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色の記憶:50代ではじめての「運命の出逢い」

毎朝、使っているマグカップ。お気に入りのマグが3つあって、時間ごと、飲み物ごとに使い分けています(笑)

ウサギさんと花畑

ウサギのりらちゃんとの出逢いは、思えばこのマグカップからはじまりました。雑貨屋さんでこのマグを見かけて、「こんな世界が実際にあったらいいよな~」って持ち帰ったのです。

それからしばらく経って、ウサギさんを迎えることを決意。ミッフィーちゃんが好きなので、最初は白いウサギさんをよく見てました。

そして、できれば女の子ウサギがいいなと。ひとりっ子だった私。子どもの頃に、妹が欲しかった時期があったので。

ネットで探すと可愛らしい白いウサギさんがたくさんいたのですが、お迎えするには遠いところだったり、近所のウサギ専門店さんには白い子がいなかったり。

そんなとき、ウサギさんの大きなイベントがあると知り、横浜まで出かけました。たくさんの種類のウサギさんがいて、そのなかですごく気になる色の子がいたのです。

「ライラック」という毛色の種類でした。「ライラック」とだけメモして、そのときは帰宅。

数日後、ネットで近所の専門店さんのページを開いたら、そこにいたのがりらちゃんでした。「あれ、この間まではいなかったよね?」と。生まれて1ヶ月、ちょうど家族を探す準備ができたタイミングでした。

生後1ヶ月ぐらいのりらちゃん

4人きょうだいで唯一の女の子。しかも一匹だけ「ライラックオター」という毛色。「この子かもしれない」と、すぐに専門店さんに面会の予約。

4人きょうだい。左のいちばん「ぶちゃいく」なのがりらちゃん

けれど、いざ会いにいく電車の中では「ほんとうに今、ウサギさんを迎えても大丈夫なのだろうか」と迷っていたのです。

ちゃんと育てられるだろうか。うちに来て幸せだろうか。

スマホ画面に映るりらちゃんの顔を見ながらずっと考えていました。

そしてふと顔を上げると、なんと!あのマグカップと同じ絵柄のトートバックを持った女性が、目の前に座っていたのです。

「ああ、もうこれは運命だ」

そのときに、名前も「りら」と決めてお店に向かったことを覚えています。

はじめての出逢い。ほかのウサギさんを見学することもなく、りらちゃんと家族になる約束をしてきました。

それから1ヶ月間。私はお迎えの準備、りらちゃんはお母さんの母乳をたっぷり飲んで自立する準備。

1週間に一度、お店に会いにいきながら、ゆっくり信頼関係を築いていきました。


迎えてから1年半ぐらい経った頃、母が入院。そのときのことを以前にもnoteに書きました。

りらちゃんが入院中の母の元に飛んでいき、元気づけたというエピソード。

そして、そこでは触れなかったことを今回、綴ってみたくなりました。

母の祖母、私にとってはひいおばあちゃんと撮った、私が3つのころの写真がリビングに飾ってあります。

母のことも、私のこともとても可愛がってくれて、私のなかで「おばあちゃん」と言えば、このおばあちゃんの顔が必ず浮かびます。

高校2年の時に亡くなったおばあちゃん。お葬式で母が立ち上がれなくなるほど泣き崩れていた姿を、今でも鮮明に覚えています。それだけ、母にとって大切な存在でした。

昨年の夏に入院したとき、お医者さんから「覚悟されたほうがよいかもしれません」と宣告された母。そこからなんとか持ち直したのも、このおばあちゃんと母との間に、一つの約束があったからなのです。

母には今年96歳になる叔母がいます。子どもを持たなかった叔母にとって、母は娘のような存在。そして、子どものいない娘を心配したおばあちゃんは、母に「最期まで面倒をみてあげてね」と遺言したそうです。

その約束を守るまでは死ぬわけにはいかない。そんな想いの強さで、母は乗り切ったのです。


母の入院中、毎朝、毎晩、おばあちゃんの写真に向かって、母を守ってねと話しかけていました。そんなある日、ふと思い出したのです。

明治生まれのおばあちゃんは、いつも着物を着ていました。そして、お気に入りでよく着ていた着物の色が、りらちゃんの毛色と同じだったこと。

そして、私が5歳ぐらいまで曾祖父と祖母が住み込みの料理人として働いていたお屋敷の、花いっぱいだった庭にライラックの木があったことを。

そうか。りらちゃんは、おばあちゃんの生まれ変わりだったんだね。

りらの助、りら姫、りらっぴなどなど、りらちゃんのあだ名はいろいろあるのですが、そのときから新しいあだ名が一つ加わりました。

とめさん。

おばあちゃんの名前です。

ほら、もう【とめさん】にしか見えないでしょ

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