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遠くへ来たのに、人生の大事なところほど会社に決められていた|遼、28歳

EXPAT CASE 01|遼、28歳

日曜日の午後、遼はバンコクのコンドミニアムで、月曜から着るシャツをまとめて洗濯していた。

窓の外には、高架鉄道の線路と、建設途中の高層ビルが見える。遠くでは雨が降っているらしく、灰色の空が街の一部だけを覆っていた。

洗濯機が回るあいだ、遼はダイニングテーブルに置いたパスポートを開いた。

タイ。ベトナム。マレーシア。シンガポール。カンボジア。

一年半前まで、パスポートのページはほとんど白かった。今では、入国スタンプの間に空いた場所を探さなければならない。

前日の土曜日には、現地で知り合った日本人の友人たちとアユタヤへ行った。朝早く車を借り、遺跡を歩き、川沿いの店で大きなエビを食べた。夕方には雨に降られ、全員で軒下へ逃げ込んだ。

写真を載せると、日本の友人からメッセージが来た。

「海外生活、満喫してるな」

遼は、笑っている自分の写真を見返した。

満喫している。それは嘘ではなかった。

日本にいた頃より広い部屋。会社が手配した運転手付きの車。週末には数時間で別の国へ行ける。二十八歳で、現地法人の社長が出る会議にも同席する。日本では課長を通してしか話せなかった本社の役員から、直接名前を呼ばれるようになった。

海外へ行けば、自分は変わると思っていた。

実際、変わったことはいくつもある。

それでも最近、遼は自分が何かを選んでここにいるというより、会社が用意した大きな流れの中を、うまく泳いでいるだけではないかと思うことがあった。

住む国を決めたのは会社だった。

この部屋を選んだのは、会社が契約した不動産会社だった。

いつまでいるのかと聞かれても、「通常は三年です」としか答えられない。

帰国後にどこで働くのかも、まだ知らされていない。

遠くまで来たはずなのに、人生の大事なところほど、自分では決めていなかった。

「行きたいです」と言うまでに、ほとんど迷わなかった

遼は、産業機械メーカーに新卒で入社した。

大学時代に長期留学をしたことはない。英語は試験ではそれなりにできたが、外国人を前にすると、頭の中で作った文章を口に出すまでに時間がかかった。

それでも入社面接では、海外で働きたいと話した。

世界を相手に仕事がしたい。若いうちに異なる環境を経験したい。国内だけで通用する人材にはなりたくない。

どこかで聞いたような言葉だったが、気持ちは本物だった。

入社五年目の秋、上司から会議室に呼ばれた。

「タイの現法で、営業企画を一人探している。遼、興味あるか」

任期は三年程度。現地の日系顧客と販売代理店を担当しながら、本社との販売計画の調整も行う。前任者が帰任するため、三か月後には赴任してほしいという話だった。

遼はその場で「行きたいです」と答えた。

不安がなかったわけではない。ただ、不安を理由に断る場面ではないと思った。

海外駐在は、若手全員に回ってくる機会ではない。社内では、期待されている人が選ばれる仕事だと考えられていた。同期からも「すごいな」「出世コースじゃん」と言われた。

両親は驚いたが、反対しなかった。

母は「身体だけは気をつけて」と言い、父は「若いうちに外を見ておくのはいい」と言った。大学時代の友人たちは送別会を開き、寄せ書きに「日本に戻ってきても遊んでくれ」と書いた。

当時付き合っていた恋人の沙耶だけは、すぐには笑わなかった。

「三年って、結構長いね」

「行ったり来たりできるよ。直行便も多いし」

遼はそう答えた。

距離を、飛行時間で考えていた。

東京とバンコクは六時間ほど。長期休暇なら会える。オンラインで毎日話すこともできる。三年のうち、会えない日が何日になるかまでは考えなかった。

二人は遠距離を続けることにした。

赴任の二週間前、会社から航空券、引っ越し、保険、住居、ビザの案内が届いた。手続きは多かったが、進む方向は明確だった。

迷う余地が少ないことを、遼は覚悟が決まっている証拠だと思っていた。

二十八歳で、会議の景色が変わった

駐在して最初の半年、遼は仕事についていくだけで精いっぱいだった。

日本で渡された業務一覧には、「販売計画策定」「代理店管理」「本社報告」と書かれていた。実際には、その三つの言葉の間に無数の仕事があった。

本社から届く販売目標は、現地の市場感覚とかみ合わない。現地スタッフは、本社が求める細かな報告を「売上にはつながらない」と嫌がる。日系顧客は日本語で素早い対応を求める一方、契約や納期については現地の事情を考慮しなければならない。

