『シェルター』 第2話
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「ピアスを開けた日、ユウの世界は少しだけ揺らぎ始めた。」
翌日、学校に行ったら、ちょっとした騒ぎになった。
「ユウ! 何で、どうしたの」
教室に着いてマフラーを外そうとした瞬間に、後ろからエリが話しかけてきた。少し恥ずかしかった。緊張して顔が赤くなってくるのを悟られないように気をつけた。
「ピアスあけたんだ」
「見ればわかるよ! 何かあったの」
心配そうに話しかけてくるエリは、昨日の母と同じ質問をしてきた。すでに登校しているクラスにいる子たちも少なからず気になっているようだった。何人かはスマホを覗いていたけど、聞き耳を立てているのがわかった。
「別に何にもないよ、前から憧れてたんだ。ただ何となく機会を逃し続けてて」
これは本当だ。私は好きな女優がいて、彼女のピアスにいつも憧れていた。ピアスだけじゃなくて、私服のときの私の高校生らしくない背伸びしたファッションは、その女優に影響されている。
「本当に?何か辛いことがあるんだったら、言ってね。友達なんだから」
「何にもないよ、でもありがとう」
わかってはいたけれど、朝から困惑したエリの顔を見ると、少し自己嫌悪した。エリはいつも一緒に行動するグループの子だ。エリは私の心配をしているというよりは、私から事前の相談がなかったことを悲しんでいるのだ。どんな小さなことだって、ことを起こす前の意思疎通は、女子高生の常識、基本事項だ。そんなことは女子校に来る前から、とっくにわかっていた。そのうえでの昨日の行動だったのだけれど、それでも何だかエリに申し訳ないことをした気になった。
制服の着用を除けば、校則のほとんどない学校だから、耳にピアスホールのある生徒は多い。以前、一度すれ違った子で、片耳に四つも空いている子もいたくらいだ。ただほとんどの子はごく小さなものか、透明ピアスかをつけている。たぶん、大人っぽい紺のブレザーに似合うピアスは案外コーディネートが難しいのだと思う。似合わないピアスをすると、かげでみんなにバカにされるかもしれない。その恐怖が抑止力になって、派手なピアスは校内から淘汰される傾向にあるのだろう。言うまでもなく、ピアッサーから分離したての無骨なファーストピアスをつけて学校に行くと、かなり目立ってしまう。だから、ピアスをあけたい子はみんな上手くやっている。ピアスホールが安定する期間を確保するために、例えば長期休みの期間に開けるとか。
私は、その日を、真っ赤に腫れた左耳と、そこにぶら下がる鈍い輝きを放つファーストピアスと共に過ごした。それから、質問をうけるたびに、何度も好きな女優の名前を言った。あとはいつもと変わらない一日だった。腫れた耳が痛くて早く帰りたかった。でも、万が一、母が仕事を早退し、昨日の話し合いの続きをしようと待ち構えていたら、とも考えた。そうすると、早く帰る気が引けて、図書館でちょっと時間を潰すことにした。
ショウにも悪いことをした。ショウもエリとほとんど同じ反応を見せた。でも彼女はピアスをあけた直後の私と、一緒に帰ったのだから、より複雑な思いを抱いたようだった。昨日のうちに、打ち明けてほしかったのだと思う。そんなことを考えていたら、図書館で手に取った小説の世界には入り込めず、何度もおなじ行を読み直した。
結局、昨日と同じくらい遅い時間に帰った。自転車をとぼとぼと押して坂を登りきると、めずらしくMARSが開いていた。とは言っても室内の明かりは薄暗くて、閉店間際のようだった。男性がレジの前で考え事をしていた。まるで異世界の住人のようだった。
その後一週間は、ピアスのことで神経をすり減らした。みんなが私を放っておかなかった。たかがピアス、のはずだった。ところが、「シバタ ユウ」と「ピアス」は、混ぜてはいけないものだった。「なぜ? 何があった?」、みんなそればかりだった。私の方は、皆の反応に辟易してたのだけれど、とにかく、後悔などしていないと自分に言い聞かせるので必死だった。何が起こっても後悔しないと、暗い体育館から氷をとるときに、自分の心に誓っていたから。
