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1万円、奪われた努力 🔥4

中学になって、
私は初めて“自分のお金”を手に入れた。

1万円。

それは、夢に手が届くための小さな奇跡だった。
でも、その奇跡は、あっという間に壊れてしまった。

────

中学校に入っても、我が家には相変わらず
“ お小遣い”という概念は存在しなかった。

それどころか、頼んでも、もらえない。
理由を言っても、もらえない。

子どもにとっては地獄だった。

私が自由に使えるお金など、存在しなかった。

─────

中学になった頃。

そんな私に小さな光明が差した。

電車とバスで登校するようになったのだ。

親から定期代として渡されるお金が、
実質唯一の“私のお金”だった。

私は、バスで帰るふりをしながら、
2時間の道のりを、できるだけ歩いて帰った。

その差額を計算し、こっそり貯め込んだ。

そうやって、少しずつ"お小遣い”を生み出した。

─────

私が必死にお金を確保するのには、
ある理由があった。

どうしても手に入れたいものができたのだ。

大好きなアーティストのミュージックビデオ。
家にはカセットデッキしかなく、
友達がダビングくれたカセットを夢中で聴いていた。

朝も昼も夜も、その音楽が私を満たしてくれていた。

お昼休みに、そのアーティストの曲を聞きたくて、
放送係に立候補した。

友達のユミちゃんと一緒に
放送室でその音楽を堪能した。

そうやって、学校でも家でもずっと
そのアーティストの音楽に浸っていた。

たとえ学校で無視されることがあっても、
家で苦しくても
その音楽があれば幸せだった。

夜寝る時、音楽を流していなくても
妄想で再生できるほど、
完璧に覚え込んでいた。

─────

その日もいつものように
放送室で、ユミちゃんとその音楽をかけていた。

「やっぱりこの曲!これだよね」

「このマニアックなチョイスがいいんだよね」
「分かる!」

ふたりで盛り上がっていると、
放送室の扉が開き、ひょこっと誰かが顔を出した。

「その曲、いいよね」
それは、放送係の担当の"イノウエ先生”だった。
若くて小さくて、笑うと可愛い先生。

「イノウエ先生も好きなんですか?」

私が聞くと、先生は頷いた。

「実は、先生も大好きなんだ。
その曲のビデオ、持ってるよ」
そう言って笑った。

私たちは大興奮した。
「え!すごい!いいなぁ、見たいなぁ」
「私も見たい!」

「貸してあげようか?」
「いいんですか?」

「いいよ、今度持ってくるね。
その代わり、2人とも放送室をピカピカにすること!」
先生はいたずらっぽく笑った。

「わぁい!頑張ります!」

私とユミちゃんは、大喜びしながら、
放送室を磨き上げた。

─────

それから数日後、
先生は本当にビデオを貸してくれた。

「ユミちゃん、お先にどうぞ」

数日後、ユミちゃんから受け取ったビデオを
家に持って帰り、大切に観た。

興奮が止まらなかった。

その日に観て、すぐに返した。
「早かったね、まだいいのに」

先生はそう言ってくれたけれど、
大切すぎて長く借りるのは申し訳ないと思った。

「先生、このビデオ、どこで買えますか?」

先生は、買える場所を教えてくれた。
「いくらくらいしますか?」
「1万円くらいかな」

……1万円。

途方もない金額だった。

─────

それから私は、毎日5キロの道を歩き、
バス代や電車代を貯めることにした。

雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、
ただひたすら歩いた。

「欲しい」という気持ちが、足を前に進めた。

辛くても、あのアーティストのビデオを見ている自分を想像すると、頑張れた。

─────

4ヶ月後。

私はついに1万円を貯めた。

そのお金が手元にあるだけで胸が熱くなり、
誇らしい気持ちがした。

「おばあちゃん、これ両替して」
義祖母に両替をお願いした。

「このお金、どうしたの」
義祖母に言われて、嘘をついた。

「頑張ってお年玉とか、コツコツ貯めたんだ」
本当は歩いてバス代を浮かせたとは言えなかった。

義祖母は、「頑張ったな、偉い」と言って疑うことなく両替してくれた。

特に親に言わないで、と口止めはしなかったけど、
義祖母はなにも言わなかった。

─────

ついに、ビデオを買う時が近づいてきた。

そんな時、友達の親にショッピングモールに
連れて行ってもらった。

他のみんなは飲んだり食べたりしていたけれど、
私は一切使わなかった。

「みんなが楽しんでいる姿を見るのが楽しいから、
気にしないで!」
私は笑っていた。我慢ではなかった。

もうすぐ、ビデオが手に入る。

それを考えたら、目の前の我慢なんか、
些細なことだった。

─────

家に帰り、カバンの中に手を突っ込む。

あれ?

