ファッション業界に影響を与えたインディペンデントマガジンの実験、最強6+1誌
今回はヴォーグなど伝統的な雑誌にみられるポージングや写真が、ファッション業界の商業主義的な扇動や欲望を喚起するためのメディアであり『モード』という表層的なコードの仕掛けが支配した時代、パンクやロックなど反逆の時代に突如として現れて、90年代を中心に音楽やアートなど多様なカルチャーを巻き込みながらアンダーグラウンドから時代を統合的に変えていったインディペンデントマガジンについて解説を交えつつざっと振り返ってみます。
i-D(I-D magine)

インディペンデントマガジンの草分けとして、筆頭に挙げなければならないのは『i-D』誌でしょう。『i-D』誌の誕生は当時の時代背景もあり、とてもセンセーショナルなものでした。1970 年代に英国版『ヴォーグ(Vogue)』のアートディレクターだったテリー・ジョーンズ(Terry Jones )はパンクの台頭にあわせて当時ロンドンのストリートで席巻していたパンクファッションを『ヴォーグ』誌が「ファッション」として認めなかったことから自ら『ヴォーグ』を去ることになります。その後1980 年8 月、アーティスト兼デザイナーのアレックス・マクドゥエル(Alex McDowell)とライターのペリー・ヘインズとともに『i-D』誌を創刊します。創刊当初の『i-D』誌は誌面はモノクロの荒い画像に、タイプされた文字が打ち込まれた、パンクのファンジンのような手作り感に満ちたものでした。街ゆく人々をスナップショットで撮影する「ストレートアップ」という手法を用いて、ストリートのファッションと言葉を収集するとともに、『ヴォーグ』のような美・富を反映したものではなく、等身大のリアリティに基づいた革新的な発想を映し出す、つまり『i-D』誌のアジェンダとは、組み合わせ編集することで模倣ではない自分のスタイルを作りだすことでした。このドキュメンタリー手法を用いてロンドンのストリート風景を捉た、写真主導のレイアウトデザインと「ストレートフォトグラフィ」のスタイルこそが初期の『i-D』
大文字の「D」が示すデザインへの関心と、独立精神を象徴した小文字「i」に、1983年・1984年から採用された象徴的なウインクスマイルマーク(モデルが一様にウインクする表情をするというビジュアル)が新しい時代に相応しいアイコンといえるでしょう。ただし「ストレートアップ」といった手法が現代のファッション誌面づくりにどの程度影響を与えたかは微妙かなと思います。「作り込まない」ことでより即興性を感じさせるという点で、いえばそのような意図のある編集手法としてみられるがちであるとも思います。よくあるストリートファッションのスナップには向いているわけですが、デザインの観点からみるとそれ自体がありがちで、使いかによってはステレオタイプというか本来の実験性が霞んでしまう危険性があります。
2012年にバイス・メディアに買収されたことでアート系ビデオコンテンツの個性的な表現に軸足を移し、今だにファッション、写真、若者文化に強い影響を与えています。
『i-D』94 号「 ストリクトリー・シリーズ」
『i-D』94 号(1991 年7 月) 写真家ジェイソン・エヴァンズ(Jason Evans)とスタイリストのサイモン・フォクストン(Simon Foxton)による「 ストリクトリー・シリーズ」では、読者に強い衝撃を与えました。エドワード・エニンフル(現在『i-D』誌のファッション・ディレクター)が身につけているのは、18世紀イング ランド貴族が田園や別荘で乗馬などを楽しむための紳士服です。「現代」の風景・英国郊外の自宅を背に撮影されており、その「違和感」が醸し出す「新奇性(奇妙な新しさ)」が話題を呼びました。衣服もひとつのメディアとしてとらえることができます。この衣装に埋め込まれたコードは英国白人の文化やクロニクル・空間的な記憶であって、雑誌というメディアを通じて白人文化を纏う非白人への視線を通じて、英国白人が非白人をみるときの人種的な視線の構造を転倒させています。ヴィヴィアン・ウエストウッドが異なる文化をリミックスしたように、「イングランド」の歴史を『着る』ことで仮想的な同化を試みるのであり、そこに民族や政治を乗り越える「英国のアーバニズム」の横断性を感じさせるので す。そういう意味で、インディペンデントメディアが文化に果たす役割がいかに大きいかが理解できるはずです。
(参考・要約:文化と暴力: 揺曵するユニオンジャック 清水知子 著)

