家族で来たはずなのに、海外で前へ進んでいるのは自分だけだった|聡、38歳
EXPAT CASE 02|聡、38歳
土曜日の朝、聡はシンガポールのコンドミニアムで、四人分のパスポートをテーブルに並べていた。
自分。妻の裕子。九歳の娘、芽衣。六歳の息子、航。
翌月のスクールホリデーに、家族でバリ島へ行く予定だった。航空券は取った。ホテルも予約した。あとはオンラインで入国に必要な情報を登録するだけだった。
聡が画面へ家族の生年月日を入力していると、芽衣が自分のパスポートを手に取った。
「これ、いつまで使うの?」
「期限? あと四年くらいあるよ」
「そうじゃなくて。シンガポール、いつまでいるの?」
聡は入力の手を止めた。
会社から伝えられている任期は、原則三年。今は赴任から二年二か月が過ぎたところだった。ただし、アジア地域の組織再編が進んでおり、半年ほど前から一年延長の可能性を示されていた。
「まだ決まってない。来年の夏か、その次の夏かな」
芽衣は、どちらがよいとも言わなかった。
「じゃあ、私、どこの中学校に行くの?」
日本へ帰れば、住む場所によって中学校が決まる。こちらに残れば、今のインターナショナルスクールへ通い続ける。帰国の時期によっては、中学受験を考える家庭もあるらしい。
聡は、調べれば答えられる質問だと思った。
だが芽衣が聞いていたのは、学校制度のことだけではなかった。
今の友達といつまで一緒にいるのか。日本の友達のところへ本当に戻るのか。どちらの場所で、自分は次の学年になるのか。
聡はパスポートを閉じた。
「会社と話して、決まったらすぐ伝えるよ」
芽衣はうなずき、リビングへ戻った。
会社が決めなければ、家族へ答えられない。
三年前、聡は海外赴任を「家族にとっても、きっといい経験になる」と説明した。
その言葉を信じていなかったわけではない。
けれど、家族に渡したはずの大きな経験には、子どもが自分の進学先を決められない時間も含まれていた。
家族で行けるのは、今しかないと思った
聡は、総合電機メーカーで海外事業に携わっていた。
入社以来、アジア市場の仕事を長く担当してきた。出張では何度も海外へ行ったが、現地で暮らしたことはなかった。
三十五歳のとき、上司からシンガポールの地域統括会社への赴任を打診された。
東南アジア各国の販売会社を横断し、事業計画と収益改善を進めるポジションだった。本社では部長の補佐として資料を作ることが多かったが、現地では自分が各国責任者と直接議論する。
次の管理職候補として、明らかに大きな機会だった。
上司は言った。
「家族で行くなら、子どもがまだ小さい今の方が動きやすいかもしれないな」
聡もそう思った。
芽衣は当時六歳。航は三歳。中学生になってからでは、学校や友人関係の影響が大きくなる。裕子も「いつか海外で暮らしてみたい」と、以前話したことがあった。
夕食のあと、聡は赴任の話を家族へ伝えた。
「シンガポールで三年働かないかって言われた」
裕子は驚いたあと、最初に芽衣と航の学校について聞いた。
聡は会社から渡された赴任案内を見せた。住居費の補助。医療保険。子どもの学費。引っ越し費用。年に一度の一時帰国。
「英語も身につくし、いろんな国へ行ける。子どもたちにとっても、すごくいい経験になると思う」
芽衣は、プールのある家に住めるのかと聞いた。航は、飛行機で行くのかと喜んだ。
裕子だけは、すぐには答えなかった。
彼女は食品会社の商品開発で働いていた。十年以上続け、ようやく小さなチームを任されるようになっていた。会社には配偶者の海外赴任に伴う休職制度があったが、三年後に同じ仕事へ戻れる保証はなかった。
「私の仕事のこと、少し考えさせて」
裕子はそう言った。
聡はもちろんだと答えた。
けれど心のどこかでは、家族で行く方向はもう決まっていると思っていた。
海外赴任は、何度も巡ってくる機会ではない。子どもが小さい時期にも期限がある。会社からは、二週間ほどで意向を知らせてほしいと言われていた。
時間をかければ、それぞれが納得できるとは限らない。むしろ考えるほど、失うものが増えて見える。
最後は裕子が、「行ってみようか」と言った。
聡はうれしかった。
家族が自分の挑戦を応援してくれた、と感じた。
後になって考えると、そのとき裕子が選んだのは、聡を応援することだけではなかった。
自分の仕事を止めること。子ども二人の日常を動かすこと。両親から離れること。そして、家族の中で唯一、帰国後の居場所が約束されていない立場になること。
同じ「行く」という返事の中に、四人分の異なる決断が入っていた。
海外赴任は、聡の仕事を一段大きくした
赴任後、聡の仕事は想像以上に忙しく、想像以上に面白かった。