日本では、自分の担当範囲を正確にこなせば仕事が進んだ。

タイでは、誰の担当か分からない問題ほど、最後には駐在員のところへ来た。

製品が港で止まった。代理店が約束した販売量に届かない。顧客から仕様変更を求められた。本社の回答が現地の営業時間内に来ない。

遼は、完璧な英語を話せるようになったわけではない。

むしろ、完璧な文章を作る前に、確認しなければならないことを先に聞くようになった。聞き取れなければ、もう一度言ってもらう。会議で黙ったまま後悔するより、少し不格好でも自分の考えを出す。

現地スタッフのナットから、「リョウは最初の頃より、分からないと言えるようになった」と笑われた。

それは褒め言葉なのかと聞くと、ナットは「たぶん」と答えた。

一年目の終わり、大口顧客への提案が採用された。

現地スタッフと何度も顧客工場へ通い、本社の技術部門を説得し、従来は扱っていなかった仕様を実現した。受注額だけを見れば、会社全体を動かすほどではない。それでも、自分がいなければ、東京とバンコクの話は途中ですれ違っていたかもしれない。

受注が決まった夜、ナットたちとローカルの食堂で乾杯した。

遼には、その仕事が誇らしかった。

海外駐在を、会社の看板と手当で暮らすだけの経験にはしたくなかった。自分がここにいる意味を、仕事の中で作れた気がした。

日本では五年目の社員だった。

こちらでは、二十八歳でも日本本社を代表する人として扱われる。

その責任は重かったが、若いうちにしか得られない種類の成長でもあった。

だから遼は、「海外駐在は大変ですか」と聞かれると、いつも「大変だけど、来てよかった」と答えた。

答えながら、自分でもそう思っていた。

週末ごとに世界が広がり、平日の夜だけが余った

バンコクへ来てから、遼の週末は以前より華やかになった。

金曜の夜に空港へ行き、日曜の夜に戻る。チェンマイで寺院を巡り、ホーチミンで朝食を食べ、クアラルンプールの高層ビルを見た。日本から友人が来れば、ルーフトップバーへ連れていった。

三連休を何となく家で過ごすと、機会を無駄にしたような気がした。

せっかく海外にいるのだから。

駐在中にしかできないのだから。

その言葉は、遼を外へ連れ出した。同時に、何もしない休日を落ち着かなくさせた。

旅から戻った日曜の夜、スーツケースを床に置いたまま、コンビニで買ったおにぎりを食べる。撮った写真は何百枚もあるのに、その日のことを誰に話せばよいのか分からない。

現地でできた友人はいる。ただ、駐在員同士の関係には、最初から終わりの日が含まれていた。

任期を終えて帰る人。別の国へ異動する人。家族の事情で予定より早く帰る人。

仲良くなるたび、「いつまでですか」という質問が会話のどこかに出てくる。

平日の夜、仕事を終えて部屋へ戻ると、日本はすでに深夜だった。

誰かへ電話したいと思っても、相手の翌朝を考えてやめる。日本の友人たちのグループチャットは、自分が眠っている間に盛り上がり、朝には別の話題へ移っている。

世界が広がることと、自分の居場所が増えることは、同じではなかった。

知らない街を歩けるようになっても、何も説明せずに会える相手は増えない。

海外で得た自由は、自由を一緒に使う相手まで用意してくれるわけではなかった。

六時間の距離より、普通の日のずれの方が大きかった

沙耶とは、赴任後も連絡を取り続けた。

最初の頃は、毎晩のようにビデオ通話をした。遼は仕事で起きたことを話し、沙耶は東京の出来事を話した。

だが、少しずつ会話の前提がずれていった。

遼が現地スタッフの名前を出しても、沙耶には顔が分からない。沙耶が共通の友人の話をしても、遼はその場にいなかった。画面越しには一時間話せても、帰り道に見つけた店へ一緒に寄ることはできない。

