興味本位で(笑)盛り上がるイマドキの企業のOB会を覗いてみませんか… その8 続編7 やっと鰻屋最寄り駅川崎に… 移動だけでも勝手に自分を盛り上げる貪欲さ 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
人間60年以上してるんでOB会の道すがら、色々な場所に思いや思い出がいっぱい…
半島のローカル駅前から楽しみ尽くす…
と云う話の続き。
こんな事まで考えて電車に乗ってるの
と驚くかと思いますが、マジ(笑)そうなんです。
だから楽しくて仕方ない…
その辺の経緯は文末に…
OB会の会食は川崎の鰻屋。その川崎駅初体験は、鶴見駅、海芝浦駅と同じ大学の工場見学の授業。老舗の電機メーカー東芝さんは駅前の広大な敷地に有り何もかも圧巻。 そしてもう一つの川崎駅、京急川崎駅。京急大師線は京浜急行のルーツの1つでその歴史も深い。そんなこんなで駅前に降り立っただけでも…
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今回は、いよいよ京急川崎駅からの散策。プラットフォームから階下に降りると構内には未だ地上駅の京急大師線が。しかもレトロな白帯車両。それを左手に眺めながら改札を出るとイキナリステーキ。猥雑な街がお出迎えです。右手の一角も良く呑み歩いた… 大人の世界のお店も少し有るエリア。
今日は左手に折れて、鉄鋼会社の半導体部門末期から部門ごと元々は大手電機メーカーだったのを土壇場で国内最大級のITに事業譲渡に変更を企て、まんまと好条件での事業継続に成功した、その前後で呑み歌い歩いた思い出の地。
今は閉店したキリンシティ 京急川崎店に毎月初幹部だけで呑んで流れて歌う(笑)
キリンシティ 京急川崎店
044-211-5765
神奈川県川崎市川崎区砂子1-3-1 京急ストア川崎店 2F

不思議と寂しさはなく、波乱万丈の人生なので…
諸行無常は身体で会得して居ます(笑)。
寧ろ変化を楽しむスタンス。
駿台予備校時代
通ったディスクユニオンが有る
川崎ダイスは、

バスの運転士になりたかった夢をトラックドライバーに置き換えて叶え、
良く訪れました。
そして猥雑の1つの極値(すいません。数学の極値のイメージなので敢えて、)銀柳街。

時代ですね~。浄化が着々と進んでいます。これもまた微笑ましい。まぁ昭和の匂いを楽しみたいなら例えばラーメン博物館。

でもラーメン博物館の昭和は、私の好きな高度経済成長期末期の昭和の景色よりは少し前、戦後の匂いがキツイ頃のイメージかなぁ…
そこを抜けて見上げれは、幹事さんが推薦した川崎市役所新庁舎。

務めていた会社経由で沢山市民税を納めた一部がこの建物になったんだなぁと感慨無量。


因みに川崎駅周辺には既存の庁舎も引き続き利用されていて、流石潤沢な市民税を誇る川崎市と云う感じ。
広いエントランスホールを抜けて展望階へのエレベーターに。展望階階下は市議会の議場になっていてその下の階から立派な中階段でもアクセスできる構造。企業も最上階は役員会議室と役員室で、社員は秘書部経由で階下から立派な内階段で所望のの役員室に向かうと云うスタイルでした。
勿論川崎市役所は公的な建物なので議場入口迄のアクセスはフリー。勿論セキュリティは監視カメラ等最新の機械警備で万全なんでしょうが。
展望階は良く整備されていて一部は屋外の回廊になっていると云う洒落た構造。これもこの屋外回廊の管理が大変そうなのですが…
エレベーターは先ずは屋内の回廊に。先ずは川崎駅東京側の展望を…

