『Blue Ivyから読むBeyoncé②』Blue Ivyはなぜ観客に受け入れられたのか ― SNS時代の「見守る物語」
1. はじめに
Beyoncéの『Renaissance World Tour』でBlue Ivyがステージに立つ姿は、最初から歓迎されていたわけではありませんでした。
「まだ早いのではないか」
「ネポベイビーでは?」
「プロのダンサーの中にいる意味はあるのか」
SNSにはそんな即時的な違和感が広がっていました。
しかしツアーが進むにつれ、空気は静かに、しかし確実に変わっていきました。
2. 最初の拒否反応は「技術」ではなく「構造」への違和感
初期の批判は、ダンスの上手い・下手ではありませんでした。
問題になっていたのはもっと根本的な部分です。
なぜステージにいるのか
なぜそこに配置されているのか
なぜ“家族”が作品の中に入るのか
つまりこれは、
「実力」の問題ではなく「正当性」の問題でした。
初期の違和感の背景には、
Renaissanceという作品の本質を「個人の成功物語」として読み違えていた点がありました。
しかし、その評価はツアーが進むにつれて変化していきます。
その背景には、SNS時代ならではのある特徴がありました。
3. SNS時代の子どもスターという新しい現象
Blue Ivyの受容を理解するには、SNS時代という環境を外せません。
現代では、あらゆる出来事がリアルタイムで評価されます。
特に子どもに対しては、
未熟な部分がすぐに目について、他人と比べられ、評価されるスピードが極端に速くなっています。
しかしSNSにはもう一つの側面があります。
それは、
「変化そのものを記録してしまうメディア」であるということです。
つまり観客は、途中経過をリアルタイムで見せつけられてしまう。
ここにBlue Ivyの特殊性があります。
ここから先は、なぜ観客の評価が変わったのかを掘り下げていきます。
Blue Ivyは確かに上達しました。
しかし、多くの人の心を動かした理由は、それだけではありませんでした。
そこには、子どもが挑戦し、傷つき、それでも成長していく過程を見守るという、親子の物語があります。
Blue Ivyの話は、単なる有名親子のエピソードではなく、多くの親子に通じる「成長を見守る物語」でもあります。
私自身、この文章を書きながら改めて、子どもの挑戦をどう支えるべきか考えさせられました。
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Blue Ivyを入口に、Beyoncé作品に流れる「継承」と「共同体」を読み解く文化論シリーズ。 Renaissance、Cowboy…
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