見出し画像

「飽海遺跡と倭姫伝承の地へ」② -豊橋に眠る古代と神話の交差点・愛知県豊橋市-吉田城・豊橋公園・安久美神戸神明社

①の続きです。

前回のnoteはこちら↓

「飽海遺跡と倭姫伝承の地へ」①


歴史素人の倶楽部活動ですので、色々と間違って記述してしまうこともあるかもしれません…。予めお伝えしておきます。
(余裕があれば、間違いご指摘など、教えてくだされば幸いです)

道草しつつ、無事豊橋公園へ到着。
緑豊かな公園で、いつ来ても気持ちがいいです。

豊橋市美術博物館側から入る


川気口門跡

豊橋市美術博物館口でもある川気口門跡です。
門は残っていません。
ですが、こちらの石の柱両脇の土塁で、門があった様子を窺い知ることができます。


地方役所跡

今は芝生の広場ですが、地方役所があったんですね。

「造パラ」でお馴染みの場所です。
※子ども造形パラダイスの略称。毎年10月に豊橋市で開催される、造形作品の野外展示でのことです。だいたい毎年4万点のアートの展示を行います。
豊橋で育った多くの人々は、小中学生の時に作品を制作し出品した経験を持っているはず・・・(ローカル情報過ぎますね)

1958(昭和33)年から行っている、地元の誇らしいイベントです。
自分が出展するのも好きでしたが、たくさんの作品を観れるのが好きでした。

公園内を散策〜吉田城へ


「此処に歩兵第百十八聯隊ありき」の石碑
  • 豊橋には明治から終戦まで歩兵第18連隊と第15師団が駐屯していました。

    豊橋公園には歩兵第18連隊の遺跡が残っています。

歩兵第18連隊(ほへいだい18れんたい、歩兵第十八聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。
兵科歩兵人員約4,000人
所在地名古屋 - 豊橋
-
創設1884年明治17年)
廃止1944年昭和19年)玉砕

wikipedia
1940年5月31日 撮影
不明 - シリーズ1億人の昭和史 『日本の戦史4』(毎日新聞社 昭和54年発行)37頁,
パブリック・ドメイン

盛り上がった気持ちと土壌

ここは・・・!

「古墳みたいだ!」と仲間と盛り上がったが、、、盛り上がっただけでした。
古墳ではなかった模様。

今も残る、軍都「豊橋」の面影

歩兵大十八聯隊之址碑

「この歩兵第18聯隊は、明治17年(1884)6月、名古屋で新設されました。これに合わせて吉田城址に兵舎の建設が進められ、明治18年4月に大半が竣工しました。こうして名古屋から豊橋へ移ってきました。」(豊橋市教育委員会発行『豊橋の戦争遺跡』より)

参考:豊橋美術博物館「豊橋の戦争遺跡」

かつて「軍都」と呼ばれていた豊橋。

豊橋にはかつて、軍都とよばれた時代がありました。

明治維新で誕生した新政府により近代的な軍隊の整備が進められるなか、1884年(明治17年)に名古屋で創設された第3師団下の豊橋陸軍歩兵第18連隊は、その後、吉田城址(現在の豊橋公園)に建設された兵舎に移り、豊橋に駐屯することとなりました

引用:愛知県 うるわしの白百合。東三河と戦争のお話し(その1)

彌健神社の神武天皇像

彌健(ヤタケ)神社 にある神武天皇像

弥健(やたけ)神社聯隊の営内神社でした。
現在は鳥居だけが残されており、
社殿の跡地には昭和40年(1965)に移設された神武天皇の銅像があります。

神武天皇の銅像は、歩兵第十八聯隊の戦病死者を追悼するため
明治32年(1899)八町練兵場の南、中八町に軍人記念碑として建設されました。

その後、大正5年(1916)には練兵場内の北側に移設され、
第2次世界大戦後に撤去されていました。

弥健神社跡

お顔は明治天皇をモデルに造られたそう。弓を持ち大刀をさげられています。

ここに何度か来ていますが、いつもこの像の迫力に圧倒されます。
うまく言えませんが、雰囲気というか、気迫というか。
すごいのです。

吉田城へ到着!

吉田城へ到着しました。

今回の活動の本丸「吉田城」へ到着です。


お弁当タイムで腹ごしらえ。

石垣を見ながら、一旦お昼ごはんをしました。
大好物のおむすび。

次回 吉田城〜内部〜石垣〜豊川 ③へ続きます!

🌸♨︎🌹

いいなと思ったら応援しよう!

かな | 日々の光 よろしければ応援お願いします! いただいたチップは今後の活動のための経験や知識に使わせていただきます!