左手端に映る茶色い建物はかつて通った半導体部門の有った建物。多摩川を挟んで5年程通った丸の内の本社の方向を見ながら会議室で部下と昼休みを楽しんだものです。

まぁ、サラリーマンの川崎市生活では最後となった茶色いビルを拝む(笑)。元々はこの辺りに多数の拠点を持つ電機メーカーに事業譲渡の予定だったのを、より伸びの期待できるソフト/サービスの事業に強いI超大手T企業に土壇場で方針変更した事を思い出しました。
このビルからの看板を変えての振り出し。
給与体系が合わず子会社を作り部門ごと子会社移ってのあきる野、新宿。そして企画屋として認められ大学の先輩の強烈な引き。大井町の拠点の前の焼き鳥屋で私を口説いて貰い… そしてこのビルに来て私の上司たる社長にも仁義を切って説得してくれて… しかも難色を示す人事に鉄鋼会社と同じ厚遇、詰まりかなりの飛び級迄…
強引に半導体の子会社からソフト/サービス部門が主流の本社に転社させて貰ったのでした。
大井町、恵比寿、蒲田、新橋、武蔵小杉と超大手IT企業内を部門の展開に合わせて最適拠点で仕事三昧の日々。しかも米国や欧州にもガンガン飛び出して部下を配置して自由な雰囲気のIT企業風土を存分に活かし思いっ切り仕事を楽しんだ…
その始まりのビル。
このビル内の蕎麦屋が最高。濃い味の蕎麦湯迄完全に仕上げ。勿論本物の生ワサビが一本付いていて、しかも専用のビニール袋も用意されていてお持ち帰りできる。蕎麦好きにはたまらない…
鉄鋼会社からの移籍時には、鉄鋼会社のエンジニアリング部門に移った先輩をその蕎麦屋で見送ったり… その方とは勿論今も懇意。
また、IT企業に移籍しての幹部社員の頃。IT企業なので紙は持ち歩かないとアタッシュケースを持たないで携帯電話だけで仕事をしていました。そのノリでその子会社の社長とお供した時、その社長はアタッシュケースを持つスタイルの方。オフィスを出てエレベーターホール出て…
「お前アタッシュケース持たないのか。それじゃ俺が鞄持ちみたいじゃないか。アタッシュケース持ってこい。」
と… まぁ、飲み仲間の社長なのですが、ご尤もと。直ぐに事務所入口の1番手前の席の部下に中身空にしてアタッシュケース貸してくれと頼み、事なきを得たのです。これも飲み会になるとイジりネタとして多用された出来事。
勿論それから空のアタッシュケースは事務所の机の下に入れて置いて、お粗相の無い日々を… その方とも勿論、今も親交が有ります。
もう思い出の塊。
つづく
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経緯
1980年代半ば。新入社員として入社した鉄鋼会社。大学での研究分野を順当に引き継いで最大の研究部門、鉄鋼研究所の物理解析の部門へ配属。
同じフロアに偶々勤務していた吾妹を拝み倒して結婚して頂きました。大学生時代の教訓を活かしての
何に対しても自分の人生は自分で決めるスタンス
フロアに夫婦を配置しないと云うお作法は珍しく、私が職場を変わり、新材料事業部と云う名の新規事業担当部門の予算で生きる人間に。そこで最先端電子部品の開発を。
その辺りは以下のその1でも楽しめます。
新規事業企画の面白さを知ったこの経験。鉄鋼分野の神髄の分野、世界最大の海外研究機関での研究開発経験者、国営通信会社からヘッドハンティングされた企画マネージメントのプロなどなど物凄い経歴の持ち主ばかり。精鋭部隊に新入社員の3年間の育成指導開けの私が入った感じでした。ですからそこでのチャレンジングな日々は忘れられません。覗くのは…そんな同じ釜の飯を食った兵(つわもの)の集うOB会。
昭和の香りプンプンのお作法でお食事会の内容と日程が決まりました。
当日。久しぶりの大好きな鉄道での移動の為に吾妹のお出掛けに便乗してスクーターでの少し遠いローカル駅へのツーリングを楽しむ… その間にその駅の歴史や付近の八幡様等に思いを馳せて知的欲求も満たす…
吾妹を見送って、駅までの散策でも歴史と今の人々の暮らしを楽しむ…
私の別荘のある半島は明治時代は船舶や例えば富岡製糸場を作る資材を造るなと日本の近代化の礎を築いた地域。80年余り前は半島全体が軍事施設。鉄道も国鉄と標準軌の私鉄が有り近現代史に彩りを与えています。
まぁ、大人のお作法として以下の知識を踏まえての鉄道旅。
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三浦半島と千葉の標準軌私鉄と旧日本軍の発展との関係
三浦半島と千葉に存在する標準軌の私鉄は、単なる地方交通機関というだけでなく、その成立と発展の過程において、旧日本軍の軍事戦略と深く結びついていました。標準軌の採用は、将来的な軍事輸送への対応を視野に入れたものであり、具体的な軍事施設へのアクセスを担う重要な役割を果たしました。戦後、これらの鉄道は平和利用に転換され、地域住民の生活を支える重要なインフラとなっていますが、その歴史の背景には、かつての軍事大国の姿が色濃く反映されていると言えるでしょう。これは、インフラ整備が単なる経済活動に留まらず、国家戦略と密接に連携していることを示す、興味深い事例であると言えます。
