言語学と情報理論とロック音楽
私は言語学者だが、音楽の経験の方が長い
私は言語学者である。2005年にオーストラリア国立大学大学院言語学科に入り、2009年に博士号を取得してプロの研究者になった。2005年を起点にすると言語学者歴は21年目。しかし、私はそれよりもずっと長い間、音楽の経験がある。特にギター。そして一貫してヘヴィメタルとハードロックを愛してきた。その中でも、私が留学地を決める遠いきっかけともなった、オーストラリアの伝説的なバンド、AC/DCに酔いしれて生きてきた。愛用のギターもAC/DCのリードギタリストの使用しているGibson SG 61モデル1本をずっと使い続けてきた。
承前——言語学と情報理論
ところで、今ちょうど、言語学の論文を書いていて、そこでは「展開の複雑さ」というものをどうやって測るか、というのが問題になっている。聞き手は、発話を聞くとき、ある種の予測を立てて聞くことになるが、その予測の「不確かさ」がずっと続くのは認知負荷の観点から耐えられないだろう。何らかの単位ごとに、予測通りの区間が続き、それを過ぎたらまた予測の不確かな区間がスタートする、ということの繰り返しがあるはずである。
いろいろ端折ると、これは情報理論的には「エントロピー」という、不確実性を測る指標で数値化できる。例えば、日本語で「食べませ」という文字列が見えたら、次には「ん」がほぼ確実にくるだろうと予測できる。この場合、不確実性はゼロである。しかし、「食べま」までだと、その後否定形になるのか、勧誘形になるのか、過去形になるのか、選択肢が一気に増え、不確実性が増す。つまり、「食べま」までを聞いた時のエントロピー(不確実性)が高く、その先の「せ」を知ることでエントロピーが一気に減少する、というふうに捉えることができる。今、この概念を使って、言語学の論文を書いている、ということである。
要は、記号の列があるときに、次が予測できる場合と、次が不確かで意外性がある場合がある、ということで、これが言語記号の並び方では比較的統制されている可能性がある、というような論文になる予定である。情報理論の観点からは、記号列の遷移はエントロピーの低減(次の展開が読める)、あるいは増加(次の展開が読めない)で数値化できる。
抽象的な話が続いたので、実物をお見せしよう。私がいま分析している伊良部島方言(南琉球宮古語)の談話コーパスで、ある語の直後にどんな語が来たかを全発話にわたって数えた実例である。「akaudinu(赤腕の)」という語の後は、13回の出現のすべてで「mm(イモ)」が来る。全体の意味は「まだ完全に収穫するレベルではない、痩せた芋」という意味。これは定型的な共起表現で、「赤腕の」と言われれば確実に「イモ」がくる。このように次が100%読めるとき、エントロピーの定義式 H = −Σ p log₂p に入れる確率は1つだけで、H = −1×log₂1 = 0ビット。驚きゼロ、聞かなくてもわかる、という状態が「エントロピーゼロ」である。全く未知の、これまで誰も研究したことがない言語を調べていて、その辞書などを作っているとき、どの表現が定型表現・イディオム的かはフィールド言語学者にはわからない。そこで、こういうやり方で特定していくのが1つの方法である。

図の右側を見ると、文頭に出てくる接続詞「mata(また)」の後は、37回の出現に34種類の語が散らばる。期限、何、防空壕、お父さん、何でも来る。この分布を同じ式に入れると H = 5.05ビット。2の5.05乗 ≈ 33だから、「また」の続きは実質33択ということになる(均等な33択なら log₂33 ≈ 5.04、と考えると意味が掴みやすい)。すべての語はこの両極のあいだのどこかに位置していて、「次の当てにくさ」が語ごとに1つの数に畳み込める。これがエントロピーである。数字の単位はbit(ビット)。情報の量である。小さいほど、新しい知識を足さず(不確実性が低く)、大きいほど新しい知識に寄与する(不確実性が高い)というふうに捉えておけば良い。
本当は、調べたい現象によって、「前に出てくる要素の積み上げ(文脈、窓ともいう)」をどれくらい考慮するか、という点も重要になり、計算式・計算量も膨大になるが、エントロピーという概念と、これからのお話を理解する上では、この説明で十分である。
音楽の「単調」さと「複雑」さとエントロピー
私はふと、思った。記号列の遷移を、ギターのコード進行と読みかえて考えてみれば、例えばある曲がGで始まったとき、次はDかもしれないしCかもしれないしEmかもしれないが(エントロピーが高いが)、G → D → Emとくれば、Cにいきそうだと大体見当がつく。
