代社会において忘れ去られつつある「任侠」の精神にも通じている。
令和の今、もはや戦国のように「勝つか死ぬか」で人生が左右されることは少ない。多様な生き方が許容される時代になったからこそ、逆にこの“島左近のような生き方”が際立って見えるのかもしれない。
なぜ左近は石田三成を選んだのか?
この問いは、読んでいてずっと頭に残っていた。
島左近という男は、筒井順慶のもとで軍略をふるい、織田信長の家臣らとも関わりを持ちつつ、決して権力や金にしがみつくことなく、何年も浪人生活を送りながら「本当に仕えるに足る人物」を探していた。
そんな彼が、最終的に仕官した相手が、あの石田三成である。
正直に言えば、三成はこの小説の中でも、あまり魅力的な人物として描かれていない。冷静で頭脳派だが、戦は下手、人望も薄い。計算高く、正論で周囲をねじ伏せるタイプ。敵も多い。
それでも左近は、彼に心を寄せる。
この背景には、おそらく三成の「不器用さ」や「ひたむきさ」があったのではないかと思う。たとえ嫌われようとも、秀吉に忠義を尽くす姿勢、正義のために嫌われ役を引き受ける覚悟──それこそが、左近が理想とする“筋を通す男”の姿だったのかもしれない。
不器用な三成に、自分自身を重ねたのかもしれない。あるいは、「この男を最後に仕える」と直感で決めたのかもしれない。その理由が明確に描かれないからこそ、逆に読者は深く考えさせられる。
「熱さ」の中の冷静──左近という人物の本質
左近という男は、「熱血」「義に厚い」「筋を通す」といった、いわば“昭和的”な理想像にも通じるキャラクターだが、決して単なる一本気な男ではない。
常に身体を鍛え、戦のために備え、状況を冷静に分析する力を持ち、風を読む力に長けている。決断の瞬間には慎重さを持ちつつも、一度「ここ」と決めたら迷わない。そんなバランス感覚を持った人物として描かれている。
言い換えれば、“知将”であり“理想主義者”であり、同時に“リアリスト”でもある。
「感情で突っ走るだけの男」ではなく、「どんな乱世でも生き残り、理想を貫くために、冷静さを失わない男」。まさに“軍師”のような一面も持ち合わせていたことが、この小説を通じてあらためて伝わってきた。
最後に
『左近』という作品は未完であるがゆえに、読後にいくつもの余韻が残る。完成していれば、関ヶ原での壮絶な最期も描かれていたかもしれない。しかし、未完だからこそ、読者は「なぜ左近はこの道を選んだのか?」という問いを、より深く自分の中で掘り下げることになる。
勝つことがすべてだった戦国の時代に、「勝ち」にこだわらず、「筋を通す」ことを信念に生きた男の生き様──。
現代においても、その精神は色あせることがない。