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今はJR東日本と分割民営化されたJNR(Japan National Railways 日本国有鉄道)もまた、この半島の近現代史には大きく関わって居ます。
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横須賀線横須賀駅の特徴と三浦半島国防の歴史的重要性
横須賀線横須賀駅の機能的な設計は、単なる旅客駅というよりも、軍港横須賀を支えるための軍事輸送拠点としての役割を色濃く反映しています。そして、三浦半島は、江戸時代の開国期における外国船来航への防衛意識の高まりから、明治以降の近代国家建設における海軍の拠点化、そして大規模な東京湾要塞の構築に至るまで、日本の国防上、常に極めて重要な位置を占めてきました。三浦半島全体が「軍事要塞」と表現される時期があったことは、その地理的特性と日本の近代化における軍事戦略が一体となっていたことを如実に示しており、日本の近代史を理解する上で不可欠な要素であると言えます。
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と、まぁ鉄道と云う切り口だけでも興味深いんですが、中々険しい地形的なと特徴を持つ半島の別荘生活で日常的に利用する鉄道トンネル/道路の隧道についても深掘りしてみました。
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三浦半島の鉄道と道路のトンネル/隧道の歴史:難所克服と国防・地域発展の軌跡
三浦半島の鉄道と道路のトンネル・隧道は、単なる地理的障壁の克服の歴史にとどまりません。その始まりは、近代日本の国防上の要請、特に横須賀軍港への迅速なアクセス確保という、国家的な重要課題と密接に結びついていました。横須賀線のトンネル群、特に田浦駅周辺の連続するトンネルは、その象徴と言えるでしょう。さらに、東京湾要塞の構築期には、文字通り半島全体が「地下の要塞」と化すほどの軍事関連トンネルが掘り進められ、その秘匿された歴史は現代にも影響を与えています。そして戦後は、これらのインフラが平和的な経済発展と住民生活の利便性向上へと転換し、三浦半島の豊かな自然と歴史的魅力を享受するための重要な要素となっています。三浦半島のトンネルは、日本の近代化と軍事史、そして平和な現代へと続く地域の歩みを、今も静かに見守り続けているのです。
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都区内で育った身としては、そもそも関東平野とは異なる地形的特徴を持つ半島の地学的な歴史にまで興味は及びます。
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三浦半島の地学的地形的特徴:地球創生から現代に至る変動の歴史 〜変動する大地が育んだ独自の地形
三浦半島の地学的地形的特徴は、地球創生期からのプレートテクトニクスという壮大なプロセスの結果として理解できます。特に、新生代における伊豆弧の衝突と海成層の堆積、そして第四紀における急激な隆起と浸食作用が、現在の複雑で変化に富んだ地形を形成しました。
* 東京湾の「喉元」としての地形: 複雑に入り組んだ海岸線と、東京湾に突き出す地形は、かつての国防上の重要性と深く結びついています。これは、地質学的な隆起と浸食が、戦略的な地形を生み出した例と言えます。
* 変動帯に位置する日本の縮図: 三浦半島の地質と地形は、日本列島全体がプレートの境界に位置する変動帯であることの典型的な例です。現在も隆起が進行しており、地震活動のリスクも抱える「生きている大地」であることを示しています。
* 学術研究の宝庫: その複雑な地質構造と活発な地殻変動の痕跡は、地球科学の研究対象としても極めて重要であり、多くの研究者が三浦半島の地質を調査し、地球の歴史解明に貢献しています。
このように、三浦半島の地形は、気の遠くなるような地球史の積み重ねと、現在も続く地殻変動によって形成された、まさに「変動する大地の縮図」と言えるでしょう。
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間口を少し広げて全般的な地域の歴史も概観してみました。
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三浦半島の歴史と国防:東京湾の「喉元」としての戦略的重要性の変遷 〜国防史を語る「生きた博物館」
