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本音がわからないのは、自分を押し殺してきたから

「本当は、どうしたい?」

そう聞かれたとき、すぐに答えられないことがあります。

何が好きなのか。
何が嫌なのか。
どっちを選びたいのか。
会いたいのか、会いたくないのか。
この関係を続けたいのか、少し離れたいのか。

自分のことのはずなのに、自分でもよくわからない。

誰かに聞かれたら、反射的にこう答えてしまう。

「なんでもいいよ」
「合わせるよ」
「どっちでも大丈夫」
「そっちがいいなら、それでいいよ」

そのほうが楽だから。

自分で選ばなくていい。
相手を困らせなくて済む。
わがままだと思われにくい。
空気が悪くならない。
相手の希望に合わせておけば、少なくともその場は安全に進む。

だから、つい相手に委ねてしまう。

でも、一人になったあと、少しだけ空っぽになることがあります。

本当はどうしたかったんだろう。
自分は何を感じていたんだろう。
本当に何でもよかったのかな。
それとも、何でもいいことにしただけだったのかな。

その場ではうまくやれたはずなのに、あとから心の中がぼんやりする。

相手は満足していたかもしれない。
会話も問題なく終わったかもしれない。
関係も、表面上は何も変わっていないかもしれない。

でも、自分の中に自分がいないような感じが残る。

本音がわからないとき、苦しいのは「答えが出ないこと」だけではないのだと思います。

自分の感情が、自分から遠くなっている感じ。
何かを感じているはずなのに、手を伸ばしてもつかめない感じ。
誰かの希望はすぐに考えられるのに、自分の希望だけが霧の中にある感じ。

そこが、静かに苦しい。

感情がないわけではないはずなのに。
何も感じていないわけではないはずなのに。
言葉にしようとすると、ぼんやりしてしまう。

「嫌だった」とも言い切れない。
「好き」ともはっきり言えない。
「行きたい」も「行きたくない」も、どちらもしっくりこない。
「続けたい」のか「離れたい」のかも、自分で判断できない。

そうなると、自分のことなのに、自分がいちばんわからなくなってしまいます。

でも、本音がわからないのは、あなたの中に本音がないからではないのかもしれません。

本音が消えたのではなく、ずっと奥にしまわれてきただけかもしれません。

ずっと人に合わせてきた。
ずっと空気を読んできた。
ずっと嫌われないようにしてきた。
ずっと自分の気持ちより、相手の反応を優先してきた。

相手はどう思うかな。
相手は困らないかな。
相手は嫌な気持ちにならないかな。
この答えを選んだら、空気が悪くならないかな。
自分が本音を出したら、わがままだと思われないかな。

そういうことを、何度も何度も先に考えてきたのだと思います。

その結果、自分の声が小さくなってしまっただけかもしれません。

たとえば、何を食べたいか聞かれても、まず相手の好みを考える。
どこに行きたいか聞かれても、相手が楽しめそうな場所を探す。
疲れていないか聞かれても、「大丈夫」と答える。
本当は嫌だったことがあっても、「これくらいで嫌だと思うのは変かな」と自分の感情を小さくする。

そうやって、毎回少しずつ自分を後ろに下げてきた。

最初は、優しさだったのかもしれません。

相手を困らせたくない。
空気を悪くしたくない。
嫌われたくない。
わがままだと思われたくない。
その場を穏やかに終わらせたい。

その気持ちから、相手に合わせてきた。

でも、合わせることが当たり前になると、自分の感覚を確認する時間が減っていきます。

本当はどうしたいのか。
何が嫌だったのか。
どこまでなら大丈夫なのか。
どこからがしんどいのか。
誰といると安心するのか。
どんな関係だと疲れてしまうのか。

そういう自分側の基準が、少しずつ見えにくくなっていく。

そして気づいたときには、「なんでもいい」が口癖になっている。

本当は何でもよくない日もあったはずです。
本当は少し嫌だった日もあったはずです。
本当は疲れていた日も、断りたかった日も、寂しかった日もあったはずです。

でも、そのたびに相手を優先してきた。

だから、自分でもわからなくなる。

「何でもいい」は、ときどきなら優しさです。

でも、いつも自分を消すために使っているなら、少し苦しくなります。

何でもいいと言えば、その場は穏やかに進む。
でも、何でもいいと言うたびに、自分の希望を感じる機会が減っていく。
相手の選択に乗るたびに、自分の「こっちがいい」という小さな声が出にくくなる。

