見出し画像

ルウと、固まる。

☟【王道ショート・ショート】かっちり起承転結な
『ルウと、解ける。』はこちら。☟


ぐつぐつ。ぽこぽこ。
無数のあぶくが、浮かんでは弾ける。
どろりと濁った茶色の液体をじいっと眺めながら、私は焦燥に似た何かに追い立てられていた。

子どもの頃の母の味を、再現したい。

それは、祈りか、あるいはただの義務感か。

お玉で掬い、小皿に落とす。
湯気が鼻をくすぐる。
ひと口、飲み込む。

だめだ。これじゃない。

かつて、母の作るカレーは、世界でいちばん温かかった。
鍋の底でルウがゆっくりと溶け、甘い匂いが家じゅうに広がっていく。
「ごはんよー」と叫ぶ、母の声。
鍋にお玉を沈め、ゆっくりと持ち上げる。
皿の真ん中に盛られたごはんに、黄金色の液体がすべり落ちる。
その上には、揚げたてのカツ。
熱々で、サックサク。

「ほら、仕上げの、魔法の粉」

と笑って、母は私に(   )を差し出した。

そうだ。
あれだ。
私には、(   )の部分の真実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。
あの“魔法の粉”の正体が掴めない限り、母は永遠に取り戻せない。

母が壊れはじめたのは、ちょうど、祖母が亡くなった頃だった。
一切の料理をしなくなった。
台所に残ったのは、空っぽの鍋と焦げついたルウの跡だけ。

私は「父」という存在を知らない。
私と母は、母の実家に身を寄せていた。

母と祖母は、型の違う電池を無理やり押し込めているような、いびつな関係だった。
折り合いが悪い――幼い私にも、それだけはわかった。

「母さんはね、愛されずに育ったのよ」
母はよくそう言った。
呪いのように。何度も、何度も。

けれど祖母の葬儀の日、母は違う言葉を口にした。
「あなたのおばあちゃんは、孤高。
 理解されづらい人だった。けれど、気高い人だった。」

母と娘って、何なのだ。
死んだおばあちゃんは、一体どこへ行ってしまったのだろう。

あの日抱いた違和感をきっちり言語化できたのは、ずいぶんと後の話だ。

高校を出て、逃げるようにこの町を離れた。
恋人ができた。
優しい人だ。
そして、私はもうすぐ母になる。

まだまったいらなお腹を撫でる。
私の中で、何かが静かに動きはじめている。

この小さな命のために――
いや、きっと、自分自身のために。

私は、母に会わなければならない。
あの“魔法の粉”の正体を、確かめなければならない。
そして――
あのカレーの味を、取り戻す。

実家に帰るのは、JRの切符を握りしめて家を飛び出した、あの日以来だった。
駅前はすっかり変わり果て、まるで見知らぬ街のようだ。

かつて、私は、
「ジャスコ建設、絶対反対!」
「弱い者いじめは、やめろ!」
という立て看板を背に、改札をくぐった。
いまではジャスコはイオンとなり、駅からはイオン行きの――
無料送迎バーモントカレー【12人乗り(6人乗り×2)】が走っている。

変わったのは、街の景観だけじゃない。
きっと、成分も。

改札を抜けると、そこは、ルウのロータリーだった。
ルウのアスファルト、ルウの電柱、ルウの東急イン。
ルウ(材料)のアスファルト(材料)って何だよ。

私は、バーモントカレーの空箱の、仕切られたくぼみのひとつに乗った。
私の右隣には、固まったままの、ルウ。
真後ろも、ルウ。(空箱じゃなかった)

こっそりと、右隣――窓際の席の中年のルウ――を盗み見る。
うっすらと脂を浮かべたその表情には、ところどころ小さな亀裂が入っている。
母と、同じくらいの年齢(消費期限)だろうか。

私は、くぼみのリクライニングを倒した。
ぱきっ、とプラスチックの容器が鳴った。

立ち込める湯気。
その向こう側にゆらめく、影。
鍋の前に立つ、母の後ろ姿。

「お母さん……?」

私は、お人形遊びの手を止めて、おそるおそる母に近づく。

「ねえ、焦げちゃうよ…?」

「いいの。焦がしてるの」

母の鼻の端から頬を下りる皺に、脂がうっすらと膜を張る。
ルウが焦げついた部分が、異様に黒く光っていた。
それはもはや食物ではなく、意志のある鉱物のようだった。

「……なんで、焦がしてるの?」

「だって、その方が、(    )じゃない」

……思い出せない。
あの日、母は何と言ったのだったか。

わからない()が増えてゆく。
まるで、バーモントのルウのあのくぼみ部分みたいな()が。

バス…じゃなかったバーモントのルウ客を乗せた箱は、ゆるゆると(  )を超えてゆく。
もはやどこを超えていってんだかもわからない。
記憶と現実が、(  )と(     )みたいに(      )いる。

実家には辿り着かない。
そうだった、イオンと実家は逆方向なんだった。

魔法なんて、もうとっくに解けてしまったのかもしれない。
ルウみたいに。

――もう、どうだっていい。

思考は、まちがって冷凍保存しちゃったルウのように固まり、やがて完全に停止する。
量産される()を、カッチコチの冷たいルウが侵食してゆく。



問1 次の()内の言葉を埋めよ。

「ほら、仕上げの、魔法の粉」

と笑って、母は私に(   )を差し出した。


問2 次の()内の言葉を埋めよ。

「……なんで、焦がしてるの?」

「だって、その方が、(    )じゃない」


問3 次の()内の言葉を埋めよ。

バス…じゃなかったバーモントのルウ客を乗せた箱は、ゆるゆると(  )を超えてゆく。
もはやどこを超えていってんだかもわからない。
記憶と現実が、(  )と(     )みたいに(      )いる。


問4 なぜ、街はルウに変わったのでしょう。

問5 「焦がす」とは、何を意味していますか。

問6 作品全体を通して、作者が伝えたかったことを答えなさい。

問7 あなた自身の中で、いま固まりかけているものを書きなさい。


解答
問1
母は私に(味の素)を差し出した
問2
「だって、その方が、(跡が残る)じゃない」
問3
バス…じゃなかったバーモントのルウ客を乗せた箱は、ゆるゆると(境界)を超えてゆく。
もはやどこを超えていってんだかもわからない。
記憶と現実が、(ルウ)と(沸騰した水)みたいに(混ざり合って)いる。
問4
(          )
問5
(          )
問6
(          )
問7
(          )

※また参加しました。


いいなと思ったら応援しよう!

関谷ユウコ あたしのことはいいから!そのチップは、おまえとおまえの大切な人のために使え!