歴史の教科書には載っていない、私の家族の小さくて大きな物語
画面の向こうで、兵士たちが泥にまみれている。
見るたびに、祖父のことを思い出す。
祖父は95歳で亡くなった。
子どもの頃の私は、正直あまり祖父が得意ではなかった。
頑固で口数も少ない。
世の中の定年が55歳だった時代に、72歳まで働き続けた人だった。
そうめん工場の朝は早い。
まだ誰も起きていない時間に家を出て、黙々と働く。
休みの日は畑に出る。
地域の役も引き受ける。
移動手段は50ccのカブ。
今思えば驚くほど働き者だったが、当時の私にはただ「厳しいおじいちゃん」にしか見えていなかった。
そんな祖父も、祖母が亡くなってから少しずつ弱っていった。
帰省するたびに小さくなっていく背中を見て、私は初めて祖父の人生に興味を持つようになった。
ある日、祖父が戦争の話をしてくれた。
祖父は戦後、シベリアに抑留されていた。
極寒の地での過酷な労働。
生きるだけでも精一杯の毎日。
けれど祖父が語ったのは、苦しさではなかった。
一人の仲間の話だった。
少し年下で、真っ直ぐで、嘘がなく、人として尊敬できる仲間だったという。
食料を分け合い、
励まし合い、
帰国を信じて生きた仲間。
しかし、その人は祖国へ帰ることができなかった。
祖父は静かに言った。
「だから息子にあいつの名前を付けた」
私の叔父の名前の由来だった。
———
私はその話を聞いた時、言葉を失った。
名前とは親の願いを込めるものだと思っていた。
けれど祖父は、自分が生涯忘れられなかった人の存在を未来へ残したのだ。
不思議なことに、叔父の性格は祖父が語っていたその仲間によく似ている。
人を傷つける言葉を言わない。
誰に対しても分け隔てなく接する。
その場の空気を自然と温かくする。
そんな叔父を見ていると、祖父が生涯大切にしていた何かが、確かに受け継がれている気がする。
———
若い頃の私は祖父が苦手だった。
けれど歳を重ねるほど、その見え方は変わっていった。
戦争を経験し、
仲間を失い、
家族を守り、
働き続けた人生。
祖父は多くを語らなかった。
だからこそ今になって思う。
あの小さな背中は、いったいどれほどのものを背負っていたのだろう。
私たちは親や祖父母の若い頃を知らない。
当たり前のようにそこにいる人にも、誰にも語らなかった人生がある。
もし今、まだ話を聞ける人がいるなら、一度聞いてみてほしい。
どんな時代を生きてきたのか。
何を失い、何を守ってきたのか。
その話はきっと、歴史の教科書には載っていない。
でも、あなたの家族にしか残せない大切な物語かもしれない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
歳を重ねるほど、「何が正解だったのか」は分からなくなります。
それでも、あの日の出来事が今の自分をつくっていることだけは確かです。
過去記事はこちらにまとめています。
もし何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。
また次の記事でお会いしましょう。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただき、心より感謝致します。もし内容を気に入っていただけましたら、サポートという形で応援していただけますと幸いです。これからも心を込めて記事をお届けします。