その積み重ねで、本音はどんどん聞こえにくくなっていきます。

本音がわからない人は、空っぽな人ではありません。

むしろ、人のことを考えすぎてきた人なのだと思います。

相手の気持ちは考えられる。
空気の変化にも気づける。
相手が困らない答えも出せる。
その場が丸く収まる選択もできる。

でも、自分がどう感じているのかだけが、後回しになってきた。

だから、自分の声が小さくなる。

人に合わせ続けていると、自分が何を感じていたのかを確認する前に、正解らしい答えを選ぶ癖がつきます。

「これを言ったら相手はどう思うかな」
「こう答えたら場が乱れないかな」
「この選択なら嫌われないかな」

その基準で選び続けると、自分の本音より、相手にとって無難な答えのほうが早く出てくるようになります。

そのうち、自分の本音は、遅れても出てこなくなる。

でもそれは、本音がなくなったからではありません。

聞く時間がなかっただけ。
出しても安全だと思えなかっただけ。
何度も押し込めてきたから、声が小さくなっているだけ。

本音は、あなたの中から消えたわけではないのだと思います。

ずっと奥で、安心できる瞬間を待っているのかもしれません。

だから、今すぐはっきり答えられなくても大丈夫です。

無理に「これが本当の自分だ」と決めなくてもいい。
急いで好き嫌いをはっきりさせなくてもいい。
すぐに自己主張できる人にならなくてもいい。
誰かに強く本音を伝えられなくてもいい。

まずは、自分がわからなくなっていることを責めないこと。

「なんで自分には本音がないんだろう」ではなく、
「わからなくなるほど、自分を後回しにしてきたのかもしれない」
と見てあげること。

そこからでいいのだと思います。

本音を取り戻す最初の一歩は、大きな答えを見つけることではないのかもしれません。

「本当は少し疲れていたかも」
「本当はあの言い方が嫌だったかも」
「本当は今日は会いたくなかったかも」
「本当は何でもよくなかったかも」
「本当は、もう少し自分の希望も見てほしかったかも」

そういう小さな反応を、消さずに見てあげること。

最初は「かも」で十分です。

はっきりしなくてもいい。
正しくなくてもいい。
すぐに言葉にならなくてもいい。

ずっと後回しにしてきた感情は、最初から大きな声では戻ってきません。

小さな違和感。
小さな疲れ。
小さな寂しさ。
小さな「本当は」。

そこに少しずつ気づいていくことで、自分の輪郭が戻ってくることがあります。

この記事では、「本音がわからない」苦しさを、自己否定ではなく自己理解として整理していきます。

なぜ、「本当はどうしたい?」に答えられなくなるのか。
なぜ、「別に何でもいい」が増えていくのか。
なぜ、相手の気持ちは考えられるのに、自分の気持ちだけがぼんやりするのか。
なぜ、優しい人ほど自分を見失いやすいのか。
そして、どうすれば少しずつ自分の感情を取り戻していけるのか。

そこを見ていくことで、
「自分には本音がないんだ」ではなく、
「本音が聞こえなくなるほど、人に合わせてきたんだ」
と思えるかもしれません。

無理に答えを出さなくて大丈夫です。
今すぐ本当の自分を見つけなくても大丈夫です。
今すぐ強く自己主張できなくても大丈夫です。

まずは、
「わからなくなるほど、自分を後回しにしてきたのかもしれない」
と、静かに見ていくところから始めてみてください。

本音は、探し出して正解を当てるものではなく、安心できたときに少しずつ戻ってくるものなのだと思います。



「本当はどうしたい?」が、わからなくなっていた

本音がわからないとき、最初に苦しくなるのは「自分の希望が見えないこと」です。
何を選んでもしっくりこない。「別に何でもいい」が増えていく。相手の希望はすぐ考えられるのに、自分の気持ちだけがぼんやりする。
それは感情がないからではなく、長い間、自分の気持ちより相手を優先してきた結果かもしれません。

何を選んでもしっくりこない

何かを選ぶ場面で、しっくりこないことがあります。

どこに行きたい?
何を食べたい?
どうしたい?
これからどうする?

