【スピンオフ】当たり前を生きてきた人
【母の章】

母の話。
それは昔の出来事で、
母の考えや感覚が混じっている。
私はそれを聞いただけで、
事実がどうだったのかは分からない。
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家業をしていたこともあって、
子供の頃から、母の住んでいた家には
"長子優遇”の空気が存在していた。
それは、時代のせいかもしれない。
小さい頃から、長女だけは
畑仕事や家事を免除され
それは、母やほかの妹たちの仕事だった。
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高校の頃、母は英語と音楽が好きだった。
できれば英語を使う仕事に就きたいと思い、
毎日勉強していたという。
母は5人姉妹の、次女だった。
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高校三年生。
母は県外の、英語を学べる学校への進学を望んだ。
「英語の成績は進学校でもトップクラスで、
先生からは合格の太鼓判を押されたのよ」
母は嬉しそうにそう言っていた。
そのとき祖母から言われた言葉を、
母は覚えていた。
「行くなら、県内のこの短大しか行かせられない」
母がパンフレットを見ると、
保育士や栄養士などの学科はあったが、
英語を学べるものはなかった。
「お姉さんは、
好きなところに行かせてもらえたのに。なぜ?」
そう思ったけれど、言えなかったそうだ。
母は「仕方ない」と思った。
勉強にはお金がかかる。
子どもは嫌いではなかった。
そうして、保育士を目指し、
親が指定した県内の短大へ進学した。
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短大時代。
短大では寮生活を送り、
勉強をし、友人と過ごした。
その生活は、楽しかったとも言っていた。
母に言い寄ってくる男性は何人かいたが、
あまり興味がわかなかったと言っていた。
けれど、一人だけ「この人は素敵だ」と思える
男性がいたという。
短大時代は、ふたりで出かけたり、
友達と大勢で出かけたりしていた。
「どちらかと言うと硬派で、
沢山喋るタイプでは無いけど
1本筋が通ったような、人だった」
母は、そう言っていた。
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その男性には、夢があり、
それを叶えるために東京に行くことが決まっていた。
「自分の都合で離れるのに、
待っててくれとは言えない」
彼はそんな風に母に告げ、
離れる時、具体的な約束はなかった。
彼が夢を叶えた先で、
また会える日があるかもしれない。
そんな未来を、
母はどこかで思い描いていたのかもしれない。
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卒業が近づいた頃、
母は、短大の近くの保育園に就職が決まっていた。
そんな時、祖母から電話があった。
近所に、知り合いがやっている保育園がある。
卒業したら戻ってきて、そこに就職しなさい。
話はもう通してある、と言われたそうだ。
母がそのとき何を感じたのか、私は知らない。
ただ、「とても悲しかった」とは言っていた。
母は内定していた別の保育園を断り、
実家に戻った。
そして、祖母の知り合いの保育園に就職した。
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その頃、母に言い寄る男性がいた。
それが、後の父だった。
父は、地元で目立つ存在だったという。
背が高く、スポーツができ、
女性関係も派手だった。
軽薄で、信用出来ない。
母は、そんなイメージを持っていた。
交際は、何度も断ったと言っていた。
食事に行くと、突然機嫌が悪くなる。
デートの途中で、母を残し
友人のところへ行ってしまうこともあったらしい。
母は、その頃から父の性格が
苦手だったと言っていた。
この人と結婚することはない、
そう思っていたとも。
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ある日、突然、義祖母と父が、
ダイヤの指輪を持って母の住む家に来た。
「ほんとに結婚は無理だと思った」
母は、そう私に言った。
それがその場ではっきり思ったことなのか、
後から振り返ってそう感じたのかは、
私には分からない。
祖父や祖母がどう反応したのかも、知らない。
「結婚してくれるなら、
今付き合っている女の人と全部別れる」
父はそう言ったそうだ。
結果として母は父と結婚した。
「まあ、いいか、と思って」と言っていた。
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しかし、結婚しても父の女性関係は、
何も変わらなかった。
家には、女性からの嫌がらせの電話が毎日かかってきたという。
私から見ると、
母の人生は
「まあ、いいか」「仕方ない」
それを何個も積み重ねて、
作られているように見えた。
けれど、もし当時の母が抗ったとして、
就職や進学、そして父との結婚から
逃れられたのかどうか――それは分からない。
親の言うことを聞くという感覚は、
今よりもずっと強かったはずだ。
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結果、母は自分の「好き」や「こうしたい」という感覚を、そのまま持ち続けることはしなかった。
母は、何度も、
本当に何度も私にその話をしてきた。
振り返って、母は言った。
「悪いことばっかりじゃなかったよ」
それが本心なのか、
自分を守るための言葉なのかは、
私には分からない。
恐らく、母自身にも分からないだろう。
母は、周りの言うことを疑う、
ということをしなかった。
疑わないほうが、楽だったのかもしれない。
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🗝この形の私