そう思って、Chordonomiconという巨大なコード進行データセット(約68万曲)を使い(そんなものもあるんだな、と感動)、ロックを中心としたアーティスト約4,290組(後で本気でやるので最終的には全22545組)の「単調さ」を測ってみた。
今述べた、私のギタリストとしての直感はデータセットで実際に検証できる。曲頭がGの3.5万曲で、2つ目のコードはC 28%、D 21%、Em 11%と割れて確かに読みにくい(エントロピーが高い)。ところがG → D → Emと来た8.5万箇所では、次は53.8%がCである。これは実はLet It Beをはじめとしたポップスの黄金進行(I–V–vi–IV)。数字ではっきりわかるな。

あるバンドの楽曲群が「単調」なら、つまりどの曲も同じ展開に聴こえるなら、極端な話、最初のコードを聞いただけで残りが予測できる(エントロピーが、どの曲でも押し並べて低い)ということになる。私はラモーンズやMotorheadにそれを強く感じる。これらのバンドも後で出てくる。
実際、ブルーズのジャムセッションでは「キーはEmで」「3連リズムで」とだけ、ジャズのセッションなら「枯葉、Gマイナーで」と曲名を一言指定するだけで、あとは全くの打ち合わせなしでも全員乗って来れる。ほんの数ビットの指定で、残り数十小節の展開がほぼ確定する。進行の型を全員が共有していて、遷移の不確実性が消えているからである(ジャズについては後述する)。「単調」という印象は、情報理論的に数値で表せるはずだ、と考えたわけである。
AC/DCは「同じようなアルバム」ばかり作っているか?
AC/DCのリードギタリストであるアンガス・ヤングは、こんな自虐ネタを言っている。
I'm sick and tired of people saying that we put out 11 albums that sound exactly the same. In fact, we've put out 12 albums that sound exactly the same.「同じようなアルバムを11枚出したと言われてうんざりしてるよ。というか、同じようなアルバムを出した枚数は12枚なんだけどな。」
AC/DCはオーストラリア出身(正確にはスコットランドからの移民)。1970年代初期にデビューして今まで50年間ほぼ変わらない音楽性、ほぼ変わらない曲調、最初のコード音を聞けばすぐAC/DCだとわかる、そんな曲を作り続ける職人肌のバンドで、世界で2億枚以上を売った怪物、というのがおそらく世界の標準的な評価だと思う。音楽ファンの間では、褒め言葉と悪口の両方の意味で「全曲同じ」と言われ続けてきた。
本当にそうなのか。印象論ではなく、数字で確かめられないか。実際、私はAC/DCが「全曲同じ」という世間の評価に、そもそも大いなる疑念を抱いている。AC/DCの曲はほぼ全て暗記するほど弾き倒しているから、よくわかる。彼らの曲はそんなに単調ではないし、「全部同じ」ではない。全部同じなのは、(ファンには申し訳ないが)Ramonesとかの方がしっくりくる。AC/DCの曲のコード進行は予測不可能性が適度にあって、弾いていて面白いし、聴いていて「あ、こういう展開の曲も作るんだ」と、稀に思う。Back in Blackの特徴的なリフはE → D → Aだが、T.N.T.は同じくEで始まるものの、その後G → Aと別の道を行く。Aで始まる曲も同様で、Highway to HellはA → D → Gへ、Whole Lotta RosieはA → C → Dへと分岐していく。開始点が同じでも、続きは読み切れない。エントロピーはある程度高そうである。
ものさしの話:「単調」を2つの数字に分解する
「全部同じ」、つまり単調さには、実は違う意味が混ざっている。この記事では2つに分けて測る。
ひとつめは展開の複雑さ。曲を聴いていて、次のコードが当てられるか。すぐ当たるなら展開は単純、裏切られ続けるなら複雑である(上で述べたエントロピーそのものだが、以下「予測しにくさ」と呼ぶ)。
ふたつめは響きの豊かさ。使っているコードを構成する音階の「色数」である。ある特定のコードというパレットに載った色の数。シンプルな三和音やパワーコードだけで塗るのか、セブンスやテンションといった複雑な色も混ぜるのか。
この2つは別物である*。豊かな色を単純に並べることもできれば(ジャズの循環がそうだ)、貧しい色を複雑に展開することもできる。さて、AC/DCはどちらの意味で「単調」なのか。