The Face

『face』誌はロンドン郊外のモッズであったニック・ローガン(Nick Logan )が先駆的なグラフィックデザイナーで知られるネヴィル・ブロディ(Neville Brody)のアートディレクションで創刊しました。AppleやAdobeの誕生によってその頃デザインの手法が一変した時代、RayGunをはじめ多くの実験的なカルチャー誌が発刊したその頃、カリフォルニアではエミグレ(Emigre)が起業し、英国ではブロディが時代を席巻しました。まさにその寵児と言っても過言ではありません。「デザインの新しい未来を感じた時代」と筆者と同年代の方ならわかっていただけると思います。

『face』誌は1980 年代のファッションバイブルといえるでしょう。ニック・ナイト(Nick Knight)のファッションフォト、レイ・ペトリ(Ray Petri)のスタイリングなどで個性が際立ちました。ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)、ブルース・ウェーバー(Bruce Weber)、シンディ・シャーマン(Cindy Sherman)らアーティストのショーケースであると同時に、デビッド・ボウイ(David Bowie)やプリンス(Prince)をカバーとし使い、『ヴォーグ』などにはないクロスカルチャー感覚がありました。当時15 歳のケイト・モス(Kate Moss/Katherine Ann Moss)をコリーヌ・デイ(Corinne DAY)の写真でデヴューさせたことは1990 年7 月号は業界の伝説でもああります。
この時代・1980 年代は、1981 年9 月に『MTV』、1985 年に『E.L.L.E』誌、1988 年には英国版『マリ・クレール』誌が発刊され、情報エコノミクス時代の始まりである一方で、『i-D』誌と『The face』誌のような個人誌的なマイクロメディアが斬新な発想が発信されていく時代の先駆けでもありました。『i-D』誌と『The face』誌は、ダダや未来派・パンクなどの先鋭的な文化に影響を受けており、ポストパンク時代のシンボルとして、音楽やアート、ファッションを横断的に媒介するコミュニケーションツールとして、それは『ファッション』のさらに先を行き、当時のユースカルチャー全般に多大な影響を与えました。こうしたインディーズ・メディアカルチャーの流れはその後も1991 年創刊の『Dazed &Confused Magazine』などに引き継がれていくことになります。

このような『DIY メディア』こそが、「イングランド」のイメージを大きく刷新し、いまのトラッド(伝統)とアヴァンギャルド(前衛)のコントラストに代表される現代の英国文化のイメージをつくりあげたといって過言ではないでしょう。雑誌メディアを通じて頒布されるイメージは、ただカタログ化されたファッションを流通させているのではありません。例えば高級ファッション誌には「表面的な美しさや娯楽、消費の快楽」のさらに先に、西欧の文化に対する自意識や、伝統の優位性など、さまざまなコードがモザイク状に埋め込まれており、大衆意識に影響を与え、無意識下に大衆の見識を操作しているのです。一方で、同時代にそれらに抵抗するファッションやメディアのオルタナティブなアクティビティが反動として現れ、それらが革新的なシフトチェンジを産み出すことになります。ポストパンク時代のシンボルとして誕生した『I-D 』は異なる文化の融合装置として、「単なるプレスではないファッションメディアのあり方」を現在もなお問い続けています。

ここでインディペンデントパワーが1990 年代以降、どのように継承されたかを少しだけ紹介しておきます。
Purple Fashion

1992 年にオリヴィエ・ザーム(Olivier Zahm)とエレン・フライス(Elein Fleiss)によって創刊されたカルチャー雑誌になります。インディペンデントでありながら高いヴィジュアル・クオリティーで世界中のアーティストや編集者から注目されまhした。卓越した批評眼が選んだ写真やテキストで構成したPurple 誌の発展形としてさまざまなスタイルを経て、現在、オリビエが編集長を引き継いで刊行しています。 既存のファッション雑誌とは一線を画す斬新な誌面を提供。ユルゲン・テラー(JuergenTeller)、テリー・リチャードソン(Terry Richardson)、ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans)、ウィリアム・エグルストン(William Eggleston)、リチャード・プリンス(Richard Prince) など著名なアート系フォトグラファーが多数参加していることでも知られています。
Self Service