月曜日にはマレーシアの販売会社と予算を協議し、水曜日にはインドネシアの工場へ飛ぶ。金曜日には日本本社へ地域全体の業績を報告する。
各国で市場も商習慣も違う。本社が一つの基準で管理しようとすると、現地から反発が出る。現地の事情をすべて受け入れると、地域として何も変えられない。
聡は、間に立つ仕事に手応えを感じた。
日本の常識をそのまま持ち込まない。しかし、「現地ではこうだから」で終わらせない。数字の背景を聞き、現地スタッフと改善策を作り、本社が判断できる言葉へ翻訳する。
一年目の終わりには、地域共通の採算管理を導入した。それまで国ごとに異なっていた指標をそろえ、赤字製品と成長市場が見えるようになった。
会議では、年上の現地法人社長たちが聡の提案へ意見を求めた。
本社にいた頃より、自分の判断が事業へ届く距離が短い。
英語で難しい交渉を終え、夜の便でシンガポールへ戻るとき、聡は疲れていても満たされていた。
海外へ来なければ、自分にこれだけの仕事ができるとは知らなかったかもしれない。
評価面談では、「帰任後は課長級の役割を考えている」と言われた。延長の話も、現地で成果を出したからこそ出ている。
仕事の時計は、明らかに前へ進んでいた。
聡は家族にも、その成果を話した。
新しい仕組みが採用されたこと。経営会議で自分の提案が通ったこと。現地スタッフから感謝されたこと。
裕子は「よかったね」と言った。
その言葉に嘘はなかった。
ただ聡は、裕子の三年間について「何が前へ進んだのか」と聞いたことがなかった。
同じ家で、四人が別々の国へ来ていた
家族は、少しずつシンガポールの生活に慣れた。
芽衣は最初、英語の授業が分からず、学校へ行く前に泣いた。先生の指示を聞き逃さないよう、一日中周囲の表情を見ていた。帰宅すると、夕食の途中で眠ってしまうこともあった。
半年ほどすると、友達の名前が会話に出るようになった。誕生日会へ呼ばれ、英語の本を読むようになり、聡より自然な発音で店員と話した。
航は、姉より早く新しい環境へなじんだ。幼稚園で覚えた歌を家で歌い、日本語と英語を混ぜて話した。
聡は、子どもの適応力はすごいと思った。
けれど芽衣は、日本の小学校の友人から送られてくる写真を何度も見ていた。運動会、遠足、クラス替え。自分が写っていない写真の中で、以前の日常が続いている。
日本へ一時帰国したとき、久しぶりに友人と会った芽衣は楽しそうだった。ところが帰宅後、「みんなの話が分からないことがあった」と裕子にだけ話した。
こちらでは、日本から来た子。
日本では、シンガポールに住んでいる子。
二つの場所を持つことは、二倍の居場所を持つこととは限らない。どちらでも少し説明が必要な自分になることもある。
裕子は、家族の生活を立ち上げた。
学校との連絡、病院、買い物、習い事、送迎。最初は一つひとつ調べなければならなかった。日本人の保護者から情報を教えてもらい、現地のサービスを試し、子どもが困らない形を整えた。
聡が出張から戻る頃には、家は日常として動いていた。
聡はそのことを「家族も慣れた」と理解していた。
だが、慣れたという一言の内側で、芽衣は二つの学校の間に立ち、航は日本語で知らない言葉を増やし、裕子は職業のない自己紹介に慣れようとしていた。
四人は同じ飛行機で来た。
それでも、四人が経験している海外は同じではなかった。
家族旅行が、家族の時間とは限らなかった
駐在中、聡はできるだけ家族で旅行しようとした。
せっかくこの地域にいるのだから、子どもたちに多くの景色を見せたい。タイ、マレーシア、オーストラリア、インドネシア。日本から行くより近く、費用も抑えられる。
写真には、確かに家族四人の経験が増えていった。
象に餌をあげる航。海辺を走る芽衣。夕焼けを背に並ぶ家族。
ある旅行で、聡は金曜の夜まで重要な会議に参加していた。家族には先にホテルへ向かってもらい、自分だけ翌朝の便で合流した。
空港からホテルへ着くと、子どもたちはプールにいた。
聡は部屋でパソコンを開いた。本社から届いた質問へ、月曜までに回答する必要があった。
昼食の時間になり、裕子が部屋へ戻ってきた。
「今日くらい、仕事を閉じられない?」
「あと少し。これだけ返せば終わる」
「昨日もそう言ってたよ」
聡は、旅行へ来るために仕事を調整したつもりだった。金曜の夜に移動できなくても、土曜の朝には合流した。忙しい時期に家族の予定を守ろうとしている。
「せっかく来たんだから、楽しもう」と言いかけて、やめた。
楽しむための場所を予約したことと、家族へ注意を向けることは違う。
聡はパソコンを閉じ、プールへ向かった。
それで問題が解決したわけではない。