*言語学の知見を使えば、この2つはそれぞれ、シンタグム(連辞)とパラダイム(範列)の複雑さ、と言い換えることができる。
展開の複雑さ:AC/DCの曲の展開は「普通」
まず展開の複雑さ。データセットに収録されたAC/DCの98曲のコード進行データを取得すると、次のコードの予測しにくさは、十分な曲数を持つ比較対象4,290組の中で51パーセンタイル、ほぼ完全なド真ん中だった。ロック系に絞っても49%で、結論は動かない。ほらね、他のバンドに比べて取り立てて単純というわけではないのだよ。
次にカタログの多様性。今度は一曲の中ではなく、曲と曲のあいだを測る。「全曲同じ」(しつこいが、AC/DCはそんなことはないと、ファンとして思う)が本当なら、カタログからどの2曲を取り出して比べても、コード進行はそっくりのはずだ。ただし比べる前にキーをそろえておく必要がある。同じ型のリフでも、Back in BlackのようにEで弾けばE→D→A、Aのキーに移せばA→G→Dと、コード譜の上では別物に見えてしまうからである。そこで全曲を同じキーに移調してから、曲同士の進行の隔たりを総当たりで測り、その平均を「カタログの多様性」とする。本当に「全曲同じ」バンドなら、この数字は4,290組の最下位圏に沈むはずである。

実際のAC/DCは47パーセンタイルで、これもド真ん中だった。私が直感的に「単調の代名詞」と思っていたRamones(60%)もMotörhead(57%)も、揃って真ん中にいる。私としてはこの後者の事実が意外だった。単調とバカにしてすまんかった,とも思った。
比較対象としていくつか挙げたバンド群(図2の中でバンド名があるデータポイント)でむしろ単調側(図2の下の領域)は、知っている人は「なるほど」と納得するであろう、あの「何も変わらない」ブギーの神、Status Quo(下位22%)と、意外やThe Beatles(下位30%)のほうである。「全曲同じ」という批判は、コード進行の文法レベルでは成立しなかった。弾き倒してきた者の直感は、ここでは正しかったことになる。
さらに個人的に面白い発見があった。「プログレの帝王」King Crimsonの曲内の複雑さ(横軸)は49%で、「人並み」。そのかわりカタログの多様性は上位3%。なんとなくわかる。彼らの「複雑」の実体は、一曲の中の予測不能性ではなく、曲ごとに毎回違う展開を採用することのほうにあったわけだ。
図2の右上にいるバンド、つまり曲の中でも複雑、曲の多様性という点でも複雑なのは、アメリカのプログレ超絶テクニカル集団、Dream Theater(H上位1%)である。これも、ファンは納得だと思う。私はマイク・ポートノイのドラム捌きの複雑さも特筆すべきだと思うが、残念ながら今回はコード進行に関する測定だった。もし、リズムの複雑さ(これもエントロピーの計測に向く)を加えれば、さらに尖って複雑な方向に傾くのではないか。
個人的に、同じく超絶テクニカル集団と思っていたSteely Danは、曲内の複雑さはまあまあ普通で、しかし曲間多様性が突き抜けている、という感じだった。なるほど、Steely Danの「覚えにくい」感じが、しっくりくる。ロック系の中でQueenはやはり曲内の遷移的な複雑さは際立っている(ボヘミアンラプソディーを思い出してみるといい)。
まとめると、AC/DCは曲内の遷移エントロピー(展開の複雑さ)も曲間の多様性も、どちらもど真ん中、「普通」なバンドだった。彼らがすべてのアルバムで「同じ曲」という印象を与えているのは、少なくともこれらの指標では捕まえられない。
響きの豊かさ:AC/DCはものすごい単純
では響きの豊かさで測るとどうか。ここでAC/DCの本領発揮となる。98曲・1万2000近くのコードのうち、いわゆる「甘い」「大人な」響きを加えるセブンス系のコードはわずか0.7%(ロック平均の10分の1以下)。かわりに全コードの35.2%がパワーコード。これは3,200組中24位(上位1%以内)の数値である。
パワーコード。名前はバカっぽいけれども、エレキギターのコード構成のなかで最重要のコードといってもいい。ロックの「骨太感」を際立たせ、かつ酔っ払っていてもキマっていても弾ける、非常にシンプルな運指を可能にするコードである。
試しにパワーコードの音、メジャーコードの音、マイナーコードの音、そして「甘い」「大人な」セブンスコードの音をそれぞれ聴いてみよう(下線部をクリック)。全部、G(ソの音程)で揃えた。メジャーが明るく、マイナーが暗く、セブンスが「甘い」のに対し、パワーコードに対してどんな「感情」を感じるだろう?
