サッカー指導20年。天職を失った僕が、介護の世界で再び立ち上がるまで
20年間、子どもたちとサッカーをしてきた。
グラウンドを駆け回る笑顔。
できなかったことができるようになる瞬間。
——あぁ、この仕事は天職だ。
そう本気で思っていた。
でも、30代後半のある日。
僕はその仕事を手放すことになった。
「選んだ」のではなく、「選ばざるを得なかった」。
そして今、僕は全く違う世界にいる。
それは「介護」という、かつて想像もしなかった場所。
なぜ20年間続けた仕事を手放すことになったのか。
そしてその先で何を見つけたのか。
今日は、その物語を書こうと思う。
◆ サッカーコーチとしての日々
ーー子どもたちと過ごした20年
サッカー専門学校を卒業し、幼稚園・保育園の体操の先生、そしてサッカーコーチとして働いた。
朝、園に着くと響く
「◯◯先生ーーーー!!!」
その声と走り寄る小さな足音が、僕の一日の始まりだった。
幼児から小学6年生。
長い子で8年間、成長を見守ってきた。
試合に勝って喜ぶ日も、負けて泣く日も。
全部が宝物だった。
でも僕にとって大事だったのは、勝ち負けじゃない。
「サッカーが好き」になること。
「スポーツって楽しい」って思えること。
最初に出会う指導者だからこそ、
サッカー嫌いになってほしくなかった。
ーー卒業と再会
毎年の卒業式は寂しかった。
小さかった子たちが、成長して巣立っていく。
でも何より嬉しかったのは
——卒業した子が大きくなり、指導者として戻ってきた瞬間。
「◯◯先生みたいになりたい。」
その言葉を聞いた時、胸が熱くなった。
あぁ、この仕事は本当に天職なんだ。
そう思っていた。
◆ 突然訪れた転機
ーー予期せぬ診断
30代後半。
当たり前のように握っていたバスのハンドルを
突然手放すことになった。
健康上の理由で
「車の運転を控える必要がある」と告げられたのだ。
子どもたちを試合へ送迎すること。
安全に帰してあげること。
それができなければ、指導者として成り立たない。
ーー続けようと必死でもがいた期間
電車で移動したり、同僚に送迎を頼んだり。
できる限りの方法を試した。
でも、限界があった。
子どもたちの安全を預かる仕事。
その重みが、僕の決断を変えた。
ーー天職を手放した日
最後の日。
子どもたちの前で笑っていたのに、
帰り道、涙が止まらなかった。
辞めたくなかった。
でも、辞めざるを得なかった。
その現実だけが、胸に残った。
◆ 新しい世界へ ——介護との出会い
退職後、生活のために仕事を探した。
目に止まったのが、訪問入浴の求人だった。
正直、不安しかなかった。
サッカーとは全く違う世界。
年齢も文化も違う人と向き合う仕事。
でも——
「人と向き合う仕事がしたい」
その想いだけが、僕の背中を押した。
訪問入浴では、浴槽を担ぎ、階段を登り、
3人のチームで利用者さんをお風呂に入れる。
汗だくになりながら働く日々。
でも、入浴後の
「気持ちよかったよ、ありがとう」
その笑顔に救われた。
その瞬間、気付いた。
年齢が違っても、ステージが違っても、
人の笑顔のために動くことは同じなんだ。
◆ 驚きの結末
その後、何度も検査を受けた結果。
医師からこう告げられた。
「運転は問題ありません。」
——もしこれが、もっと早くわかっていたら?
そう思ったことは何度もあった。
複雑な気持ちだった。
でも今は言える。
あれは人生がくれた、新しい扉だった。
◆ 今、思うこと
僕は今、51歳。
特別養護老人ホームで介護の仕事をしている。
20年続けたサッカー指導。
その経験も想いも、消えたわけじゃない。
ただ知ったんだ。
天職ってひとつじゃない。
形は変わっても、
人の人生に寄り添い、
誰かの力になれる仕事は、いくつもある。
◆ 最後に——あなたへ
もし今、
思い通りにいかない現実に立っていても。
選びたくなかった選択しか残っていなくても。
それでも伝えたい。
それは終わりじゃない。
新しい始まりかもしれない。
人生は何度でもやり直せる。
僕がそうだったように。
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次回:「介護の現場で教わった“人生の本当の価値”」を書きます。
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