XGの進む道、SIMONが思い描いたビジョン、ファンダムの矛盾

2026年2月23日に、SIMON、Chancellor、avex社員らの計4名が逮捕された。

この4名は再逮捕されたことも後日報道されたが、ここから起訴へと進むことはほぼ確実で、これにてSIMONらが今後2-3年の間に表舞台に立つことはかなり難しくなったと言える。

そんな中3月14日に行われた福井公演では、「何があっても変わらないものがあります、それは私たちとALPHAZの間にある本物の愛です」というメッセージが発されたようだ。このメッセージを素直に受け取ればXGがSIMONらなしでも進み続けるということになるが、「メンバーの幸せを一番に考えている」ファンやXGの継続を願うファンからは概ね肯定的に受け止められている。

しかし、このある種感動的なメッセージ、ならびに力強い方向性を良しとする、肯定する価値観にはどうしても疑問を拭えない。というのも、「SIMONらがいないXGをそのまま受け入れて応援することは、今までXGを応援していた気持ちや態度と矛盾するのではないか」と考える余地があるためだ。

以下、その理由をつらつらと述べていきたい。なお、わたしはXGの楽曲を一通り追っている程度の人間で、"Alphaz"と呼ばれる熱心なファンでないことははじめに申し上げておきたい。

SIMONが思い描いたビジョン

まず大前提として、XGというグループはavexという後ろ盾の元にSIMONが終始一貫して進めてきたプロジェクトであることを確認したい。
このことはファンであれば誰もが共有するところだろうし、ドキュメンタリーシリーズによってこれでもかというほどに強調されている。

つまり、現行の7人のメンバーにどれだけ思い入れがあるファンでも、XGというグループを集め、楽曲をプロデュースし、どのような表現を実現させるべきかを考えてきたのはSIMON、もしくはSIMONを中心とするスタッフであり、メンバーだけがXGの「核」であるとは決して言い切れない性質を持つのが、XGというグループの大きな特徴となるわけだ。
(もちろん、メンバーのスキルや人格が寄与する部分も多くあるだろうが)
そして、熱心なファンダムほど上記のような物語や成り立ちを共有することによってXGと他のグループを差別化していたのではないだろうか。

さて、そのXGを進める上でSIMONはどのようなビジョンを掲げ、実現しようとしてきたのか。
以下の記事を参照すると、

「世界で一番かっこいいグループを作る」
「過去の音楽やアーティストと向き合う」
「当時自分が聴いていた素敵な音楽って(若い世代にも)伝えたいじゃないですか」
という発言があるため、端的にまとめると
90-00年代のブラックミュージックの音楽像、ならびにパフォーマンスを現代の技術・価値観によりアップデートして表現することにより、「世界で一番かっこいいグループを作る」
ことになるだろう。そして実際に発表される楽曲やパフォーマンスでそのことを表現してきたし、ファンダムはそれに共感しつつ驚喜してきたはずだ。

ファンダムの矛盾

そうした中で起きたこの件にかんして、「XGメンバーとファンダムの間の絆」にのみ注目したり、SIMONら抜きでそそくさとプロジェクトを進めようとすることは、もはやグローバルな存在になったXGとしては仕方がないこととはいえ、今後のグループの展開のみを考えてプロデューサーやスタッフの功績を矮小化するような方向性であるようにも思える。または、そうした新体制に対して早速に賛辞を送ることは、今までのファンとしての心的態度をかなぐり捨てる、矛盾ある態度や行為のようにどうしても見えてしまう。
(なお、このような解釈に対して「会社のトップが腐敗していた場合すげ替えなければいけない」といった反論があるのは重々承知しているが、そもそも今回の件がプロデューサーとして降板しなければいけないようなことなのかどうかも本来問われるべきであるとわたしは考えている。ただ、少し話が逸れるため後述する。)

あるいは、メンバーの人的魅力が上記のようなビジョンを凌駕したため、とにかくメンバーの幸せを願うというファンもいるだろうが、そのようなファンはもはや音楽と切り離された存在であるため、逆にメンバーやプロジェクトの実現しようとしていることをオミットしているとも言えてしまう。そもそも、本当にメンバーの幸せを願うのであればXGが解散しようがメンバーの脱退・分裂があろうが雨が降ろうが槍が降ろうが応援し続けるべきであるはずだ。

上記のような矛盾を解消するためには、今までのXGの楽曲やパフォーマンスを唾棄すべきものとして、新生XGの楽曲やパフォーマンスのみを支持するしかない。もっともその場合により求められるのは新生XGからファンダムに加わったファンで、いわゆる古参ファンは消えるべき運命を辿ることになるだろうが。

XGの進む道

これらの矛盾を生じさせずにグループを存続させるためには、やはりプロデューサーとしてSIMONらが継続して関わっていくことが必要になるが、最早そのような選択肢はないだろう。恐らくファンダムの多くは、違法薬物を使用したと思しき人物やその創作物に対して「純粋な」好意や賞賛を寄せることはないし、それが故にメンバーを応援する気持ちが離れるのだろうから。
(もちろん、表に出てくることを諦めたり、休止期間を置いて気長に活動するといったことも本来は考えるべきなのだが)