夕方には仕事の連絡が気になった。翌朝、家族が眠っている間に返信した。
仕事も旅行も、どちらも聡が家族のために大切にしたいものだった。
しかし二つを同じ日へ入れれば、予定表の上では両立しても、注意は分かれる。
家族で海外にいることと、家族が同じ時間を経験していることは、同じではなかった。
父の入院を、時差の向こうで聞いた
赴任から一年八か月が過ぎた頃、日本にいる聡の父が入院した。
庭で足を滑らせ、大腿骨を骨折した。手術は無事に終わり、命に関わる状態ではなかった。
母は電話で「こっちは大丈夫だから、帰ってこなくていい」と言った。
兄が病院の手続きや退院後の準備をしてくれた。聡も一時帰国を考えたが、ちょうど各国の年度計画をまとめる時期だった。
父本人も、「わざわざ来るほどじゃない」と笑った。
聡は帰らなかった。
毎晩、病室の父とビデオ通話をした。元気そうな顔を確認し、リハビリの様子を聞いた。必要な費用は自分も負担すると兄へ伝えた。
できることはしていると思った。
それでも、退院した父が以前よりゆっくり歩く姿を画面で見たとき、聡は三年という期間の別の意味を知った。
自分の三年間は、キャリアの伸びる三年間だった。
子どもにとっては、学校と友人関係が作り直される三年間。裕子にとっては、仕事から離れる三年間。両親にとっては、身体の状態が変わる三年間だった。
暦の上では、全員に同じ三年が流れている。
だが、それぞれの時計にとっての重さは同じではない。
若い頃、三年は取り戻せる期間に見えた。
三十八歳の聡には、誰の人生でも同じように取り戻せるわけではないと分かり始めていた。
延長は、一年分の手当を増やす話ではなかった
正式に延長の打診が来たのは、その二か月後だった。
新しい地域組織が立ち上がるまで、もう一年残ってほしい。役割は現在より大きくなり、複数国のチームを直接率いる。帰任後のポジションについても、前向きに検討するという。
聡にとって、魅力的な話だった。
今帰れば、自分が始めた改革を途中で引き継ぐことになる。もう一年あれば、仕組みを定着させ、明確な成果として残せる。管理職として次の段階へ進める可能性も高い。
待遇面でも悪くなかった。
家賃と学費は会社が負担する。海外勤務手当も続く。日本へ戻れば、同じ広さと教育環境を自分の収入だけで維持するのは難しい。
聡は、家族にとっても残る利点は大きいと思った。
夕食の席で延長の話をすると、航は「もう一年プールに入れる?」と喜んだ。
芽衣は黙っていた。
裕子は、「聡は残りたいの?」と聞いた。
「仕事としては、最後までやりたい。ただ、みんなにとってどうかを考えたい」
自分では、公平に聞いたつもりだった。
だが裕子は言った。
「私たちにとってどうかを聞く前に、あなたにとって残りたい仕事なんだって、ちゃんと言ってほしい」
聡は意外に思った。
家族へ自分の希望を押しつけないために、慎重に話したつもりだった。
「家族のため」と言えば、本人の野心は穏やかに見える。
「子どものため」と言えば、住居や学費の利点を説明できる。
けれど、誰の希望かを曖昧にしたままでは、誰が何を譲ったのかも見えなくなる。
裕子は続けた。
「私は、もう一年残るのが絶対に嫌なわけじゃない。でも、あなたのやりたい仕事を、家族全員にとっていい経験だからという形にしないでほしい」
聡は、三年前の自分の言葉を思い出した。
英語が身につく。いろんな国へ行ける。家族にとっても、きっといい経験になる。
どれも間違いではなかった。
ただ、正しい利点を並べることで、一人ひとりが差し出すものを十分に見なくても、話を前へ進められてしまった。
家族会議で、四人を一つにまとめない
その週末、四人は延長について話した。
聡は最初に、自分はもう一年残って仕事を完成させたいと伝えた。
そのうえで、残ることを結論にせず、それぞれがどう感じているかを聞いた。
芽衣は、日本へ帰りたい気持ちと、今の学校を離れたくない気持ちの両方があると言った。
「どっちが一番いいか、分からない」
九歳の子どもに、家族の赴任期間を決めさせることはできない。かといって、分からないという答えを、意見がないことにしてもいけない。
航は、今の幼稚園が好きだった。日本の小学校については、まだ具体的に想像できていない。
裕子は、もう一年残るなら、オンラインの学び直しだけでなく、現地で関われる仕事や帰国後の復職時期を具体的に考えたいと話した。
「三年なら止められると思って来た。でも四年になるなら、ただ待つ一年にはしたくない」
聡の父のこともあった。
母は一人で多くを抱えたとは言わなかった。しかし今後、通院や生活の支援が増える可能性がある。兄が近くにいるから任せればよい、という話だけではなかった。