三浦半島は、古くは武士団の拠点、江戸時代には鎖国下の対外警戒の最前線、そして明治以降は近代日本の海軍の中枢と東京湾要塞の中核を担い、「軍都」としてその姿を変えてきました。戦後も、米軍基地という形で国防上の重要な役割を継続しています。
この地の歴史は、まさに日本の国防史そのものであると言えます。ペリー来航の地、海軍の礎、そして太平洋戦争の記憶、さらには戦後の国際関係まで、三浦半島を歩くことで、日本の国防がどのように変化し、今日の姿に至ったのかを肌で感じることができます。三浦半島に残る歴史的建造物や遺構は、過去の国防の営みを伝える「生きた博物館」として、私たちに多くの示唆を与えてくれるでしょう。
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実に面白い。それらを踏まえて最後に平和な半島の今を概観。
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現在の三浦半島:国防の歴史を超えた平和的魅力の多層性
三浦半島は、かつての国防という重い歴史を背負いながらも、現代においてはその歴史遺産を平和的に継承し、豊かな自然環境、多様な文化、そして地域住民による温かいコミュニティを育む地域へと変貌を遂げています。戦争の記憶を語り継ぎつつも、海と緑に囲まれた穏やかな暮らし、そして人々が安心して暮らせる社会を築こうとする姿勢こそが、三浦半島が現在持つ最も大きな「平和的な魅力」であると言えるでしょう。これは、単なるレジャーの場としてだけでなく、持続可能な社会のあり方や、歴史と向き合い未来を築くことの重要性を私たちに示唆しているのです。
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とまぁ、これぐらいの事は頭に入れてのプチ鉄道旅。
吾妹への新鮮野菜や未来のレモンサワー等お土産満載のバックパックを背負って改札を抜けると…
標準軌の美しい線路。しかもアンバランスなホームの構造に驚きました。
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京急富岡駅のプラットフォームの特異な構成
京急富岡駅が下りは単線、上りは複線のプラットフォームを持つのは、京急線の輸送需要の変遷、特に上り方面の列車待避の必要性に応えるために行われた駅の改良工事の歴史的結果です。1987年のダイヤ改正で待避線が設置された際に、上り線のみにその設備が設けられたことが、現在の特異な配線に繋がりました。これは、限られたインフラの中で最大の輸送効率を追求する、鉄道会社の合理的な判断が反映されたものと言えるでしょう。
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こんな事に思いを馳せるのもまた鉄道マニアの醍醐味。
そして横浜駅手前の初期の短い車両時代の名残(なごり)の急な曲線区間。品川と北品川区間は絶滅しますが、此処は今のところは温存(笑)。そこには私鉄ならではの合理性が有りました。その中間には平沼駅の遺構。第二次世界大戦に翻弄され短命で消えた駅です。横浜駅手前では新田間(あらたま)川を眺めながら埋め立てや水害等の歴史を思い…2004年に自宅マンションがまさかの水害に遭って貴重な体験をしたことまで…
横浜駅を後にし駅間距離:1.6kmと直ぐに到着するのが神奈川駅。旧東海道沿いに有り付近には台場跡… 明治時代の外交官が仮に大使館として使った寺院も… 開国国直後の過渡期を担った地域です。この辺り迄は横浜駅近くに住んでいた居た頃散歩して楽しんだ思い出の地。
仲木戸駅。此方も将軍の鷹狩り場、宿営地の歴史も…
生麦駅。生麦事件の場所は、バスの運転士にもなりたかった夢の代替としてのトラック運転士時代抜け道として多用した旧東海道沿い。そして駅の反対側は曰く付きの法政女子高等学校。その辺りの話しは内緒です。(笑)
旧花月園前駅。今は花月総持寺駅。遊園地の花月園は知らないけど競輪場の花月園のお客さまは良く車内で… まぁノーコメント。お寺と云えば会社の出世頭の同期が地元に帰って住職になったのを年賀状で今年知って、少し驚いたものの、私と飲むと徳について語っていたので… さもありなん…
鶴見駅は大学生時代の海芝浦駅、東芝さん訪問。会社員時代の通勤、職場の飲み会と思い出深い場所で… 懐かしさも一入(ひとしお)
そして八丁畷(はっちょうなわて)。京浜急行から尻手浜川崎線への乗換駅で、接続が絶妙で通勤を楽しませて頂きました。
いよいよ川崎駅
此処も凄い場所。大学時代の工場見学と云う授業で大手電機メーカーを訪問したのがデビュー。日雇いの方々その日のお仕事を決めて毎日マイクロバスで仕事場に向かう、そんな時代からのお付き合い…
ホントに盛りだくさんなので…
しつこくてごめんなさい(笑)

