負の感情の処理について
誰かに辛かったこと悲しかったことをぶちまけて、優しく慰めてもらいたいという気持ちがある。
洋画や海外ドラマの中では、妻が苦境にあるときには、優しい夫が黙ってそっと肩を抱いてくれたり、背中をさすったりしてくれて、自分もそうしてもらえれば、さぞかしほっとすることだろうと思うが、いつも自分の世界に没頭しすぎて話しかけても上の空の夫に、この感情を理解してもらい、まして行動に移してもらおうとすれば、それはそれで困難な道を通らねばならないだろうと思う。
私の方も、家事育児仕事のやり方等々について夫とさんざん戦ってきた身のため、今さら鎧を脱いで弱った姿を見せるなどということはなかなかプライドが許さない。そこで、夫が偶然こちらに注意を向けた瞬間を狙って、せいぜい短い言葉で、今の気持ちを他人事のように描写して、小出しにガス抜きをするほかはない。
友人知人親せきはどうかというと、もともとが人づきあいが苦手で交際範囲が狭いのと、そもそも社会性を備えた大人はそういうことをしないものという自縛があって、生の感情を晒すことはできない。そこで、会う人ごとに、聞かれもしないのに、今母の介護をしているとか、今こんな感じになっているとか、かいつまんで話してみたりする。皆優しいので、それぞれの言葉でいたわり励ましてくれる。
医療関係者や福祉職の方々は、いつでも話は聞くよ、一人で抱え込まないで、と親切に声をかけてくれる。彼らに対しては、専門家という安心感から、辛い悲しい大変という言葉を気軽に使うことができる。残念なのは、私が傲慢なせいなのか、余裕がないためなのか、彼らのせっかくの善意や厚意は説教くさかったり、自己満くさかったり、こちらを雑にカテゴライズしたうえでパターン化したアドバイスや励ましをくれるだけに感じられて、却って傾聴するのに気を遣い疲れてしまうところ。
それでも中には百戦錬磨の看護師さんなどがいて、思いがけず心に沁みる短い言葉をくれたりする。
カウンセリングに行ってみようかと思うこともある。プロになら遠慮なくぶちまけられそうだし、ハイレベルの応答が期待できそうだ。それでも、高い料金を払った挙句に、カテゴライズ化されたり、パターン化したアドバイスをされるのではないかと素人考えの警戒をしてしまい、いまのところは逡巡している。
1人になると、たまに勝手に泣けてくる。泣けばそれだけ発散されると、何かの本で読んだのは本当だと信じている。
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