二人とも浮気をしたわけでも、大きな喧嘩をしたわけでもなかった。

会うたびに関係が戻り、離れると少しずつ日常が分かれていった。

赴任から十か月後、沙耶から「この先をどう考えている?」と聞かれた。

遼は、任期が終われば日本へ戻るつもりだと答えた。

「戻るのは、いつ?」

「たぶん、あと二年くらい」

「帰ったら、どこに住むの?」

「配属次第かな」

「私たちは?」

その問いにだけ、会社の標準任期は使えなかった。

結婚を約束すればよかったのか。沙耶にタイへ来てほしいと頼めばよかったのか。自分が帰任を希望すべきだったのか。

どれも、言葉にした瞬間、別の人の生活を動かす。

沙耶には東京で続けたい仕事があった。遼にも、途中で手放したくない仕事があった。どちらかが本気でなかったからではない。二人が大切にしたいものに、同じ予定表が用意されていなかった。

数か月後、二人は別れた。

電話を切ったあと、遼は翌日の会議資料を開いた。

泣くほどの出来事の直後にも、月曜は来る。

現地の販売計画は、遼の私生活とは関係なく進む。むしろ仕事へ戻ると、考えなくて済んだ。

別れた理由を「海外赴任だったから」と言えば、分かりやすかった。

けれど遼には、距離だけのせいだとは思えなかった。

二人が失ったのは、特別な記念日より、同じ時間帯に暮らす普通の日だった。

夕食をどうするかを相談すること。疲れた顔を見て話を短くすること。用事がなくても同じ部屋にいること。

六時間の飛行機で埋められなかったのは、距離ではなく、積み重ならなかった日常だった。

「帰任後」を聞かれると、急に言葉が減った

二年目に入ると、遼は後輩から海外駐在について相談されるようになった。

「行けるなら、絶対行った方がいいですか」

遼は、簡単には答えなくなった。

行ってよかった。それは変わらない。

だが、海外へ行くこと自体を正解にすると、そこで何を受け取り、何を手放しているのかが見えにくくなる。

駐在員には、会社から多くの条件が与えられる。住居、保険、移動、安全、税務、帰国費用。日本にいたときより経済的な余裕が生まれることもある。

一方で、その豊かさの多くは任期と結びついている。

広い部屋も、手当も、現地法人での肩書も、帰任辞令が出れば終わる。

遼は少しずつ、「海外で働く自分」を気に入るようになっていた。

不便に対応できる自分。異なる意見の間に立てる自分。日本の友人から、刺激的な生活を送っていると思われる自分。

だからこそ、帰国後が怖かった。

本社へ戻れば、再び組織の一担当者になるかもしれない。現地では自分で決めていたことに、いくつもの承認が必要になるかもしれない。海外経験を期待されながら、実際の仕事では十分に使えない可能性もある。

日本へ帰ることは、元の生活へ戻ることではない。

自分がいない間にも、同期は昇進し、担当を広げ、人間関係を作っている。友人は結婚し、家を買い、子どもを持ち始めた。遼も変わったが、日本側の時間も止まっていなかった。

