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夫の赴任についてきた街で、自分の続きを始めていた|麻衣、36歳

EXPAT CASE 03|麻衣、36歳

ロンドンへ来て一年が過ぎた春、麻衣は新しく赴任してきた家族を地下鉄の駅まで迎えに行った。

改札の前で待っていると、大きなスーツケースを二つ引いた女性が、七歳くらいの男の子と一緒に現れた。

女性は麻衣を見つけると、少し安心した顔で頭を下げた。

「佐々木の妻の、由香です」

麻衣は、その自己紹介を聞いて、一年前の自分を思い出した。

到着したばかりの頃、麻衣も何度も「高橋の妻です」と名乗った。夫の会社の集まりでは、その方が話が早かった。学校の日本人保護者にも、夫の勤務先を伝えれば、おおよその生活圏や任期を理解してもらえた。

それまで麻衣は、東京の化粧品会社で販促企画の仕事をしていた。

新商品をどう見せるか。店舗とオンラインをどうつなぐか。誰に何を伝えれば、手に取ってもらえるか。仕事では、自分の名前と役割を説明する言葉を持っていた。

ロンドンへ来ると、その言葉は急に使われなくなった。

職業欄へ何を書くか迷い、初対面では夫の名前を先に出した。自分の生活を説明しているはずなのに、自分以外の情報から話が始まる。

一年後の麻衣は、由香に言った。

「麻衣です。近くに住んでいるので、分からないことがあったら聞いてください」

夫の会社名は言わなかった。

由香のスーツケースを一つ持ち、三人で駅の階段を上った。

外には、薄い青空が広がっていた。風はまだ冷たかったが、公園の木には新しい葉が出ていた。

麻衣は、よく使うスーパー、子どもが入りやすいカフェ、週末も開いている薬局を案内した。

どれも履歴書に書くほどのことではない。

それでも、知らない街へ来た人の最初の一日を少し軽くできることを、麻衣はうれしいと思った。

夫の赴任についてきた街で、麻衣はいつの間にか、自分の名前で誰かを迎える側になっていた。

「行かない理由」より、「行ってみたい気持ち」の方が少し大きかった

夫の直樹にロンドン赴任の話が出たのは、麻衣が三十五歳のときだった。

直樹は商社でエネルギー関連の仕事をしていた。任期は三年。欧州事業の企画を担当し、現地企業との提携にも関わるという。

一人息子の陽斗は、小学校へ入学したばかりだった。

直樹から話を聞いた夜、麻衣の頭には、行く理由と行かない理由が同時に浮かんだ。

自分も海外で暮らしてみたい。陽斗が異なる言葉や文化に触れるのは、きっと面白い。家族三人で知らない街に生活を作る機会は、何度もないかもしれない。

一方で、麻衣は仕事を辞めたくなかった。

育児休業から復帰して六年。時短勤務からフルタイムへ戻り、ようやく大きな企画を任されるようになった。次の人事では、チームリーダーへの昇格も視野に入っていた。

会社には配偶者の海外赴任に伴う休職制度があった。ただし利用者は少なく、帰国後の配属も約束されていなかった。

直樹は、「麻衣が行きたくないなら、単身赴任も考える」と言った。

その言葉は、麻衣を尊重するためのものだった。

だが、単身赴任を選べば、直樹と陽斗が日常を共有できる時間は大きく減る。麻衣が東京で仕事を続けるために、家族三人の生活を二つに分けることになる。

どちらを選んでも、誰かが何かを諦めるように見えた。

麻衣はすぐに答えを出さなかった。

会社の先輩に相談し、ロンドンで働く方法を調べ、学校のことも確認した。直樹とは、何度も話した。

最後は、「行ってみたい」と自分で言った。

直樹のためだけではなかった。

仕事を中断する怖さより、今の家族で知らない場所へ行ってみたい気持ちが、少しだけ大きかった。

それでも赴任が近づくにつれ、周囲からは「旦那さんについていくんだね」と言われることが増えた。

言葉としては間違っていない。

