身近な人がコロナウイルスに感染して他界したとき その3 徳 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
愚輩の小賢しい薄っぺらな前捌きを超えていた故人の徳というお話です。
(注意 以下、人によっては鼻に付く表現があります。沈思黙考後、推敲してもお伝えすべき事実に最も近い日本語表現と考えてのこと。ご容赦賜りたく。)
クリスマスや年末年始を間近にして、極めて身近な人が今回の感染拡大期に施設内でコロナウイルスに感染し、他界しました。残念です。
私は劣等なcleverさとでも言うのか、並外れた記憶力の悪さを補完するために編み出したロジックを駆使して生きてきました。
その辺りは赤裸々に以下にまとめましたので宜しければお楽しみ下さい。
そのような私にはそもそも無い資質。
徳 (広義の徳)
それを故人はお持ちでした。
徳自体とても意味深長な言葉なので比較的網羅的にまとまっている以下にその説明は譲ります。
徳 Wikipedia
そして言葉を超えた徳の深い理解について、噛み砕いた内容で私の理解に近い資料として以下をご紹介致します。
そのような故人の徳。
それが愚輩の小賢しい薄っぺらな前捌きを超えていました。
その恥ずかしくも残念な前捌きは以下をご覧になって下さい。
その前捌きの背景として以下のコロナ禍の現状理解がありました。
その
近親者でリスク承知で強い希望がありどうしてもということであれば万が一の感染を鑑みて2名程度に止める。
という
リスクある儀式と無い儀式の完全分離
という愚輩の前捌き判断を故人の徳が超えたのです。
予想外、想定外の数人の方々が、簡易保管でウイルス密度が最大化し、感染リスクが極めて高い状態でも参加するという意志でした。
私の劣等なcleverさを徳が易易と超えた
瞬間でした。若かったり病み上がりだったり、家庭の大黒柱だったり。感染者拡大、医療体制崩壊すら完全無視。それでも感染することを厭(いと)わない世界。
徳
の力に脱帽。
蛇足
習近平主席のゼロコロナ政策が破れた事が良いリファレンスだと染み染み思い及んでいます。
