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養成所の頃の話。 【前編】


もしかしたら、どこかにいるかもしれない。
今、悩んでいたり、葛藤の中にいるあなたへ。

僕は、まだ何者でもない芸人です。
売れてない芸人です。

それでも、生意気にも、伝えたくなりました。

養成所に通っている後輩たちへ。
卒業したばかりで不安な日々を過ごしている後輩たちへ。
そして、「もうやめようかな」と思い悩んでいる後輩たちへ。

そして、芸人じゃなくても、なにかに挑戦しようとしている人へ。
自分の選んだ道に迷いながら、それでも歩こうとしているあなたへ。

この文章が、ほんの少しでも、
そんなあなたの背中を押すことができたらと、
そんな思いで、書きました。






さきほどYouTubeで、ムカイワンダーランドのある動画を見ていた。

彼の養成所入学から、在学中、そして卒業後のことをトークベースで振り返る、およそ30分ほどの動画。

向井と僕は、養成所の同期だ。

動画を見ているうちに、向井の話を聞いてるうちに、あの頃の記憶がどんどん頭の中に押し寄せてきて、気付けば僕は、「そうそう」とか、「あったなー」なんて、声を出して相槌を打っていた。自分が、懐かしいことを思い出す時特有の、なんとも言えない顔をしているのは、鏡を見ずともわかった。

30分の動画は、あっという間に終わっていた。



今回は、養成所の頃の話。






2016年4月。



大学を卒業してから4年間働いたサラリーマンを辞めて、僕は意を決して上京した。芸人になる夢を反対していた親には、出張と嘘をついて、会社の有休を消化して東京へ行き、勝手に不動産屋へ行ってアパートを契約した。
JR中央線武蔵小金井駅から徒歩18分のアパート。

のちに向井が初めて僕の家へ泊まりに来てから、彼のデマによって同期のあいだでは、僕の家が最寄駅から徒歩4時間ということになる。

話が脱線したが、2016年4月に、僕は太田プロの養成所、太田プロエンタテイメント学院の9期生として入学する。


今思えば、じゅうぶん過ぎるほど尖っていたと思う。当時すでに26歳。会社を辞めてひとりで上京して、芸人になった。もう後戻りはできなかった。絶対売れなきゃと思っていたし、当然売れると思っていた。30歳までに売れなければ辞める、と本気で思っていたどころか、30歳までかかるわけがないとさえ、本気で思っていた。

入学式とクラス分けの後、ひとりずつ順番に自己紹介をした。コンビで入学してくる者もちらほらいたが、ほとんどはひとりで来ていた。おおよそみんな尖っていた。誰にも負けません的な決意を述べる者、憧れの芸人は誰で、そんな笑いをやりたいと述べる者。プチエピソードを話す者。いろんな人がいた。

僕はそんな自己紹介をひとりひとり睨みつけて聞きながら、B5サイズのノートにびっしりメモを取っていた。名前。見た目の特徴。話し方。ボケ志望orツッコミ志望。そして一番右に、コイツは自分の相方としてふさわしいかどうかを、二重丸からバツで印を付けていた。それからずいぶん時が経ってから、この様子を偶然斜め後ろから見ていた同期にイジられることになるが、当時は大真面目にこんなことをやっていた。どうかしていた。


そしてようやく自分の番が来る。

「まだ相方はいませんが、週に2本はネタ書いてます。絶対売れるんで、ついてこれる人だけ声かけてください。以上です。」


もし同じようなことを言ってのける後輩を見ても「あの頃の俺に似てやがる。」なんて感傷に浸ることはもちろんないし、当時こんなことを、大真面目に言えていた自分にゾッとする。痛すぎる。


当然のことながら、誰も声はかけてくれなかった。





授業は週1回。火曜日の18時〜21時。

入学してからというもの、授業が終わると、それはそれは毎週のように同期で飲んだ。新宿西口の笑笑。大きな円卓テーブル。単品飲み放題。お金がないから、飲み放題に付随するひとりフード2品は、とにかく安いつまみを頼んだ。それではお腹がすくからと、笑笑の手前のマックやコンビニでお腹を膨らませてから行った。