赴任の主体は直樹で、麻衣と陽斗は帯同家族だった。航空券も住居も学校も、直樹の会社の制度によって用意された。

ただ、「ついていく」と言われるたび、何度も考えて自分で選んだ部分が、少し薄くなる気がした。

麻衣は、夫の人生に運ばれていく荷物ではない。

同時に、自分一人の挑戦として行くわけでもない。

そのどちらでもあることを説明する言葉を、当時の麻衣はまだ持っていなかった。

予定のない月曜日が、いちばん長かった

赴任直後の生活は、忙しかった。

銀行口座、携帯電話、学校、病院、交通カード。日本では考えずにできたことを、一つずつ調べなければならない。

陽斗は現地校の英語補助クラスに通い始めた。最初の数週間は、登校前に腹痛を訴えた。麻衣は先生と連絡を取り、放課後にはその日の出来事をゆっくり聞いた。

直樹も新しい職場で余裕がなかった。早朝のオンライン会議や欧州各国への出張が続いた。

麻衣は、家族の生活を整えることに集中した。

三か月ほどすると、手続きは一段落した。陽斗は学校へ行き、直樹は会社へ行く。

朝九時、二人を送り出したあと、家が静かになった。

洗濯をし、買い物へ行き、夕食を考える。それでも午後までには時間が余った。

東京では、月曜日が始まる前から予定が埋まっていた。週次会議、売上の確認、制作会社との打ち合わせ。保育園や学校から連絡が来れば、夫婦で予定を調整した。

忙しいときは、一人で何もしない時間がほしいと思っていた。

実際にその時間を得ると、自由より先に、自分が社会から切り離されたような感覚が来た。

日本の同僚からは、ときどき新商品の写真が送られてきた。

自分が担当していた企画が店頭に並ぶ。後任のメンバーが表彰される。知っている仕事が、自分のいない場所で前へ進んでいる。

麻衣は「おめでとう」と返信した。

本当にうれしかった。同時に、自分が戻る場所が少しずつ別の人の場所になっていくことも分かった。

一方、ロンドンで会う人からは、「せっかくだから、ゆっくりしたらいいよ」と言われた。

直樹も、「今までずっと働いてきたんだから、少し休めばいい」と言った。

休むことを許されているのに、休み方が分からない。

何かを始めれば、空白への不安から逃げている気がする。何もしなければ、一日を使わなかったように感じる。

予定のない月曜日は、東京の忙しい一週間より長かった。

「何をしている人ですか」と聞かれなくなって、見えたもの

麻衣は、地域の英語クラスへ通い始めた。

生徒の出身地はさまざまだった。ウクライナ、ブラジル、韓国、トルコ、日本。仕事で来た人、家族と来た人、長く住んでいる人。

最初の授業で、隣に座ったブラジル出身のアナから、「ロンドンでは何をしているの」と聞かれた。

麻衣は少し迷って、「今は働いていない。夫の仕事で来た」と答えた。

以前なら、そのあとに東京での職歴を急いで付け加えただろう。

だがアナは、「そうなんだ。どの公園が好き?」と聞いた。

会話はそのまま、街の話へ移った。

職業を知らなくても、関係は始まった。

麻衣は少し拍子抜けした。

仕事をしていた頃、初対面の人とは部署や職種の話から距離を測った。何を任され、どのくらい忙しく、どんな専門性があるか。それは相手を知る便利な入口だった。

しかし入口がなくなったからこそ、別の話が増えた。

好きな本。子どもの頃に住んでいた街。失敗した料理。母親との関係。これからどこで暮らしたいか。

英語が十分ではないため、複雑なことをうまく説明できない日もあった。言葉が見つからず、皆で笑うこともあった。

仕事の会議なら、伝えられなかったことを悔やんだだろう。

英語クラスでは、うまく話せないことも含めて、その人との時間になった。

肩書がないことは、麻衣を不安にした。

同時に、肩書で説明できない自分が何を好きで、誰といると心地よく、何に腹を立てるのかを知る機会にもなった。

価値のある時間は、能力を証明している時間だけではなかった。

陽斗の世界に、少し近づけた