そう聞かれても、すぐに答えが出ない。

頭の中では、いくつか選択肢が浮かぶ。
でも、どれを選んでも「これだ」と思えない。

自分が本当にそれを望んでいるのか、よくわからない。

誰かと一緒にいるときは、相手が選んでくれたほうが楽です。

相手が行きたい場所。
相手が食べたいもの。
相手が話したいこと。
相手が望んでいる流れ。

それに合わせていれば、間違えにくい。

でも、自分で選ぶとなると急に不安になる。

これを選んで相手がつまらなかったらどうしよう。
わがままだと思われたらどうしよう。
変な好みだと思われたらどうしよう。
相手に合わせたほうが安全なんじゃないか。

そう考えているうちに、自分の希望がどんどん遠くなる。

本当は何がいいのか。
本当は何が嫌なのか。
本当はどうしたいのか。

その前に、相手の反応を考えてしまう。

だから、何を選んでもしっくりこない。

自分の本音で選んでいるのではなく、相手にとって無難なものを探しているからかもしれません。

本音がわからない人は、優柔不断なのではなく、ずっと「相手にとって正解」を探してきた人なのだと思います。

「別に何でもいい」が増えていく

「別に何でもいい」

この言葉が増えていくことがあります。

本当に何でもいい日もあると思います。
でも、いつもそう答えてしまうなら、少し疲れているのかもしれません。

何でもいいと言えば、相手に合わせられる。
何でもいいと言えば、自分の希望を出さなくて済む。
何でもいいと言えば、選んだ責任を背負わなくて済む。
何でもいいと言えば、空気が乱れにくい。

だから、便利です。

でも、何でもいいを繰り返すたびに、自分の気持ちを確認する機会が減っていきます。

本当はこっちがよかった。
本当は今日は行きたくなかった。
本当はその話は聞きたくなかった。
本当は少し休みたかった。

そういう小さな本音が、言葉になる前に消えていく。

最初は、相手に合わせるための言葉だったのかもしれません。

でも、何度も使っているうちに、自分でも本当に何でもいいような気がしてくる。

自分の希望を感じる前に、
「まあ、どっちでもいいか」
で済ませてしまう。

そうすると、心の奥に小さな空洞が残ります。

自分の人生なのに、いつも誰かの選択に乗っている感じ。
自分で決めているようで、実は相手の反応を基準にしている感じ。

「何でもいい」は、ときどきなら優しさです。

でも、それがずっと続くと、自分の輪郭が少しずつ薄くなってしまうことがあります。

自分の気持ちより相手を優先してしまう

本音がわからない人は、相手の気持ちはよく考えられることがあります。

相手はどう思うかな。
相手は困らないかな。
相手は嫌な気持ちにならないかな。
相手に負担をかけないかな。
相手から見て、自分はどう見えるかな。

そこはすぐに考えられる。

でも、
「自分はどう感じている?」
と聞かれると、急にわからなくなる。

それは、自分に感情がないからではありません。

自分の感情を見る前に、相手の反応を見る癖がついているからです。

本音がわからない人って、
感情がないわけでも、
考えが浅いわけでもなく、
“ずっと人を優先して生きてきた人”
がかなり多いです。

だから、
・どう思われるか
・嫌われないか
・空気を壊さないか
を考える癖が強くなりすぎて、
“自分がどうしたいか”
が後回しになってしまう。

もし今、
「そもそも本音を言うのが怖い」
感覚が強いなら、

に近いかもしれません。


合わせ続けていると、自分の感情が見えなくなっていく

本音がわからなくなる背景には、日々の小さな我慢があります。
嫌でも笑う。「これくらい平気」と飲み込む。本当は疲れているのに、自分でも気づかない。
相手に合わせることが当たり前になるほど、自分の感情は後ろに下がり、何が好きで何が嫌なのかが少しずつ見えにくくなっていきます。