その飲み会で、「義江とコバ組めよ!」という同期からの猛プッシュにより、元力士の、当時体重130kgの義江くんとコンビを組むことになる。

それから3ヶ月ほどした日のネタ見せ。漫才終わりに、講師からこう言われた。

「小林が前出すぎ。お前が ”じゃない方芸人” になる覚悟ないならそのコンビ解散しろ。」

僕は義江くんと解散することを決めた。

解散を告げた日のことはあまり覚えてないが、義江くんいわく

「お前みたいな泥舟に乗るつもりはない。」

と言ったらしい。


なんてこと言うねん俺は。


その数年後、「泥舟」とまで言い放った元相方が、Netflix「サンクチュアリ」で大役に抜擢されて、とんでもない差をつけられる未来を、この頃の僕は、まだ知らない。





それからしばらくは、ピンで活動していた。周りはもう、だいたいコンビを組んで活動を始めていた頃で、僕はとにかく焦っていた。

そんな頃だった。いつもの笑笑新宿西口店。同期の のぶ(爆走マシン)から、「俺の大阪NSC時代の同期で、こっちで芸人やるために大阪から出て来てる奴いんねんか。お金貯めて来年もっかい養成所入り直そうと思ってる奴やねんけど。一回会ってみいひん?」と言われた。

半ば強制的に連絡先を教えられて、僕はその人と連絡を取り始めることになった。爽やかな顔写真のアイコンだった。当時の記憶はかなり曖昧だが、初っ端のLINEから「まいど!」的なテンションだったことは覚えている。でもあの頃の僕はまだ、それを「爽やかな人やなあ。」ぐらいにしか思っていなかった。


それから何日かして、僕はこの人の声を聞いてみたくなった。一度電話で話してみようと思い、「今電話しても大丈夫?」とLINEしたら、「大丈夫!」と返ってきた。緊張しながら、意を決して電話をかける。その人はなんとも当然のように、「どうも!いま海来てんねん!」と言っていた。


それから、彼とはなぜか頻繁に連絡を取り合うようになった。長電話もした。お互いのプロフィールや現状、好きな芸人の話、あとは他愛もない話。ある時彼は、前のコンビで活動していた頃のネタ動画を送ってくれた。それは大阪の若手賞レースの決勝大会の映像だった。彼は前コンビで、大阪NSC在学中に、在学生ながら若手賞レースの決勝に駒を進めていた。コンビも解散して、まだ芸人として人前にすら立ったことのない僕には、大舞台で堂々と漫才をする彼の動画が、とても輝いて見えた。

前のコンビの話を聞くと、彼は幼馴染とコンビを組んでいたそうだ。NSC在学中の成績もよく、その中での賞レース決勝進出だったそうだ。順風満帆に見えるそのコンビが、なぜ解散したのか聞いてみると「元相方に彼女ができて、その彼女と結婚したいから芸人を辞めたいと言われた。」と。

そして彼は続けた。

「次にコンビ組んだら、そのコンビを最後にしようと思ってる。もし次のコンビ解散したら、そのときは芸人辞めると思う。」


覚悟のある青年だと思った。




8月21日。

のぶに間に入ってもらう形で、彼と初めて会うことになった。彼らが住む、JR総武線小岩駅前の鳥貴族。のぶとふたりで席に座って彼の到着を待った。僕はかなり緊張していた。

それから少しして現れたのは、軽く日焼けをした、なんとも爽やかな青年だった。きっとその日焼けは、先日の海水浴によるものだろう。そしてこの日も、やっぱり「まいど!」的なテンションだった。人当たりの良い、爽やかな青年。なにを話したかはもうほとんど覚えてないが、彼が「山芋の鉄板焼は一人1枚っしょ!」と豪語していたのが印象的だった。


2時間ほど飲んで、3人で店を出ると、なぜかそのまま爽やかな彼の家に行こうという流れになった。彼の家までの道中も、3人でずっと話していた。なにを話したかはもうほとんど覚えてないが、彼は道中の至るところで、「ここの定食うまいねん!」「ここのGEOめっちゃ行くねん!」と爽やかにセルフ街ぶらロケをしてくれた。


彼の家に着いてしばらくして、M-1の話になった。エントリーは8月末まで。期日まで残り1週間。

僕は緊張しながら、でもその緊張を精一杯隠して平静を装って、「出たいねんけどな。」と言った。爽やかな彼も、「出たいなー。」と言った。するとのぶが「お前らで出ろや!俺がエントリー用の写真撮ったるわ!」と、なるべく家具の少ない壁を探し、ふたりを手招きした。



そうして僕たちは、M-1グランプリ2016へ出場するための、
仮コンビ”ライオンロック”を結成した。





【↓中編はこちら↓】




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