陽斗は、半年ほどで学校へ行くことを嫌がらなくなった。

英語が急に得意になったわけではない。分からないときに隣の子のノートを見せてもらうこと、先生へもう一度聞くこと、自分が知っている遊びに友達を誘うことを覚えた。

麻衣は、放課後の陽斗とよく公園へ行った。

東京にいた頃も、休日には一緒に出かけた。ただ平日の夕方は、帰宅、夕食、宿題、入浴、就寝を滞りなく進めることに気持ちを使っていた。

ロンドンでは、学校から家まで遠回りをする日があった。

陽斗が急に立ち止まり、壁の落書きを見ている。道端の木の実を拾う。今日、学校で言えなかった言葉を話し始める。

効率よく帰ろうとすれば、通り過ぎる時間だった。

ある日、陽斗は言った。

「ママも英語で分からないことある?」

「いっぱいあるよ」

「じゃあ、一緒だね」

陽斗は安心したように笑った。

日本にいた頃の麻衣は、息子にとって、分からないことの答えを知っている大人だった。

こちらでは、二人とも店員の言葉を聞き取れず、違うものを買って帰ることがある。バスを乗り間違えることもある。

親が完璧ではない姿を見せることが、子どもを不安にするとは限らない。

一緒に困り、一緒に聞き、一緒にやり直す。その経験が、陽斗にとっては別の安心になることもあった。

麻衣は、自分が仕事を止めた時間によって、息子のすべてを知れたとは思わない。

ただ、陽斗の一日の中に、以前より少し長くいられるようになった。

子どもと過ごす時間の価値は、量だけでは決まらない。けれど量が増えたからこそ、注意を向けられる小さな瞬間が増えることもある。

それは、麻衣がこの生活で受け取った、予想していなかった価値だった。

助けてもらった情報を、次の人へ渡してみる

赴任したばかりの頃、麻衣は何度も他の人に助けられた。

子どもが熱を出したときに行ける病院。日本の食材が買える店。学校へ提出する書類の書き方。雨の日に子どもと過ごせる場所。

インターネットにも情報はある。ただ、制度が変わっていたり、住む地域によって条件が違ったりした。最後に頼りになったのは、少し先に同じことで困った人の話だった。

麻衣は、自分が調べたことをスマートフォンのメモへ残すようになった。

最初は自分のためだった。やがて、新しく来る人へ送れるよう、項目を整理した。

病院、学校、買い物、交通、子どもの遊び場。正解を断定せず、「わが家ではこうだった」「この点は自分で確認して」と書いた。

夫の会社の家族会で共有すると、思った以上に喜ばれた。

別の地域に住む人から、学校情報を加えたいと連絡が来た。子どもの年齢別にページを分けようという提案も出た。

麻衣は、情報を集め、読み手を考え、迷わず使える順番へ整えた。

東京でしていた販促企画とは違う。

けれど、相手が何に困り、どの言葉なら届き、次にどう動けるかを考える点では、仕事で培った力とつながっていた。

麻衣は初めて、自分のキャリアが会社のパソコンの中にだけ残っているのではないと感じた。

技能は、肩書と一緒に休職するわけではない。

使う場所が変われば、見え方も変わる。

その活動に給料は出なかった。社内評価も、売上目標もない。

だから価値が低いとは、麻衣には思えなかった。

知らない街で不安だった人が、子どもを連れて病院へ行ける。最初の一週間に必要なものを買える。少しだけ、ここで暮らせそうだと思える。

価値は、受け取る報酬の大きさだけでなく、自分の持っているものと誰かの必要が出会うところにも生まれる。

麻衣は久しぶりに、何かを作って人へ渡す喜びを思い出した。

駐在妻の集まりが、同じ境遇の集まりとは限らなかった

「駐在妻」という言葉を、麻衣は便利だと思うことも、窮屈だと思うこともあった。

同じような手続きや生活上の悩みを共有できる。夫が出張で不在になること、任期が会社都合で変わること、帰国後の学校や仕事が見えにくいこと。細かく説明しなくても分かってもらえる。

