婿舅(むこしゅうと)と嫁姑(よめしゅうとめ)問題 その2.1 嫁姑問題 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
嫁姑/婿舅問題というのは古典です。
(ていうかそう思いたい…(笑))
しかし今でもしっかり今も息づいていることを散見して来ました。多くの場合ははっきり言って結構幼稚な一方的パワハラという姿なんですけど。
………………………………………………………………………………………経緯
その1は、物理屋なので(笑)先ず婚姻というプロセスが入る嫁姑/婿舅の関係ができる前、その原点として親子問題がそもそもありますよねというお話でした。
これも古典です。(笑)
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今回は、嫁姑問題。
まぁ姑の立場から見ると育った環境が古く、しかも放送やインターネット等無い時代。
特に今は誰もが放送やインターネットを通じて広範な情報に触れることができます。物理的に自身の手の届く限られた範囲だけではなく、広く多様な情報を活用できます。放送は、簡単に標準語と触れることができる身近な存在。しかも極めて厳しくコンテンツが管理されていて安心感があります。特にNHKは学校を卒業した後の生涯教育の場としても良く整備されています。大人としてのお作法も自然に身につく環境です。
勿論民放も頑張っています。皇室の方々が、その歴史的背景を鑑み、民主主義時代の国民の象徴として基本的人権を酷く毀損されつつも模範的な家族の姿、在り方をリファレンスとして提供してくれています。それも放送等を通じて公開されています。
一方で、インターネットはそれを補完する感じで優良なコンテンツを選べば放送というセレクトされ、限られた窓とは異なる広い分野の情報、専門的で深い情報まで入手することができます。
今やスマートフォンが普及して何時でも何処でもそんな環境に身を置くことが可能になっています。
ですから、その様な
今とは違う世界で育ったんだから仕方ないでしょ
という感じかなぁ。そもそも
言葉遣い自体が狭隘(きょうあい)な環境で育ったので所謂標準語とはかけ離れたもの(含む相手を傷つけ表現)しか知る由もない
といったところ。当然
生活習慣も偏りが激しく、それが原因で相手を傷つけても悪気が無いので全く平気。それがどうしたのと軽く笑い飛ばす…
それもあって
ものの考え方も自己流なところが顕著なのは寧ろ当たり前。
以前は戦前生まれと戦後生まれの違いだと思っていました。
戦前生まれの方の特徴
でもそれだけでは無い。例外を沢山見てきました。ですから戦争経験が主要なファクターではないと思っているのです。
一方、
当然受け止めてあげる側は、かなりのプロトコル変換をして上述の偏りを補正して対峙することが必要
となっています。
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プロトコル変換とは…

出典
https://wa3.i-3-i.info/word110761.html
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これをしないでまともに受け止めると、傷ついたり心が病んだりしていまう程重要な作業。
相手に悪意は無くて、単純にお育ちの問題と割り切ることが最大のソリューション
だと思っています。お姑さんだって生まれたての赤ちゃんの時はそんなんじゃなかったし、そのまま今の最新の環境で育ててあげれは全く異なる人格となった筈…、(当たり前過ぎて意識しなくなっていることですが(笑))とまで思考を引き戻す必要がある程厄介ですよね。
翻(ひるがえ)ってもし主客転倒させて自分自身がその様な環境で育ったら同じプロトコルで生きることになった筈… 位に考えるのが健全…
でもそこまですれば心の始末はなんとかなる感じかなぁ(笑)
これを前提にしてもう少し具体的なところを…
実害がある場合を含めて…
つづく