パリ発。Comme des Garcons Parfums、プラダ、ミュウミュウ、クロエ、シャネル等のブランドを手がけてきたクリエイティブ・ディレクター、エズラ・ペトロニオ(Ezra Petronio)と後にヴォーグ(仏版)のファッション・ディレクターとなるスザンヌ・コラー(Suzanne Koller)が1994 年に創刊した雑誌です。
常にクリエイターやファッションファンから注目を浴びる質の高いヴィジュアルと、斬新なファション写真の他に時代を牽引するファションデザイナーや編集者、アーティストが登場する対談なども注目されています。創刊10 周年の後ハードカバー化し現在に至ります。独自のスタイルをもつクリエイターや変革をもたらすクリエイターを支持し、ラフ・シモンズ(Raf Simons)/ちなみに筆者は1995年のデビュー時から1997年までのコレクションに強い影響を受けました。・余談/
エディ・スリマン(Hedi Slimane,)、ジェレミー・スコット(Jeremy Scott)、ヴィクター&ロルフ(VIKTOR&ROLF)、ケイティ・イングランド(Katy England)、ジョー・マッケンナ(Joe McKenna )、スティーブン・ガン(Stephen Gan)ら、いずれもクセ強いアーティスを取り上げてきました。
VISIONAIRE

ニューヨークを代表するビジュアル・マガジンのひとつ。当時、東京はもちろん、大阪や京都などにも良質の洋書のセレクトショップが多くあった時代に海外雑書見放題・手に入れ放題の時代の恩恵を受けた人間であれば誰しもがご存知であろう最も話題性の高かったマガジンといえるでしょう。
『VISIONAIRE (ヴィジョネア)』。 スティーブン・ガン(Stephen Gan ) と セシリア・ディーン(Cecilia Dean)、 ジェームズ・カリアドス(James Kaliardos)らが1991 年に立ちあげました。
同誌は、ファッションとアートの融合という当時はまだめずらしかったアイデアと、他の追随を許さないオリジナリティで、またたく間に世界のファッション業界のみならず、クリエイティブ業界全体から注目を集める存在になりました。( fashionpost曰く )コレクターズ・マガジンとしても知られ、バックナンバーは高値で売買されています。
A Magazine

アントワープ6 のひとり、ワルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)が創刊した「N’ ABCDE Magazine」(No.A,B,C・・・と5 号続いたNumber Magazine)のコンセプトを、そのまま引き継いで刊行されました。A Magazine はデザイナーがシーズンごとに新しいコレクションを作るのと同じようなやり方で表現・デザインする雑誌コンセプトであり、その点は他にはない大変面白い試みがなされています。アントワープ・モード美術館 MoMu に編集部をおき、N’ ABCDE Magazine 誌と同様、各号で国際的なファッションデザイナーをゲストキュレーターとして迎えて展開し、一緒に作り上げていくスタイルをとっています。
A Be Sea

最後に、A BE SEAを紹介します。セバスチャン・ボイル(Sebastian Boyle)が発行するアート雑誌です。1990年代に非常に短期間のみ発行された稀少なヴィジュアルペーパー(大判の雑誌・写真誌)です。90年代のファッション、カルチャー、ヴィジュアルを独自の視点で切り取った、写真中心の誌面構成が特徴です。「Elephant」書体のみで構成された号や8mmフィルムを使いハーフトーン印刷物を再撮影したりアナログでしか再現できないデザイン手法を使うなど非常にアーティスティクで実験的である点は初期のi-D誌を彷彿とさせますが、どちらかというとよりアート志向が高いと感じます。編集者は当時非常に若いメンバーであり、誌面の多くを著名なデザイナー・アーティスト・映画監督・フォトグラファーなどに任せつくることで、ほんの一時期、あっという間に世界流通するに至りました。誌面はモノクロでありファッション写真やアートワークが収録されていて90年代特有のカルチャーを感じさせる資料的価値の高い出版物です。特にissue D (イシューD): 特に「a Be Sea ISSUE D」は、コレクターアイテムとして知られています。非常にレアなヴィジュアル誌で現在、市場にほとんどでません。
ちなみに筆者はすべての号を保有しております。
Afterword
いかがだったでしょうか?
1980-2000年代初頭を境に、こうした多くのインディペンデントマガジンが発行されたことで、ファッション時代のメディア化が急速に進み、またバウハウス以来、アート・デザイン・ファッション・建築・音楽など異なるカテゴリーの文化が統合的に扱われるようになった新しい時代潮流をつくったといえます。またファッションをはじめとした古い商業的な伝統文化(メインストリーム)に対抗する、アンダーカルチャーの先鋭化のあり方を形成したことから、その後の時代の新しい試み(posturingなど)の基盤となったと考えることができます。