嫌でも笑うのが当たり前になっている

嫌なことがあっても、笑ってしまう。

少し傷ついたのに、笑う。
本当は嫌だったのに、笑う。
相手の冗談が少し刺さったのに、笑う。
断りたいのに、笑って受け入れる。

その場では、笑うほうが安全に感じることがあります。

空気が悪くならない。
相手を不機嫌にさせない。
自分が傷ついたことを説明しなくて済む。
重い人だと思われずに済む。

だから笑う。

でも、笑ったからといって、嫌じゃなかったことにはなりません。

心のどこかには残ります。

本当は嫌だった。
本当は言いたかった。
本当は気づいてほしかった。
本当は少し傷ついていた。

でも、それを笑顔で隠す。

その回数が増えるほど、自分の本音は見えにくくなっていきます。

嫌だと感じた瞬間に、嫌だと認める前に笑ってしまうからです。

感情が出る前に、反射的に場を整えてしまう。
自分の気持ちより先に、相手がどう受け取るかを考えてしまう。

そうすると、あとから一人になったときに、ぼんやり苦しくなることがあります。

「なんか疲れた」
「なんか嫌だった気がする」
「でも何が嫌だったんだろう」

本音がわからないのは、感情がなかったからではなく、感情が出る前に笑って流してきたからかもしれません。

「これくらい平気」で感情を飲み込む

「これくらい平気」

そう言い聞かせることがあります。

これくらいで嫌だと思うなんて。
これくらいで傷つくなんて。
これくらいで疲れるなんて。
もっと我慢できるはず。
相手も悪気はないし。

そうやって、自分の感情を小さくする。

たしかに、毎回すべての違和感を大きく扱う必要はないかもしれません。
でも、自分の中でまで毎回「平気」にしてしまうと、感情の行き場がなくなります。

本当は平気じゃなかった。
でも平気ということにした。
本当は嫌だった。
でも大したことないと思うことにした。
本当は疲れていた。
でもまだ頑張れると思うことにした。

そうやって感情を飲み込み続けると、自分が何に反応しているのかわからなくなっていきます。

嫌だったのか。
寂しかったのか。
怖かったのか。
傷ついたのか。
ただ疲れていたのか。

輪郭がぼやける。

人の気持ちは、すぐにきれいな言葉になるわけではありません。

だからこそ、最初の小さな違和感を見逃し続けると、本音までたどり着きにくくなります。

「これくらい平気」と言い続けてきた人ほど、ある日急に、自分が何を感じているのかわからなくなることがあります。

本当は疲れているのに気づけない

本音がわからない人は、自分の疲れにも気づきにくいことがあります。

人と会ったあと、ぐったりする。
LINEを返すのに時間がかかる。
予定が入ると、なんとなく重くなる。
誰かと話したあと、一人になりたくなる。

でも、それを疲れだと認めない。

これくらい普通。
みんなやっている。
自分だけ甘えているのかもしれない。
ちゃんとしなきゃ。

そう考えて、また動く。

本当は疲れているのに、疲れていると認める前に頑張ってしまう。

本音がわからなくなる人って、
普段から、
・空気を読む
・我慢する
・合わせる
・期待に応える
を、
無意識に続けていることが多いです。

だから、
自分の感情より、
“周りに合わせること”
が基準になってしまう。

その結果、
「何が好きかわからない」
「何が嫌かわからない」
状態になっていくことがあります。


「優しい人」でいるほど、自分を見失いやすい

本音がわからない人の中には、周りから「優しい」と言われてきた人も多いです。
でも、その優しさが、断れないこと、我慢すること、全部抱え込むこととほとんど同じになっている場合があります。
嫌われないことを最優先にして、本当の気持ちを出すのが怖くなり、「自分なんて後回し」が普通になってしまうのです。