一方で、同じ呼び名の中にいる人たちの事情は、驚くほど違った。

会社を辞めて来た人。休職している人。オンラインで日本の仕事を続ける人。幼い子どもを育てる人。子どもはいない人。海外生活を心から楽しんでいる人。帰国日を数えている人。

平日にランチをし、週末には旅行へ行き、恵まれていると感じる日もある。

夫の仕事を中心に予定が変わり、自分の都合は後から入れるものになる日もある。

その両方が、同じ生活の中にあった。

麻衣は、つらさを語るために、楽しさを否定する必要はないと思うようになった。

楽しいから、失ったものを惜しんではいけないわけでもない。

与えられた環境の中でよい時間を作ることは、従属でも諦めでもない。自分の希望を持つことは、家族への不満でもない。

英語クラスで出会ったアナとは、毎週水曜日に散歩するようになった。陽斗の学校で知り合った韓国出身のソヨンとは、互いの国の料理を作った。日本では出会わなかった年齢や経歴の人と、仕事を介さずに友人になった。

帰国すれば、毎週会うことはできなくなる。

期限があるから浅い関係なのではない。

終わりが見えている時間の中でも、関係は深くなる。むしろ限られていると知っているから、会える日に会い、話せることを話すようになることもある。

麻衣の世界は、仕事を休んでいるあいだにも広がっていた。

帰国後の面談で、空白をどう説明するか

赴任二年目の終わり、麻衣は日本の会社とオンライン面談をした。

休職期間は、あと一年。帰国後に復職する意思があるかを確認するためだった。

人事担当者は丁寧だった。

「現在の状況はいかがですか。何か学習されていることはありますか」

麻衣は、英語クラスと、家族向けの生活情報をまとめている活動について話した。

担当者は「有意義に過ごされているんですね」と言った。

悪意のない言葉だった。

それでも麻衣は、少しだけ引っかかった。

有意義だと説明できなければ、この三年は何になるのだろう。

資格を取った。語学力を伸ばした。ボランティアをした。子どもを支えた。異文化を学んだ。

休職期間をキャリアに接続するには、分かりやすい成果へ変換した方がよい。

麻衣自身も、帰国後の面接で話せるような経験を探していた。

けれど、この街で得たもののすべてが、能力として説明できるわけではない。

陽斗と遠回りして帰った午後。英語が通じず、知らない人に助けてもらった日。肩書を知らない友人と、これからの暮らしについて話した時間。

それらは職務経歴書の空白を埋めない。

しかし麻衣の人生には、確かに残っている。

人生の時間は、あとで仕事に役立つことによって、初めて価値を持つのではない。

同時に麻衣は、仕事へ戻りたい気持ちも持っていた。

社会的な評価が不要になったわけではない。チームで何かを作り、顧客の反応を受け、報酬を得る仕事には、友人関係や家族時間とは異なる価値がある。

ロンドンで別の豊かさを知ったからといって、以前のキャリアが偽物になるわけではなかった。

麻衣は人事担当者へ、帰国後は復職したいと伝えた。

ただし、以前とまったく同じ働き方へ戻ることを、唯一の成功とは考えなくなっていた。

元に戻るのではなく、続きを始める

帰国まで半年になった頃、麻衣はアナといつもの道を歩いていた。

アナは、別の都市へ引っ越すことが決まっていた。

「ロンドンに来る前の自分へ戻りたい?」

そう聞かれ、麻衣は考えた。

以前の仕事へ戻りたい。東京の友人にも会いたい。慣れた街で、言葉を選ばずに暮らせる安心も恋しかった。

けれど、赴任前の自分へそのまま戻りたいわけではなかった。

あの頃の麻衣は、予定のない時間を怖がっていた。自分の価値を、任されている仕事の大きさで確かめることが多かった。家族と過ごしていても、頭の一部は次の締切に向いていた。