聡たちは、その日に結論を出さなかった。
会社へ確認することを決めた。
帰国時期を夏に固定できるか。芽衣の学年の区切りを守れるか。裕子が一時的に日本へ戻る選択は可能か。家族の事情で途中帰任が必要になった場合、どのような扱いになるか。
家族の希望を完全にそろえることはできない。
大人二人だけなら妥協点を探せても、子どもは選択の結果を十分に予測できない。日本の両親の状態も変わる。会社の組織計画も確定していない。
良い決定とは、全員が同じ答えを望むことではないのかもしれない。
誰の時計を動かす決定なのかを隠さず、変化が起きたときに選び直せる余地を残すこと。
聡は初めて、海外赴任を自分のキャリアの出来事ではなく、複数の人生の配分として見始めた。
帰国の日より、その後の火曜日を考える
数週間後、会社との話し合いで、延長する場合も翌年の六月末に帰任できる見通しが立った。家族事情による見直しも、半年ごとに相談することになった。
それで、すべての不確実性が消えたわけではない。
帰国後、聡がどの部署へ配属されるかは決まっていない。裕子が同じ仕事へ戻れるかも分からない。芽衣が日本の学校になじめる保証もない。航は、シンガポールで過ごした時間をどれほど覚えているだろう。
聡たちは、一年延長を受ける方向で考えることにした。
以前のように、「家族全員にとっていい経験だから」とは言わなかった。
聡には、やり遂げたい仕事がある。
そのために裕子と子どもたちは、もう一年ここで暮らす。代わりに聡も、家族の残り一年を、自分の仕事に付随する背景として扱わない責任を持つ。
出張の数を減らせるか。週末の予定を仕事で崩すとき、誰がその調整を引き受けるのか。裕子の時間を先に家族の予定表へ入れられるか。芽衣の帰国準備を、直前の手続きだけにしないために何ができるか。
延長を選ぶとは、一年分の成果や手当を選ぶことではない。
その一年に繰り返される、何百回もの朝と夜を選ぶことだった。
日曜日、聡はバリ島旅行の登録を終えた。
四人分のパスポートを重ねようとして、少し考え、一冊ずつ手に取った。
同じ姓。同じ住所。同じ入国日。
書類の上では、一つの家族として移動している。
けれど、この国で始まった生活は、四人それぞれの人生に違う形で残る。
聡の職務経歴には、地域統括会社での四年間と書かれるだろう。
裕子の履歴書には、その期間がどのように書かれるのか。芽衣は将来、この時間を海外で学べた幸運として話すのか、それとも二つの学校の間で迷った時期として覚えているのか。航の記憶には、プールと友達の顔だけが残るのかもしれない。
一つの決定から生まれる価値は、一つではない。
同じように、一つの決定によって支払われる時間も、一人分ではない。
翌朝、聡はいつもより少し早く起きた。
芽衣のスクールバスが来るまで、ダイニングで一緒に朝食を食べた。特別な話はしなかった。芽衣は学校の課題について話し、航は牛乳をこぼした。
出社すれば、延長後の組織案を考える会議がある。
その仕事は大切だった。聡は今も、引き受けたいと思っている。
ただ、その前にある二十分もまた、海外赴任の中で起きている時間だった。
家族を海外へ連れてきたことだけでは、家族の経験にはならない。
誰の一日がどう動いているかを見続けて、初めて四人の時間が少しずつ重なる。
聡はようやく、その当たり前を、自分の予定の中へ入れ始めていた。
この物語から考えたいこと
家族帯同の海外赴任は、会社の制度上、一人の社員に付随する家族の移動として扱われる。
しかし実際には、配偶者の仕事、子どもの学校と友人関係、親世代との距離、家族の役割分担が同時に動く。赴任者一人が機会を得て、ほかの家族がその機会を共有するという単純な構図ではない。
家族には、同じ期間でも異なる時計が流れている。
仕事で成果を積み上げる三年。職歴から離れる三年。二つの学校を往復する三年。親の身体が変化する三年。
誰かにとって価値の大きい時期が、別の誰かにとっても同じ価値を持つとは限らない。
だから、家族として決めるとは、全員の希望を一つにそろえることではないのだろう。
誰の希望から始まった選択なのか。誰が何を差し出しているのか。その負担を当然の応援へ変えていないか。途中で状況が変わったとき、選び直せる余地があるか。
海外で過ごした経験の価値は、赴任先の数や子どもの英語力だけでは測れない。
そこで繰り返された普通の日が、それぞれの人生にどのように残るか。その違いを家族の中で見失わないことも、同じくらい大切なのだと思う。
前の物語
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