嫌われないことを最優先にしてしまう

人と関わるとき、嫌われないことを最優先にしてしまう。

相手が嫌な気持ちにならないように。
相手が不機嫌にならないように。
自分がわがままだと思われないように。
空気を壊さないように。
面倒な人だと思われないように。

その基準で言葉を選び、行動を選ぶ。

もちろん、人に配慮することは大切です。

でも、嫌われないことを最優先にし続けると、自分の本音は後回しになります。

本当はこうしたい。
でも嫌われるかもしれない。

本当は嫌だ。
でも言ったら空気が悪くなるかもしれない。

本当は断りたい。
でも冷たいと思われるかもしれない。

そうやって、いつも相手にとって安全な答えを選んでしまう。

嫌われないための選択は、その場では安心できます。

でも、それが続くと、自分が何を望んでいるのかわからなくなります。

自分の希望ではなく、嫌われない選択ばかりしてきたからです。

「自分はどうしたい?」
よりも、
「どうしたら嫌われない?」
が先に来る。

その積み重ねで、本音が奥へ隠れていくことがあります。

本当の気持ちを出すのが怖くなる

本音がわからない人は、本当の気持ちを出すこと自体に怖さを感じていることがあります。

自分の気持ちを言ったら、否定されるかもしれない。
わがままだと思われるかもしれない。
重いと思われるかもしれない。
相手が離れていくかもしれない。

そう思うと、本音を出す前に止めてしまう。

そして、出さないことに慣れていく。

言わないほうが安全。
黙っていたほうが平和。
相手に合わせたほうが無難。

そうやって過ごしているうちに、本当の気持ちを出す感覚がわからなくなってしまう。

最初は、ただ怖かっただけかもしれません。

でも、長く本音を出さずにいると、やがて自分でも何が本音なのかわからなくなります。

本音は、使わないままにしておくと、どんどん声が小さくなっていくのだと思います。

なくなったわけではない。

ただ、ずっと奥にしまわれてきたから、聞こえにくくなっている。

「自分なんて後回し」が普通になっている

優しい人ほど、
「自分なんて後回しでいい」
と思ってしまうことがあります。

相手が困っているなら、自分は後でいい。
相手が疲れているなら、自分の話はしなくていい。
相手が不機嫌なら、自分が合わせればいい。
相手が喜ぶなら、自分は少し我慢すればいい。

そうやって、自分を後ろに置く。

でも、自分を後回しにし続けると、いつか自分がどこにいるのかわからなくなります。

人のために動ける。
人の気持ちは考えられる。
場の空気も読める。

でも、自分の気持ちだけがわからない。

本音がわからない人の中には、
“優しい人”
と言われる人もかなり多いです。

でもその優しさは、
・断れない
・我慢する
・全部抱え込む
と、
ほとんど同じになっていることもある。

もし今、
「優しいのに苦しい」
感覚があるなら、

も、かなり深く共感できると思います。


本音がわからないのは、弱さじゃなく防衛反応だった

本音がわからないのは、弱さや空っぽさではなく、防衛反応だった可能性があります。
自分を消したほうが安全だった。感情を抑えることで人間関係を守ってきた。「いい人」でいることで傷つかないようにしていた。
そうやって生き延びてきた結果、本音を出す感覚が遠くなってしまったのかもしれません。