実は、私だって自分の行動に驚いている。私にだってうまく説明できない。ただ私にわかっている唯一のはっきりとした動機は、憧れの人の真似をした、ただそれだけなのだ。でも、私というキャラクターに、その理由はふさわしくないらしい。そう思われていることだけは、私にも理解できた。
私が嘘をついている、何かを隠している、という疑いを最初に持ったのはエリだった。エリは、自分だけには、理由を話してほしいと思っていた。隠されたとっておきの理由を。でも、私はうまく説明できなかった(そもそもそんな理由はなかった)。ピアスを開けてから数日以内に、彼女とは疎遠になった。それはピアスを開ける前の私には、予想できなかった展開だった。
ショウは、最初は訝しんでいたものの、その後すぐ明るく振舞ってくれた。昼休み一緒にお弁当を食べたとき、ショウと少し話をした。
「まあ、そういうときもあるのかもね。好きな人の真似するって、わかる気がするな。結局、好きっていう気持ちが強いと、行動は後からついてきたりするよね」
ショウは、お弁当を食べる手をとめて、慎重に言葉を選びながら話してくれた。
「なんだかんだいっても、私が陸上を続けてるのも、そうだもん。好きだから。練習きついし、ユウみたいに速く走る才能はないけど、でも好きだから」
「そうかな……ショウの陸上とは多分、違うよ。本当にそんなに大したことじゃないんだ」
「……そうなんだ。わかった風なこと言って、ごめん。難しいね」
「ううん、こっちこそ、心配かけて、なんか、ごめん」
気付いたときには遅かった。思ったことを言っただけだったが、ショウが話を精一杯合わせようとしてくれたその努力に、私は結果、こたえられなかった。でも、高校でも陸上に打ち込んでいるショウは私にとっては眩しくて、それが自分の鉛色のピアスと同じだとはとてもおこがましくて言えなかった。私のは、そんなに大したことない、ただのファションなんだ。
ファーストピアスを卒業する頃には、クラスにはほとんど会話をする人がいなくなっていた。私から話しかければ、みんな返してくれるけれど、むこうからは話しかけてくれることはなくなっていた。透明のピアスに変えた後も、状況は変わらなかった。鉛色のファーストピアスは、みんなの目には依然、見えていたようだ。
日に日に、関係性が変わっていくのがわかった。私の発言に、みんなが微妙な反応を見せるようになったり。私が喋り終えるようなタイミングで、数人が、ほんの一瞬目を合わせたり。
二月の終わり頃のこと、その日のホームルームの議題は、来年度の新入生歓迎の演劇大会の配役決めだった。この学校の伝統行事だ。学年間の団結を図るような意図もあるらしい。ただ、春休みを目前にした高一女子は、当然、役につくのを面倒がった。司会は、私だ。
「では、他に方法がないので、くじで決めたいと思います。」
私がそう言ったとき、場が一瞬冷えたのを感じた。誰も何も言わなかった。でも、強い否定の気持ちが、皆の背後からたちのぼってきて、一本の束になって私に流れ込んできた。例えではなくて、本当に冷たさ、冷気を感じた。息苦しくて、心臓がドキドキした。幸い、ホームルームはそこでタイムアップになり、くじは一週間後に持ち越された。
きっと、それ以外に方法はなかったと思う。他のクラスの委員だって、あるいはピアスを開ける前の私だって、この状況ならば、くじを実施したと思う。でも、コミュニケーション不足が皆の強い不満を引き起こした。
みんなが私に「聞こえるように」内緒の話をするようになったのは、その次の日からだった。私は自分がアルファベットで「D」と呼ばれていることに、すぐに気が付いた。確認はしていないけれど、Dictatorとか、ワンマンな子っていう意味だろう。「独裁者」でも、「D」であるのは同じことだ。何れにしても、「シバタ」にも「ユウ」にも関係ない。安易なあだ名であるほど、言う側は楽しい。そして、安易で飾り気のない卵のようにツルツルの悪意だからこそ、言われた人の心の内奥に、滑らかに沈んでいくのだと思う。本当の悪口は、飲み込まされたとき、体内で摩擦抵抗を起こさないものなのだ。
こういう状況がエスカレートするのは時間の問題だった。単なる悪口が、際限なく生み出されるようになっていった。ピアスにも、委員の仕事にも、何にも関係ないものばかりだった。
(第3話につづきます、週1更新予定)
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