離れた場所から見ると、日本には帰るべき場所があるように見える。

しかし帰国する頃、その場所が赴任前と同じ形で残っているとは限らない。

選ばれた機会と、自分で選ぶ人生

赴任二年目の評価面談で、現地法人の社長は遼に言った。

「来年以降、任期を一年延ばす可能性もある。本社から相談があれば、前向きに考えてほしい」

以前の遼なら、その場で喜んだかもしれない。

現地で評価されている。まだやりたい仕事もある。新しい販売網の構築は始まったばかりで、自分で最後まで見届けたい。

延長すれば、次の昇進にも有利かもしれない。

一方で、三年だと思って離れた生活を、さらに一年延ばすことになる。

両親はまだ元気だった。友人とも帰国すれば会える。結婚を急いでいるわけでもない。

今すぐ失われるものは、何もないように見えた。

だが遼は、沙耶との別れを「仕方がなかった」と片づけるうちに、自分が何を選んだのかまで曖昧にしていたことに気づいた。

会社から機会を与えられることと、その機会を自分の人生に入れることは、同じではない。

辞令は、行き先を決めてくれる。

けれど、その期間に誰と離れ、どんな日常を持たず、何を育てるかまでは決めてくれない。

遼は社長に、「ありがとうございます。考えるために、延長した場合の役割をもう少し教えてください」と答えた。

断りもしなかった。すぐに引き受けもしなかった。

その夜、遼は両親へ電話した。

延長の話をすると、父は「評価されているなら、ありがたいことだ」と言った。母は少し間を置いてから、「遼はどうしたいの」と聞いた。

簡単な質問だった。

だが遼は、自分がその問いに答える練習を、あまりしてこなかったことに気づいた。

行くべき機会か。得になる経験か。周囲からどう見えるか。それらは考えてきた。

ここで、どんな普通の日をあと一年過ごしたいのか。

その問いは、初めて考えた。

世界を広げることと、どこかへ根を張ること

翌週の土曜日、遼はどこへも出かけなかった。

朝、近所の市場で果物を買った。昼には洗濯をし、午後は行きつけのカフェで本を読んだ。店員が、注文を言う前にいつものコーヒーを用意してくれた。

一年半前には読めなかったタイ語の看板が、少しだけ分かる。

コンドミニアムの警備員とは、毎朝短い挨拶を交わす。ナットの子どもが好きな日本のアニメも知っている。自分が帰国すれば、この街から日本人駐在員が一人減るだけかもしれない。それでも遼の中には、ここで繰り返した日々が残る。

海外生活の価値は、訪れた国の数だけにあるのではなかった。

最初は異物だった街で、説明しなくてもコーヒーが出てくるようになること。仕事相手だった人の家族の話を知ること。通じなかった言葉が、ある日、会話になること。

世界が広がる経験と、同じ場所に繰り返し戻ることで根づく経験は、反対ではない。

むしろ、遠くへ来たからこそ、遼は初めて、暮らすとは場所との関係を積み重ねることだと知った。

任期を延ばすか、予定どおり帰るか。まだ答えは出ていない。

どちらにも、得るものと失うものがある。

残れば、ここで始めた仕事と関係を深められる。帰れば、日本で新しい日常を作り直せる。どちらを選んでも、選ばなかった一年は経験できない。

日曜の夜、遼は翌週の予定を確認した。

月曜は販売会議。火曜は顧客訪問。木曜は本社とのオンライン会議。金曜の夜には、現地スタッフの送別会がある。

空いていた土曜日には、まだ何も入れなかった。

旅へ出るかもしれない。両親と話すかもしれない。何もせず、この街のいつもの一日を過ごすかもしれない。

以前なら、予定が決まっていないことを、まだ人生を使えていないように感じただろう。

今は少し違う。

会社が決めてくれる任期の中にも、自分で引き受けなければ始まらない時間がある。

遼はまだ、その時間の選び方を覚え始めたところだった。


この物語から考えたいこと

海外へ出ることは、世界を広げる。

新しい仕事、言葉、街、人間関係。自分の未熟さと、思っていたより適応できる自分の両方に出会える。会社の支援があるからこそ、一人では踏み出しにくい環境へ行けることも、海外駐在の確かな価値である。

一方で、与えられた大きな機会の中では、自分が何を選んでいるのかが見えにくくなることがある。

任期は会社が決める。けれど、その期間に誰とどんな日常を持つかは、制度の外に残されている。

海外でしか得られない経験には旬がある。同じように、日本で誰かと重ねられたはずの時間にも旬がある。どちらかだけが本物なのではない。

問いたいのは、行くべきか、帰るべきかではない。

その選択によって始まる普通の日を、自分は引き受けたいと思えるか。

遠くへ行った距離ではなく、そこで何に注意を向け、誰と関係を育て、何を自分で選び直したか。

海外で過ごした時間の価値は、帰国したときの肩書だけでは測れない。


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