自分を消したほうが安全だった

もしかすると、あなたにとって、自分を出すことは安全ではなかったのかもしれません。

本音を言ったら否定された。
嫌だと言ったら不機嫌になられた。
断ったら責められた。
自分の意見を出したら空気が悪くなった。
わがままだと言われた。

そういう経験があると、心は学びます。

自分を出さないほうが安全。
本音は隠したほうがいい。
相手に合わせたほうが傷つかない。
空気を読んだほうが関係が壊れない。

その学びは、あなたを苦しめてもきたかもしれません。

でも、同時にあなたを守ってもきたのだと思います。

本音がわからなくなるほど自分を消してきたのは、ただ弱かったからではなく、そうすることで何とか人間関係の中を生きてきたからかもしれません。

だから、自分を責めなくていいです。

「どうして本音がないんだろう」ではなく、
「本音を出せないくらい怖かったんだな」
と見てあげてもいいのだと思います。

感情を抑えることで人間関係を守ってきた

あなたは、感情を抑えることで人間関係を守ってきたのかもしれません。

怒らないようにした。
泣かないようにした。
嫌だと言わないようにした。
本音を出さないようにした。
相手に合わせるようにした。

そうすれば、関係は壊れにくかった。

相手は不機嫌にならない。
空気も悪くならない。
自分も責められにくい。
その場をうまくやり過ごせる。

でも、感情を抑えることで守れるのは、その場の関係です。

自分の心は、少しずつ置き去りになります。

感情を抑え続けると、怒りも悲しみも寂しさも、自分の中で感じにくくなります。

最初は、出さないようにしていた。
そのうち、出せなくなった。
そしていつの間にか、何を感じているのかもわからなくなった。

本音をなくしたかったわけじゃない。
ただ、
本音を出すと、
・嫌われる
・否定される
・空気が悪くなる
そんな怖さが積み重なって、
少しずつ、
感情を奥へ押し込めるようになった人もいます。

だからまずは、
「本音がない」
ではなく、
“本音を出せなくなっていただけ”
かもしれない、
と考えてみてもいいのかもしれません。

「いい人」でいることで傷つかないようにしていた

「いい人」でいることは、傷つかないための方法だったのかもしれません。

相手に合わせる。
怒らない。
断らない。
いつも穏やかでいる。
大丈夫と言う。
わがままを言わない。

そうしていれば、嫌われにくい。
責められにくい。
トラブルになりにくい。
相手にとって扱いやすい人でいられる。

でも、「いい人」でいる時間が長くなるほど、本当の自分を出すのが怖くなります。

本音を出したら、今までの自分と違うと思われるかもしれない。
嫌だと言ったら、急に冷たくなったと思われるかもしれない。
断ったら、優しくないと思われるかもしれない。

だから、またいい人でいる。

でも、そのたびに自分の本音は奥へ戻っていきます。

本音がわからないのは、あなたが空っぽだからではありません。

いい人でいることで、何度も自分を守ってきた結果なのかもしれません。


本音は、「探す」より安心すると戻ってくる

本音がわからないと、必死に探さなきゃと思うかもしれません。
でも本音は、無理やり答えを出そうとするほど見えにくくなることがあります。
安心できると、少しずつ感情は動き出します。まずは「疲れていた」「苦しかった」「本当は嫌だった」と認めることからでも、本音は戻ってきます。