今も忙しい仕事へ戻れば、同じようになる可能性はある。

人は、気づいただけで生活を変えられるわけではない。

それでも麻衣は、以前には見えなかったものを知っている。

誰かの名前を覚えて迎えること。答えを知らない親でいること。成果にならない会話に注意を向けること。持っている力を、評価制度の外で使うこと。

それらをすべて守りながら働ける保証はない。

だからこそ帰国後は、職位や仕事の内容だけでなく、どんな普通の日が始まるかを見ようと思った。

陽斗が学校から帰る時間。直樹の働き方。自分が一人で街を歩く余白。遠くの友人と話す時間。

キャリアを再開するとは、三年前の停止地点へ戻ることではない。

この三年で増えた自分を連れて、続きを始めることだった。

自分の名前で、この街を離れる

由香を駅へ迎えに行った日の午後、麻衣は彼女と息子を近所のカフェへ連れていった。

由香は、メニューを見ながら言った。

「私、仕事を辞めてきたんです。こっちで何をするか、全然決まってなくて」

一年目の自分なら、英語クラスや資格の勉強を勧めたかもしれない。時間を有意義に使える何かを、急いで渡そうとしただろう。

麻衣は言った。

「最初は、生活するだけでも結構いろいろあります。すぐに何か始めなくても大丈夫だと思います」

それから少し考え、付け加えた。

「でも、何かやりたくなったら、一緒に探しましょう」

休むことと、始めること。

家族を支えることと、自分の希望を持つこと。

海外生活を楽しむことと、日本に残した仕事を惜しむこと。

どれか一つへ決めなくてもよい時間がある。

麻衣は、この街でそれを知った。

帰宅すると、陽斗が学校から戻っていた。

「今日、新しい人に会った?」

「会ったよ。ロンドンに来たばかりの人」

「ママが案内したの?」

「うん」

陽斗は、「ママ、もうロンドン詳しいもんね」と言った。

一年後には、麻衣たちもこの街を離れる。

いつものスーパーも、公園も、毎週歩いた道も、別の人の日常になる。英語クラスの友人とは、画面越しにしか会えなくなるかもしれない。

それでも、この生活は借り物ではなかった。

会社が用意した航空券で始まり、夫の任期によって終わるとしても、その間に麻衣が見たもの、育てた関係、誰かへ渡したものまで、夫の仕事の付属物になるわけではない。

履歴書には、三年間の休職と書かれる。

麻衣の中では、止まっていた時間ではない。

肩書から離れたことで、仕事だけでは出会えなかった人と出会い、家族の知らなかった表情を見て、自分の力の別の使い方を知った時間だった。

夫の赴任についてきた街で、麻衣は以前の自分を失ったのではない。

説明する言葉が変わっただけで、自分の人生の続きを、ここでも生きていた。


この物語から考えたいこと

駐在に帯同する配偶者の時間は、「本人のキャリア」か「家族のための犠牲」かという二つだけでは捉えられない。

仕事を中断することで失う機会はある。経済的な自立、専門性、同僚との関係、復職後の見通し。それらを、海外経験という明るい言葉で消してはいけない。

同時に、会社の評価や履歴書に残らない時間にも、確かな価値が起きる。

知らない街に生活を作ること。家族の変化を近くで受け取ること。異なる背景の人と、肩書を介さず関係を育てること。持っている力を、別の誰かの必要へつなぐこと。

その価値を認めるために、失ったものを小さく言う必要はない。失ったものを語るために、楽しかった時間を疑う必要もない。

人生の価値は、職歴が途切れず伸びているときだけに生まれるのではない。

いったん止まったように見える時間が、別の場所で世界との接点を増やし、その後の働き方や家族との関係へ長く響くことがある。

大切なのは、空白を急いで成果で埋めることではなく、その時間に何が起きているかへ注意を向けることなのだと思う。


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