……財布がない。

血の気が引いた。

1万円が入っている。
これを失えば、もう二度と手に入らない。

親に言うのは怖かった。
しかし、もし落としていたら取り返しがつかないと思い、勇気を出して伝えた。

「財布がない、どうしよう。落としたかも」
半泣きで伝える。

その様子がただ事でないと察したのか、
親は私を問い詰めた。

「いくら入ってたんだ」
父が、問いつめる。

汗が出る。
苦しい。言いたくない。

「言えないようなものが入ってるのか。」

「……い、1万円……」


消え入りそうな声で答えた。

「1万円!?」
「あんた、なんでそんな大金持ってるの!?」


両親が友達の家に電話する。
財布は友達の車から無事見つかった。

1万円は無事だった。

けれど、届けてもらった後、両親から
大声で問い詰められた。

「何だそのお金は!
盗んだんじゃないだろうな!」

私は、泣きながら白状した。

歩いて貯めていたこと。
どうしてもビデオが欲しかったこと。

その話を聞いた両親は、母の呆れに火をつけた。

「1万円で遊びのビデオ買うなんて!
そんなものにこのお金使うつもりなの?!」

「やっぱりあんたは昔のままだね」
「ガッカリした。」

「お前、わかってるのか!それは、泥棒だぞ!」

父と母から次々に浴びせられるその言葉。
私の心の深いところが、粉々に砕け散った。

中学生。
努力して前に進めているはずだと思っていた。

「昔のまま」

目の前の景色が遠くなっていき、
私は自分が渦の中に沈んでいく。

毎日毎日、必死で歩いた時間。
大切な人の音楽を聴いて明るくなれた心。

その全てを、丸ごと否定されたようだった。

「こんなもの、持っている方がおかしいでしょ」

お金は私の手元に戻ってくることはなかった。

努力して貯めた1万円は消え、
ビデオを買う夢は、消えた。

私は泣き続けた。

─────

それから3日後の放課後。

私は、抜け殻のように生きていた。

「みのりさん」

振り向くと、イノウエ先生だった。
「ビデオ、買えた?」

私は精一杯笑顔を作った。
自分の身に起こったことを悟られたくなかった。

目を細めて、口角を上げる。

「えへへ、だめでした」
それが精一杯だった。

言った瞬間、自分の顔が歪んだのがわかった。
悲しすぎて、それ以上なにも言えなかった。

目元がじわっと温かくなる。

やばい。泣く。

普通の家の子どものふりをしたかった。

親から言われたことも、
お金を没収されたことも、
どうやってお金を工面したかも。

私が黙っていると、イノウエ先生が口を開いた。

「そっか、高いもんね」

「それなら、ちょっとここで待ってて」

先生はそれだけ言うと、職員室の方へ歩いて行った。

数分後、戻ってきた先生は紙袋を持っていた。
「これ、私が持ってるビデオをダビングしたやつ。
よかったら、あげる。
ほかの先生や生徒には内緒ね」

耳を疑った。
黙って受け取る。

白い紙袋の中には、家で観たあのビデオ。

大好きで、憧れて、
何度でも観たいと思っていたビデオ。

「いいんですか?」
やっとの思いで聞くと、先生は笑って言った。

「もちろん。その方がビデオも喜ぶよ」

「ありがとうございます」

それだけ、なんとか言った。

─────

ビデオを買うことはできなかった。

努力して貯めたお金もなくなってしまった。
でも、私の手の中には、
確かに“欲しかったもの”が残った気がした。

先生の優しさ。
それは、あの時の私にとって、
世界でいちばん大きな味方のように感じた。

1万円は、なくなった。
けれど、その映像だけは私から奪われなかった。

その後、イノウエ先生とあの話をすることは
一度もなかった。

けれど、あの時、先生がしてくれたことは、
今でも鮮明に覚えている。

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🫧この形の私

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