私がお墓参りをやめられたあの日のこと
勤務30年を終えた、元養護教諭です。
この春退職しました。
自分の歩んできた道の中で、
「あの時、あの方がいたから…」と思える出会いはありませんか。
その時は気づいていなくても、
あとから振り返ると、ものすごく大きな瞬間だったと思えるような。
前回の投稿で、当時勤務していた小学校で、天国へ旅立った子のことを書きました。
絶対にその子に恥ずかしくないように生きる。
そう思って、ここまできました。
亡くなってしばらくは、月命日にお墓へ行き、
お線香をあげて、手を合わせていました。
気づけば5年以上が経っていたでしょうか。
今思えば、
「行きたい」という気持ちと、
「行かねば」という気持ちが、混ざっていたのだと思います。
自分の本当の気持ちが、わからなくなっていました。
ある月命日の日。
いつも通り手を合わせて、車に戻ろうとした時、お墓の前の商店のおじさんに声をかけられました。
「先生、今帰りかい?」
「はい」
「あれから何年たつっけ?」
「5年でしょうか」
「先生、毎月来てるもんな」
——え、知ってる…?
少しドキッとしていると、おじさんは続けました。
「死人に口なしって言うけどよ…」
——え、なに…?ちょっとこわいな…
そう思った次の瞬間、
「その子は、毎月毎月、先生に来てほしいのかな。いつまでもそこで悲しんでよ」
「その子だったら、先生にはもう笑っていてほしいって思ってるんじゃねーかな」
その言葉を聞いた瞬間、
ぐあ〜っと、腹の底からの思いが込み上げてきて、私は号泣しました。
その子が亡くなった時、
学校では子どもたちのケアが続き、先生たちも落ち込んでいて、
私も泣いていたはずなのに、あまり記憶がありません。
5年後のこの日、
私はそこで、号泣していました。
おじさんは何も言わず、ずっと静かにそこにいました。
いつか、声かけようと思っていたのでしょうね。
私は、子どもの事故に対して、その付近の安全をそこまで意識して行動していたのか、という自分への疑問、
そしてわずか12才で命を失った子と、そのご家族に対しての申し訳なさと引け目を感じていて、そんな自分のための自己満足に近いお墓参りだったのかもしれません。
私はそこから、毎月の月命日のお墓参りをやめることができました。
形じゃなくて、これをあの子に教えたい!とか節目の時にだけ行くようになりました。
全てを見抜いていたあのおじさん。
時間を経るごとに、ありがたさが増しています。
今もあの優しい顔を思い出します。
そして、今の私は
「あの子に恥ずかしくないように生きる」
じゃなくて
「恥ずかしくてもいい、全部見てて。
私、今日も恥かいてるよ、生きてるよ」
という気持ちに変化しています。
みなさんにも、
「あの時のあの言葉」「あの場面」ってありますか。
よかったら、教えてください。
