意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その4.34 学生起業 受験に集中した高校時代の自分を壊ずし知的自由を取戻した日々 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
生まれてからずっと夢見ていた知的パラダイスたる大学。学生運動の名残が少し残っていて、立て看板も絶滅危惧種ながら若干残っていました。
そこで意識的に自分の殻を壊し、親の説得も振り切って学生なりの手段で実社会に足を踏み出した話の続編。
自分の殻を壊して雇われ塾講師から、
大人扱いすること
をキーワードに教育の世界で極めて小さくですが起業した話。
経緯
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ベビーブーム末期で受験戦争と言われた時代。意識的に自分の殻を壊し、バランスの取れた高校生活を選ばず、醜いまでに受験対策するということに。そのソリューションとして選んた駿台予備校が良かった…
駿台での授業内容は大学での学究生活に向けての準備というスタンスでした。入試なんてその通過点で軽くこなせば良いだけという余裕。感動的ですら有りました。
その辺りまではこちらをお楽しみ下さい。
しかし小学生時代、スタートが2年遅れた分を取り戻せず、その2年遅れを最後まで背負って希望の大学に入学しました。そして、弱冠20歳にて4度目の
意識的に自分の殻を壊す
です。
入試という他人の決めた知の体系から解き放って自分の知的欲求を基にした学究生活を取り戻す。それを真剣に追求しました。
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生まれて初めての職業体験。
親に学業に専念しろと止められたにも関わらず挑戦した学習塾での講師の仕事。
その辺りはこちらをお楽しみ下さい。
その仕事も卒論研究で時間が自由にならなくなる大学4年生になった直後、お世話になった塾の講師入替えが落ち着いた時期で一旦区切りをつけました。
というのも卒業後のイグジットとしての希望の就職先は具体的で、製鉄所が東西2箇所に集約され綺麗な製造体制ができていた鉄鋼会社1社だけでした。そこは授業の工場見学でも東西の製鉄所の詳細を学び、西にあった製鉄所訪問では、夜に幹部との会食と同社の研修施設での宿泊も経験していました。
しかし1択なので万が一の場合に備えいつくかのバックアッププランを用意しようと思いました。その1つが折角インサイダーとしてノウハウを知り得、幹部講師として扱われていた塾経営。曲がりなりにも塾講師として社会にデビューして3年弱での初めての起業でした。
約3年間働き塾の経営ができるまでにはなっていました。塾専用の教材も入手できる状態。ですから、小さく産んで大きく育てる素地を用意して置こうと決めました。と言っても卒論研究で時間が自由にならなくなるのでその辺は慎重に。もう新学期は始まって居て塾に行くような生徒さんは既に入塾している時期、次の入塾の多い季節は中間テスト後という流れの狭間の中途半端な時期でのスタートでした。
比較的成績の高めの生徒さん狙いで、高校生時代に感動した駿台予備校のスタンスを流用。受験というよりは学び方を学びませんかという様な内容でトライ。松下村塾を真似て(笑)傍泉塾(ぼうせんじゅく)という名前でのチャレンジでした。塾の周りに泉が有りましたので、泉の傍(かたわ)らの塾という命名。
取り敢えず片面、ブルー単色刷りのチラシを1000枚用意しました。500枚も1000枚も余り値段は変わらなかったので。私が生徒会で学校の正常化に取り組み、その頃にはヤンチャな生徒さんは絶滅危惧種にまで縮退していた母校の中学校の正門付近で下校時間帯に配布しました。勿論広範な範囲で捨てられたチラシの回収作業をしました。数枚が読み捨てられて校門先の路上に放置されている程度で、チラシ配布としては上出来。
閑散期ながら2名の入塾が有りました。1名は前の塾で夏期講習で教えたことのある3年生男子。もう1名は中学3年生女子。男子の生徒さんは親御さんとの面談不要ということで、女子生徒さんの親御さんと自宅の応接間で面談の上入塾して頂きました。大人扱いするという意味で受験までに必要な塾専用のテキストと講師用の指導ポイントまで入った詳細な解説/解答集を渡し、独学でも受験まで行ける状態でスタートしました。
2人共に自頭が良く、個別指導なので、手の内を早々に伝授。講師用の資料の使い方をしっかり教えると中学3年生ということもあり目的意識が高く直ぐに学習は軌道に乗りました。時間がたっぷり取れる夏休みが終わる頃にはテキストをやり終え、模擬テストでも志望校に余裕で合格できるレベルになりました。そこで私も卒業研究が佳境を迎えていましてので、質問は随時という前提で一旦卒業ということにしました。
この極意は、その後の人生でも何度となく応用しました。
その辺りはこちらも是非ご覧になって下さい。
その時には自分のイグジットの高待遇で人気の鉄鋼会社への就職活動は順調。修士の方の枠取り合戦後の残りがが学部生に回って来るのですが運良く学部生のたった1枠が残っており、数名で1枠を調整するも、話し合いではまとまらず何とじゃんけんで。しかも運良く勝ち抜き教授会での審査にも合格していました。
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既に6月頃にはその会社から内定をもらっていました。そんなこともあり、バックアッププランは無用になる見通しが立っていたので、自分の塾生には喜びのお裾分けということで私の講師としてのノウハウと資料を全て最初から受け取ってもらったのでした。後は10月に採用の正式決定を貰うだけというところまで来ていました。理系で学校推薦があれば余程のことが無い限り内定獲得という感じでした。そんな時期に一旦休眠させました。万が一本採用が決まらなければ、休眠を解いて正式に会社登記するつもりでした。
結局、バックアッププランのまま今日に至っています。
蛇足
その鉄鋼会社での筆記試験の後の役員面接で社会経験を問われ、正直に全て話したところ、
起業で上手く行っているならうちに来なくても良いのでは?
とお決まりの揺さぶり質問のネタにされ、
理系の知識を活かして基幹産業で社会貢献したい
とそれでも内心ドキドキで答えました。
今となっては懐かし思い出ですが。(笑)
蛇足
この後の顛末はこちらをお楽しみ下さい。