無理に答えを出さなくていい

本音がわからないと、不安になります。

自分には中身がないのかな。
何も考えていないのかな。
どうしたいのかわからないなんて、おかしいのかな。

そう思って、急いで答えを探そうとする。

でも、本音は急かすほど出てこないことがあります。

ずっと抑えてきた感情は、すぐには言葉になりません。
ずっと後回しにしてきた自分の声は、最初はとても小さいです。

だから、無理に答えを出さなくていいです。

今はわからない。
でも、何かが苦しかった。
今は選べない。
でも、ずっと合わせてきた。
今は本音が見えない。
でも、本音がないわけではないかもしれない。

そのくらいのところからで十分です。

本音を見つけることは、正解を当てることではありません。

自分の中にある小さな反応に、少しずつ気づいていくことです。

「嫌だった」に気づくだけでも十分

本音を取り戻す最初の一歩は、
「嫌だった」
に気づくことかもしれません。

本当は嫌だった。
本当は疲れた。
本当は寂しかった。
本当は傷ついた。
本当は断りたかった。

それを、誰かにすぐ伝えなくてもいいです。

まずは、自分の中で認めるだけでも十分です。

本音がわからない人は、自分の感情を認める前に否定してしまうことがあります。

気にしすぎ。
これくらい普通。
相手は悪くない。
自分が我慢すればいい。
大したことじゃない。

そうやって、感情に名前がつく前に消してしまう。

だから、まずは消さないこと。

「嫌だったのかもしれない」
「苦しかったのかもしれない」
「本当は疲れていたのかもしれない」

それくらい曖昧でもいいです。

本音は、最初からはっきりしているとは限りません。

小さな違和感を否定しないことで、少しずつ形が見えてきます。

安心できると、感情は少しずつ動き出す

本音は、安心できると戻ってくることがあります。

否定されない場所。
急かされない時間。
誰かの期待に応えなくていい空間。
うまく説明できなくても大丈夫な関係。
泣いても、黙っても、責められない場所。

そういう中で、少しずつ感情が動き出します。

本音って、
急に見つかるものというより、
“安心すると戻ってくるもの”
だったりします。

だから、
無理にポジティブにならなくていい。

まずは、
・疲れていた
・苦しかった
・本当は嫌だった
を、
少しずつ認めるところからでも十分です。

もし今、
「自分の状態をもっと整理したい」
と感じているなら、

も、かなり読みやすいと思います。


まとめ|本音がわからないのは、ずっと自分を後回しにしてきたから

本音がわからないのは、感情がないからではありません。
ずっと人を優先し、空気を読み、嫌われないように自分を押し殺してきた結果、自分の声が聞こえにくくなっているだけかもしれません。
まず必要なのは、無理に答えを出すことではなく、自分の感情を否定しないことです。

感情がないわけじゃなかった

本音がわからないと、
「自分には感情がないのかな」
と思ってしまうことがあります。

でも、きっとそうではありません。

感情はあったのだと思います。

嫌だったこと。
疲れたこと。
寂しかったこと。
本当は言いたかったこと。
本当は選びたかったこと。

ただ、それを出す前に飲み込んできた。

出してもいいと思えなかった。
出すと危ない気がした。
出すより合わせるほうが安全だった。

だから、見えにくくなっているだけなのかもしれません。

人を優先し続けた結果だった

あなたは、ずっと人を優先してきたのだと思います。

相手がどう思うか。
嫌われないか。
空気が悪くならないか。
迷惑をかけないか。
期待に応えられるか。

それを考え続けてきた。

その分、自分の気持ちは後回しになっていた。

本音がわからないのは、自分が空っぽだからではなく、自分を見る時間が少なかったからかもしれません。

人を優先してきた時間が長いほど、自分の声は小さくなります。

でも、小さくなっただけで、消えたわけではありません。

まず必要なのは、自分の感情を否定しないことだった

本音を取り戻すために、まず必要なのは、自分の感情を否定しないことです。

嫌だったなら、嫌だったかもしれないと認める。
疲れていたなら、疲れていたんだと認める。
わからないなら、今はわからないんだと認める。
本音が見えないなら、見えなくなるほど我慢してきたのかもしれないと考える。

それでいいのだと思います。

今すぐ本当の自分を見つけなくてもいい。
今すぐ全部の感情に名前をつけなくてもいい。
今すぐ強く自己主張できなくてもいい。

まずは、自分の中の小さな違和感を消さないこと。

「何でもいい」と言う前に、
「本当に何でもいいのかな」
と少し立ち止まること。

「大丈夫」と言う前に、
「本当は疲れていないかな」
と見てあげること。

それくらいからでいいのだと思います。

本音は、あなたの中から消えたわけではありません。

ずっと奥で、安心できる瞬間を待っていたのかもしれません。


ここまで読んで、
「自分には本音なんてないと思っていた」
気持ちが少し変わったなら、
それだけ、
今までかなり無理して周りに合わせてきたんだと思います。

有料noteでは、
・本音がわからなくなる人の心理パターン
・優しい人ほど自己喪失しやすい理由
・少しずつ「自分の感情」を取り戻す方法
を、感情整理ベースでまとめています。

「無理に自己主張する方法」ではなく、
安心して自分を感じられる状態
を取り戻したい人へ向けた内容です。

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