コード構成の決め手となる、一番低い音(ルート)と5度の2音だけ(例えばEとB)を鳴らすので、最小構成では弦を2つしか使わず、よって運指も単純。普通の和音が持つ「3度」(メジャーかマイナーか)、つまり響きの明暗を決める音を、パワーコードは意図的に抜くので長調も短調もなく、性格が確定しない。私に言わせれば「無感情」なコードで、どんな曲にも使える。かわりに得られるのが音のパワー。深く歪ませたアンプに通しても濁らずにそのまま轟音になる。そもそもの話、パワーコードという名前はここからきている。3度入りの和音を同じように歪ませると倍音同士が干渉して潰れる。上に置いたサンプルの音を聞くとわかると思う。
強烈に歪ませる(ディストーションさせる)アンプの音が標準装備になったロックにおいて、3度を捨てることは音響上の合理的な選択だっただろう。要するに明暗を捨てて音量を取る、感情を捨てて力を取る和音であり、AC/DCの音の壁のかなりの部分は、このたった2音でできている。例えば、以下のT.N.Tという曲は、その中心がE, G, Aというパワーコードで構成されるリフの名曲で、ギター初心者でも一週間で弾けるようになる。
この「色数の多さ/少なさ」を、語彙力(表現力)のように指数化し、ビットで測りたい。そこで和音をコードの名前ではなく構成音程の集合として分解する。パワーコードは{ルート、5度}の2音程、メジャーは{ルート、3度、5度}の3音程、m7なら4音程、9thならその上……。アーティストの全和音を音程に分解して合算し、その分布のシャノンエントロピーを取る。名付けて垂直エントロピーHv。「同時に鳴っている色の多様性」を、ビットで直接測る物差しである(この測り方には問題があるのかもしれないが、以下、とにかく進めます)。
各バンドの「語彙力」の数値化の結果、その分布図を図3に示す。横軸が語彙力つまり音色の豊かさをエントロピーに変換した数値。左にいるほど語彙力貧弱で、つまり同じ内部構成のコードばかり使うバンドで、右にいるほど曲ごとに色々とコードの内部構成を変えてきて、ギタリストがコピーする際に慣れない指の置き方に苦戦し、天を仰ぐことになる。

AC/DCのHvは1.636ビット。今回対象を全ジャンルに広げた22,545組の下位2.5%で、私が「単調なバンド」の代表として槍玉にあげるRamones(1.710ビット、下位4%)をも下回った。理由はよくわからないが、Ramonesの知っている曲を思い出すと、ひょっとすると「全部メジャー」で弾く曲が多いことが関係しているのかもしれない。ルート・3度・5度の3音程がほぼ均等に鳴るため、パワーコード主体(3度を抜かす構成)より複雑性は増す(図4)。

図3に戻ろう。分布の最底辺(左端)の一帯を占めるのは、パワーコード一本槍やメジャーコード一色で押し切る無名のパンク勢である(下位500組の22%がパンクで、全体比の4倍)。「コードをいくつも弾けなくても音楽をやっていい」というパンクの哲学(ロックの大衆解放)が、そのまま分布の左端に写っている。そしてその一帯に、世界的な大物がただ一人だけ混ざっている。それがAC/DCである。
AC/DCとパンクの違いは、個人的な見解だが、曲の構成コードの多様性を意図的に削いでいるか、単にコードを知らない/弾けないから多様性がないのか、の違いかもしれない。AC/DCは元々ブルーズに多大な影響を受けており、彼らの初期の曲Ride Onは、コード進行もまさに古典的ブルーズに近い。
他にも、Rockn'Roll Ain't Noise Pollutionという曲やThe Honey Rollという曲なども、非常に巧みで豊かなコード構成である。
