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キティ缶の中身はなんだったのか

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これは、大人になった私が
あの頃の出来事を振り返り、読み解く話です。

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キティ缶の話を振り返ったとき、
不思議だったことがある。

どうして私は、あのとき断れなかったのだろう。

当時の感覚を正確に言うと、あの時既に
“断る”という発想自体が、
私の中に存在していなかった。

あの時の私は、
「やるか、やらないか」を選んでいなかった。

最初から、
「やる前提」で受け取っていた。

母に「お願いしてもいい?」と言われた瞬間から、
私の中では、
「やれ」と言われたことと同じだった。

私はそう変換していた。

でも、それだけでは説明がつかない。

─────

本来、あれは私の仕事ではなかった。

父のご飯も、家のお金も、
私が背負うものではなかったはずだ。

それなのに、一度引き受けた瞬間から、
それは少しずつ
「私がやるべきこと」に変わっていった。

そして、お金の話をするたびに、
母は嫌そうな顔をした。

その反応を見るたびに、
私は少しずつ思い始めていた。

ああ、これは私がやるべきことなんだ、と。

最初は母に頼まれたはずだった。

けれど、繰り返しているうちに、
いつの間にか、
「私がやらなければいけないこと」
になっていた。

もしここで「できない」と言えば、
相手に負担を押し付ける気がした。

それだけじゃなかった。

母は忙しく働いていた。

だから私は、
どこかで母の味方でいなければいけないと
思っていた。

断ることは、
手伝わないことじゃなくて、

母を一人にすることのように感じていた。

本当は違う。

でも、あのときの私には、
そう感じることが当たり前だった。

─────

だから私は、
頼まれている側なのに、
どこかで
「お願いしている側」になっていた。

断ること、
母にお金を出してもらうことに、
強い抵抗を感じた。

それは、
面倒くさいからでも、
優しいからでもない。

「本来、自分がやるべきことを、
誰かにやらせている感覚」

だから、相手が少しでも嫌な態度を取ると、

「申し訳ない」
「やっぱり自分がやらなければいけない」

が頭から飛び出す。

─────

誰かに明確に命令されたわけじゃない。
力ずくで奪われたわけでもない。

ただ、
引き受けて、
繰り返して、
相手の反応を見続けているうちに、

責任の置き場所だけが、
少しずつこちら側へ移動していた。

気づいたときには、
抜けることが難しくなっていた。

母は当然のようにお金を出さなかった。

お金がないと言うと、
不機嫌になる。

言うたびに、
罪悪感と重さを感じた。

最初は、
ただ頼まれただけだった。

本来は、
私がやる必要のないことだった。

それなのに、
少しずつ、
それは私の役割になっていった。

─────

キティ缶の中に入っていたのは、
お金だったはずなのに、

私が受け取っていたのは、
別のものだった。

頼まれること。
断れないこと。
嫌な顔をされること。
少しずつ増えていく負担。

そして、
「これは自分がやるべきだ」
という感覚。

キティ缶を開けるたびに、
私は中身を確認していた。

お金が入っているかどうかを。

でも本当は、
もう一つ確認していたのかもしれない。

「まだ自分は、
やらなければいけない状態にいるのか」

缶の中身が空になるたびに、
その感覚は強くなっていった。

足りないのは、
お金じゃなかった。

終わりがないことだった。

どこまでやればいいのか分からない。
どこでやめていいのかも分からない。

それでも、
やめるという選択肢は出てこなかった。

やめた瞬間に、
自分が悪い側に回る気がしたからだ。

だから私は、
中身が空になっても、
開け続けていた。

そして、
開けることすらやめたとき、

それは
「終わった」んじゃなくて、

「何も感じなくなった」
だけだった。

─────

あのキティ缶は、
ただのお菓子の缶ではなかった。

あの中にあったのは、
お金ではなく、

「少しずつ、自分の責任にすり替わっていく関係」

そのものだった。

毎日、
缶の蓋を開けて、
中を見て、
また閉じる。

そこになにも入っていないことは、
もうわかっていた。

確認していたのは、
残りのお金じゃなかった。

今日もまだ、
やめてはいけないのか。

そのことだったのかもしれない。

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