こうした中で当然起き得るのがプロデューサーの交代、あるいは不在状態でのプロジェクトの推進、ということになる。

不在状態でのプロジェクトの進行は今まさに行われているところだが、そのうちにさすがに何らかの方向性が提示されるだろう。しかし、仮にプロデューサーが交代したとしても問題になるのが、SIMONによって大枠が固められたとはいえ、上記のビジョンを達成できる人物がいるのか、ということだ。

個人的に一番妥当性が高い、あるいは多少なりとも納得がいくものと考えるのが、グループのメンバーあるいは弟子のような誰かがSIMONらのビジョン、ならびに音楽制作を受け継ぎ、一貫性を持ってプロジェクトの推進にあたっていくことなのだが、今までそのような気配や雰囲気が示されたことはないため、すぐに実現することはさすがに難しいだろう。
そもそも、実現しようとしたビジョンのうち「世界で一番かっこいいグループを作る」部分をそのまま掲げることは可能であっても、「過去の音楽やアーティスト」の参照枠は当然変わるだろうし、「当時自分が聴いていた素敵な音楽」はSIMONにしかわかり得ないため、やはりその達成は難しくなるだろう。

そうなると残る手は外部プロデューサーの招聘しかない。繰り返しになるが、XGはこれまでSIMONを中心とするプロデューサー陣によって成り立ってきた、いわば疑似家族的なグループである。外部から人が来るということはすなわちビジョンを共有せずとも良いということになり、XGというグループ、ないしは一連のプロジェクトの幻想を打ち砕くことにもなってしまう。

残念ながらこの路線が一番実現可能性が高いとわたしは考えるが、これは、ビジョンを共有しながら進めてきた家族主義からの脱却、すなわち資本の論理によって活動の継続を目指していくグループへの変貌に他ならない。

XGの進む道は、さながら地下に大きな空洞があると知りながらも舗装し続けようとするようなものなのかもしれない。そのような道はいずれ陥落するかもしれないが、ある意味で心配はいらないだろう。周りを見渡してみれば、空洞のある道ばかりなのだから。

余談1

ここまで述べてきたプロジェクトの来歴を抜きにしても、今回の件によってSIMONらに失望を感じたり断罪する動きがあるが、ここにも再考の余地はある。

まずもって、XGの楽曲群において参照されてきたブラックミュージック、あるいはダンスミュージックにおいて、コカインや大麻は頻繁に用いられてきたし楽曲の題材にもなってきた、という事実がある。

もちろんこれらのドラッグ使用にまつわる負の側面というものもあり、とくに中毒になった場合の悲劇は多様な形で語られている。例えば、XGが"ROCK THE BOAT"でリファレンスしたAaliyahには、"Erika Kane"という曲があり、ここではコカインがテーマとして用いられている。曲の内容は、コカインの使用により人間関係や自身を崩壊させていく様子が語られるといったものだ。ただ、その本質はあくまでも「中毒」であることで、使用そのものに警告を出しているわけではない。

SIMONらやXGのメンバーは、HIP HOP・R&Bといったブラックミュージックの枠組みに入る音楽を文化的な背景まで理解して音楽を制作していると度々言及している。そうであるならば、今回の件は腑に落ちることこそあれどショックを受けるようなことではないということが言えるし、そうした背景込みで音楽に取り組んでいる姿勢をこそXGのファンダムは賞賛してきたはずである。

要するに、SIMONらはもしかしたら楽曲の制作時にドラッグを使用していたかもしれないが、それは楽曲の価値やプロジェクトのビジョンを毀損するものではまったくない、ということだ。
(※もちろん、ドラッグを使用しなければ音楽制作ができない・当該の文化を理解できない、と主張しているわけではない。ブラックミュージックの制作者やアーティストにはドラッグを使用しない人間も当然いるだろうが、それ以外の人間より心理的・物理的な距離が近いことはほぼ間違いない。)

余談2

率直に言えば、この件で露呈したのは日本における違法薬物への無理解、あるいは違法行為への不寛容である。そもそも、違法とされる薬物であってもその使用に限ってはとくに被害者がいるわけではない。SIMONらが実際にどう使用したかは今後の調査や報道で明らかになるだろうが、今のところは薬物の使用によって暴力を振るったり、ハラスメント行為を行ったという話も出てきていない。このような状況下において「プロジェクトの進行を妨げた」「イメージの低下を招いた」といってプロデューサーの任を解かれるのは、わたしには到底理解できない。

「裏社会に資金が流れる」といったことを違法薬物使用に対して断罪する根拠とする考え方もあるようだ。もちろん直接被害にあった方の心情は察するに余りあるが、そもそもそのような資金の動きを辿ることは原理的に不可能だろうとも思う。それに資金の流れ云々を理由として持ち出す人物は、原材料が強制労働によって収獲されていると噂されている企業の衣料品をまったく買わないのだろうか。「個人事業主」などという扱いによって法の穴を突いて労働者を安く雇用しているとしか思えない企業についてはどう考えるのだろうか。

自身が法を遵守することをもって良識ある市民だと誇るのはある種立派な行為だが、それにより社会で疎外される人々もいることに目を向けるべきだとわたしは考える。何よりあなた方が愛好しているはずの音楽は、そのような人々によって育まれてきた音楽である。


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