おそらく、パワーコード主体で行くというのは意図的なもの。一方、パンクバンドの多くは、「音楽を俺たちに取り戻す」、つまり、下手なやつでも音楽しようぜ、というムーブメント自体の影響で、結果的に単にコードを知らない/弾けない/興味ないバンドを多数抱えているのかもしれない。いや、違うのかもしれない。パンクが嫌いな私の意見として聞き流してほしい。
AC/DCがパンクのようだ(あるいは逆にパンクはAC/DCのようだ)という言説は古くからあるが、情報理論的にいって、曲の構成コードの多様性という点でこの見方は正しいということになる。ただ、両者には意図されたシンプルさか否かという違いがある、と上で述べた。
図の分布の反対の極(右端)には、非常に難解で複雑なイメージがピッタリのSteely Danが2.528ビット(上位1%)がいる。Queenは2.07〜2.08で三和音ロックの上限あたりに並んだ。
エントロピーだけで描いたジャンルの地図と、1977年の対角線
図5の横軸は時間方向のエントロピー(次の和音の予測しにくさ)、縦軸は音高方向のエントロピー(同時に鳴っている色の多様性)。両軸をエントロピーで統一したいま、右上が「複雑で豊か」、左下が「単純で貧しい」と解釈できるようになった。

右上の角の主はソフトロック(AOR)。ボストン、シカゴ、ジャーニーなど、洗練され、「大人で」(AORとは日本でAdult-Oriented Rockとも称される;本来はAlbum-Oriented Rock)、ポップ寄りのロックという感じのジャンルである。そしてその対角、左下を占める勢力はパンク。1977年、パンクが「イーグルスもボストンもうんざりだ」と宣戦布告した相手は、まさにAOR/ソフトロックの体制である。この対立は、エントロピーの対角線として実在したことになる。情報理論的に、パンクが「うんざりだ」と思っていたのは、曲の複雑さ(横軸)と響きの多様性(語彙力、縦軸)だったということで、要は「音楽までインテリぶるなコノヤロウ」ということだったのだろう。
図の左上の、「読みやすい展開で、豊かな語彙を使う」領域にジャズがいることに、私はちょっと驚いた。ジャズこそ複雑の代名詞ではないのか。が、実はコード譜の上では逆で、ジャズは音楽の中でもっとも展開の型が厳格なジャンルのひとつとして知られる。データでも、コードの動きの4分の1近くが「五度下行」というたったひとつの定番の動き(ii→V→I)に集中している。
先ほどジャムセッションの話をしたが、キーを一言指定するだけで全員が乗れるのは、まさにこの展開の型の厳格さゆえだ。では私たちが感じるあの複雑さは何かというと、大半はコード譜の外、即興演奏の層で起きている。名手が周回ごとに違う経路を選び、和音を差し替えていく部分は、コード譜には一行も書かれていない。ジャズの複雑さは、ここにある(楽譜の外)。
ハードロックとメタルの重心は、地図上でほぼ同一点(H≈0.92、Hv≈1.93)に重なった。両ジャンルを分けているのは、少なくともコード理論ではない、ということだ。まあ、ヨーロッパ由来かアメリカ由来か、それに関連してクラシック的かブルーズ的か、という指標や、真面目(メタルはテクニカルなのでみんな練習好き)か不真面目(ハードロックはセックス・ドラッグ・アルコール)か、とか、レザーを着るかジーンズか、みたいな違いもあるかも。あと、歌詞の世界観(ドラゴン、炎、鋼鉄、血、絆、男たち、などが出てこないメタルの曲はない)も大きいかな。
そしてAC/DCの黒丸は、どのジャンルの重心にも属さず、パンクの重心よりさらに下の高度に一人で浮かんでいる。「AC/DCはハードロックかメタルかパンクか」という古典的な論争が決着しない理由は簡単で、彼らは既存のジャンルの軸の上にいないのだった。
AC/DCの「同じ」感じはどこからくるか
最後に時間軸。50年代のロックンロールはブルーズ譲りのセブンスを普通に使う、案外カラフルな音楽だった。セブンス系コードの使用率で見ると、ロック系は1950年代の18.6%から2010年代の6.4%まで一貫してこの色を捨てていき、2020年代にわずかに反転する。ブルーズ→ロカビリー→ロックンロール→ハードロック→メタル・パンクとジャンルが分岐するたびに、ブルーズの色は着実に抜けていった。

私は当初、この「排色の歴史」がそのままHvの低下として測れると踏んでいた。ところが、である。年代ごとに曲単位のHvを平均すると、ロックの線は70年間ほぼ水平に走る(1.85〜1.90ビット)。

では、空いたセブンスの席には誰が座ったのか。セブンス系が18%から6%へ滑り落ちる70年間に、マイナーコードが10%から25%へ、ほぼ鏡写しに伸びている。メジャーは7割弱でほぼ不動、ディミニッシュ・オーグメント・susは合計0.5%未満の床を這ったまま、テンション(9th・11th・13th)に至っては1970年代の2.4%が最高で、増えた形跡すらない。

つまりロックは、「気だるい」セブンスの穴を、「悲しい」マイナーに持ち替えただけなのである。全体的に、ブルーズの「ニヒル」さから、ロックの「シリアス」さへ、という大きな流れがあったように思える。
そして、AC/DCがこの流れのなかでなかでどう振る舞ってきたかが興味深い。図7のいちばん下の赤い線を見てほしい。ジャンル全体が配合替えをしながらパレットの豊かさを保存し続けた中、AC/DCは、「色を変えた歴史」と無関係に50年間、頑固一徹、パワーコードにこだわった2色主義を貫いてきたのである。曲のコード進行や曲間の多様性がどうあれ、この徹底的に削ぎ落とされたコード構成で曲を作ってきたところに、人々は強烈な一貫性を感じ、「全部同じだ」と言ってきたのだろう、と思う。
ところで、AC/DCのコアなファン向けに付記を。図7をもう一度見てほしい。AC/DCが「色気を出して」コード構成の多様性を増やした時期(赤の線が上向く時期)は、AC/DCが最も人気がなかった時代で、逆にストイックさを出して、コード構成を研ぎ澄ませていく(赤の線が下向く)時期は、黄金期あるいは復活期とされる時代である。我々のAC/DC本来の姿を取り戻した時期、とでも言える。ちなみに私が一番好きなアルバムは黄金期のPowerage(
1978)である。
終わり。

補遺:データと計測法(興味のある人向けの後記)
データは、公開されているコード進行データセットChordonomicon(ユーザー投稿のコード譜約68万曲に由来)のうち約25万曲を使用。アーティスト名はSpotifyの公開エンドポイントで約1,900組を同定し、コード進行データと紐付け。
「予測しにくさ」(横軸H)は曲内コード遷移の1次マルコフ条件付きエントロピー——セクションタグを除去し、連続する同一コードを1つに圧縮してから計算、遷移8未満の曲は除外、アーティスト値は曲の単純平均。この圧縮のため「同じコードを何小節も鳴らし続ける」型の単調さは設計上Hには現れない点は付記しておく(AC/DCの単調さの一部は、たぶんそこにも住んでいる)。
「垂直エントロピーHv」は各和音をルートからの構成音程の集合に展開し、アーティストの全和音を合算した音程分布のシャノンエントロピー(構成音300未満のアーティストは除外、対象22,545組)。
年代別Hvは曲単位の同エントロピー(構成音16未満の曲は除外)の年代平均で、「ロック系」はデータセットでエンコードされているメインジャンルがrock/metal/punk/alternative/pop rockのもの。ユーザー採譜由来のため書き起こしの粒度に偏りがあり、欧米の楽曲が中心である点、ジャンルタグに揺れがある点は割り引いて読んでほしい。とはいえ数千コード規模で出る差は、印象論よりはずっと信用できるはず。
